ブレイブ ワンのレビュー・感想・評価
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あなたはどちらを選択する?
犯人に復讐するストーリーを想像していたら、犯罪に復讐する女神になる話だった。最後の選択は、どうだったんだろう。間違っているに一票。
婚約者との幸せな未来を夢見ていたヒロインが、暴漢に襲われて婚約者を...
婚約者との幸せな未来を夢見ていたヒロインが、暴漢に襲われて婚約者を亡くしたのを機に、
悪に制裁を加える“処刑人”と化すササスペンス・スリラー。
主人公のエリカにめちゃめちゃ感情移入してしまった。
悲しくてしょうがないよね。婚約者が殺されるシーンは目を伏せたいぐらいリアルな暴行。
恋人がいなくなった怒りと深い悲しみを乗り越えて、
主人公はたくましく生きていくっていうありそうな展開じゃなくて、
どんどん冷静に人を殺していくっていうでもそれには意味があるっていう感じ。
これは単なる連続殺人なのでは。
狂っている。 彼女は、明らかに狂っている。 暴行により恋人を殺され、自らも重傷を負ったからといって、悪いと思われる奴を手当たり次第に殺害していいのだろうか。 一件目は偶発的である。 ただ、ドラマ的にはあまりにもわざとらしい殺害である。 二件目は明らかに誘っている。 殺してあげるから、私を脅してみな!と言っているようにしか見えない。 三件目もしかり。挑発しているようにしか思えない。 四件目は最悪。 世間的悪党を、まるで自分が正義の味方になったかの様に殺害している。 そして、最後は警察まで加担していやがる。 最悪だ。。。 これは決して正義ではない。 これを正義として許すなら、娼婦たちを次々切り裂いたジャックでさえも『正義』といえる。 自らの信念のために、多くの人たちを巻き込んで自爆するテロリストさえも『正義』といえる。 彼女は今後も『正義』という名の殺害を繰り返すに違いない。
うーん・・・
ただのラジオDJでそれまで銃の扱いを知らなかった主人公が、次々と犯罪者を打ち殺していくのに違和感があった。
裁かれない犯罪者、自分がやっていることが正義か否か葛藤する主人公、英雄として持ち上げる国民・・・。考えさせられるテーマではある。
しかし、ひっぱったわりにはオチがいまいちだったかな。
友情〜!!
暴力を受け恋人を殺されたたことがきっかけで、
悪党を殺すという暴力を自分も振るうようになってしまった主人公は、
愛する人を失い、他人も痛みを感じるということも分からなくなってしまったのではないでしょうか。
そこから抜け出せなくて苦しんでたとこに、
事件をきっかけに知り合った警官が、
犯罪者と警官という立場を超えた友情で、
自分を撃って逃げろと言ってくれて、
それで友達を撃つことで痛みを思い出すことができたっていう
深い友情の話だと思いました。
2人はもう会うことはないかもしれないけど、
彼がエリカに与えたものはどんなに大きいか分かりません。
彼女はもう銃を持って悪党を前にしても人を撃てないと思います。
冒頭の事件の直後、
エリカが恋人とのセックスの夢を見るシーン
が痛みと別れを際立たせていたり、
ベッドの中で電話を受けて、
眠れないというエリカの話しに警官が付き合ってくれるシーンも、
声の優しさや、眠りの傍で話すという親密さがあって
痛みだけでなく優しさ人の親密さもすばらしく描写された映画だと思っています。
ほんとうに大好きです。
価値観を変えてしまう事件の後
総合:65点
ストーリー: 60
キャスト: 70
演出: 70
ビジュアル: 70
音楽: 70
日常的に多数の殺人が起きて、それが未解決のままにされることも多いアメリカ社会。信頼のおけない司法の手にゆだねてただ無駄に結果を待つよりも、どこでも簡単に手に入る銃を持って自分で解決に乗り出すほうがいい。そう考えるアメリカ人は大勢いるのかもしれない。
それでもジョディ・フォスター演じるエリカの行動は賛否両論あるだろう。だが事件に巻き込まれた後、怯え悲しみ苦しむ孤独な救いのない彼女の姿は良く出来ていた。ほんの些細な事件でも、人は怖くて街を一人で歩くことも出来なくなったりするものである(実例を知っています)。まして幸せを奪われ人生を根本から変えられるような事件ともなれば、それまでの価値観が崩壊し過去の自分とは違う自分になることは充分有り得る。そのような雰囲気の出し方は評価出来た。いいか悪いかは別にして、そこに偶然が加われば、コンビニや地下鉄のようなことにもなりうるのかなと思う。
