「君が選んだ道にたどりつけるはずだから」ONCE ダブリンの街角で TSさんの映画レビュー(感想・評価)
君が選んだ道にたどりつけるはずだから
ミュージックビデオのような、ドキュメンタリーのような不思議なタッチ。
手ぶれも映り込みもなにも気にせず切り取ったダブリンの日常。
名も無き男と女が路上で出会い、音楽を通じて心通わせ、距離を縮める。
それぞれに忘れられない女と男への思いを抱えながら、綴り、奏で、歌う。
無口な2人。彼と彼女の思いは、セリフではなく、歌詞で表現される。
半分ほど観て、ようやく気づいた。これはミュージカル映画なんだ。
エモーショナルな演奏も、ダンスもない。なのに、観る者の心にじわじわと染み入るように入ってくる男と女の感情。
既成概念を覆す、新しいミュージカル映画。
girl(女)を演じるマルケタ・イルグロバがとても魅力的。
ちょっと不思議な雰囲気と人懐こさ。初対面で聞きにくいことをぐいぐい聞いてきてもちっとも不快感がない。芯の強い母親だけど、ピアノやバイクを前に、無邪気な少女のような一面を魅せる。
彼女が寝間着のまま歩きながら夜道で歌うシーンが好きだ。仄暗い住宅街。路上駐車の車の列。滲むオレンジ色の街灯。手に持つCDプレーヤーと歌詞を書いた紙。モフモフのスリッパ。何故だかとても愛おしくなる。
たった一度のレコーディング。
縮まった心の距離は、それ以上縮まることなく、2人は別れる。
それぞれが、それぞれの新しい生活を始める。
何か大きな出来事が起きそうな予感はしない。しかし、笑顔でロンドンに向かう男と、その男に贈られたピアノを弾く女が笑顔で見つめる窓の外の景色は、音楽と共にある2人の日常が、これからもずっと続くことを感じさせるような希望に満ちた色をしていた。
「希望に満ちた声を上げよう 君が選んだ道に たどりつけるはずだから」
心に残る、素晴らしい映画でした。