だが物語の現実性の詰めが緩い。通常は目撃者がいなくて、例えいたとしても口を割らずに簡単に隠蔽工作が成立する。最後の場面、犯人は仲間割れをおこして撃ちあうということにしたが、その後の検証で彼らの腕に硝煙反応がないことを調べられたらどうするのだろう。あれだけ騒いで銃声もしていて、それを近くで聞いて証言する人がいないという前提条件もどうなのだろう。スラム街で頻繁に起こる殺人事件、刑事が証人なのだからいちいち調査をされないということだろうか。
アリナシの前に見せ方がイマイチ
あけましておめでとうございます。
やっと観られた今年一本目ですが残念ながら幸先のいいスタートとはいきませんでしたw
これはうーん…どうなんでしょ。
テーマや各々の選択についてはあれこれ言えないし、というより「もし自分だったら」とその是非について誰もが考えさせられるのでいい切り口だとすら思うのですが、えらく陳腐な見せ方にしちゃったなあって。
構成ミスが一番の原因でしょうか。
まず、【婚約者を殺された女性が自ら正義の裁きを下す】みたいな謳い文句なので過程に大方の予想がつくのはしょうがないんだけど、観る側が普通に思い浮かぶ通りのことに1時間以上もかけちゃダメでしょう。
“作品紹介”にあたる部分は30分くらいでサクサクっと進めてほしいです。それかそこまでネタバレしなければいいのかもしれないけど、この宣伝だからこそ興味を持つっていうのもあるのでやっぱり構成ミスな気がします。
とはいうものの演技力にも助けられて「どうなるの?」っていうハラハラ感もありました。エリカの「ダメなわけないじゃない!」という悲痛な叫びまでは良かったです。
が…
おーいマーサー刑事〜!w あなた超かっこいいこと言ってたじゃない。
彼の葛藤や最終判断もわかりますが、映画としてあの結末を選ぶのならもっとその部分に焦点を当てないとどうも唐突で安っぽい感じが否めない。
別に監督も「アリだよね」ってことを伝えたいんじゃないとは思うけど、まとめ方がなんか腑に落ちないんですよね。
というかアリナシに関わらずあのラストを“衝撃の結末”という売りにするのは違うような。。こんなテーマだから予想がつかないわけじゃないし、これをどんでん返しとして扱った途端に薄く感じてしまいました。
前作『フライトプラン』といい、ジョディ・フォスターは作品に恵まれないというかメッセージ性の強いものを選んでるだけに、しかも演技力(今回も一人の女性の心情や変化はさすが)もあるので余計空回りを感じました。
あ、ショートカットの彼女はすっごく素敵でした。
今更マイブームの『LOST』のサイード役のナヴィーン・アンドリュースが出演してたのが一番テンション上がりましたw
恋人を殺されたときに自分はどうするのか?
ジョディ・フォスター演じる主人公が行きすがりのチンピラに殺され、護身用に買った拳銃で殺人犯を撃ち殺したときから殺人への忌避が外れ、ついに復讐を果たすのですが、考えさせられた映画でした。簡単に復讐が果たせるように拳銃が変えてしまうアメリカ。恋人が殺され最後に復讐を果たしたが自分自身を後悔し刑事に自首をしてエンディンかと思いきやその刑事の温情で殺人(復讐)を果たすおちとなり・・・。少し意表を突かれた感じです。過去のジョディ・フォスターの作品と違い暗く沈んだ不幸をうまく表現しています。映画館で観る映画ではないですが彼女のファンなら一度は観ておきたい作品です。
もし私に同じことが起こったら・・・
もし私に同じことが起こったら…、と思うと考えさせられます。
意見は様々だと思いますが、もし同じことが起こったら、
自衛のために何かを持つ人がいると思います。
何か行動を起こすかもしれません。
また同じことが起こっても、何も出来ない(自分を守れない)のは、
おかしいと思います。
比較的安全な日本(国)では、行動が信じられないと思いますが…。
エンディングでは、マーサーがエリカを逃がしますが、
私は逃がして良かったと思います。
その方が観る人に訴えかける力が強いと思います。
この映画では、「あなたは許せますか?」ということを
訴えかけているので、意見は様々になって当たり前だと思います。
「今そこにある危機」だねこれは
治安の悪化は全てを破壊する元凶である。 アメリカ社会のように移民に慣れた国ですら、このような有様である。 移民の全てを否定するわけではないが、職も技術もモラルも無いような人間を流入させると彼女のような悲劇が起こるのである。 日本は市民が武装して無いから、彼女のように反撃も出来ない。 日本に1000万人移民させたい国際派と企業はリスクを自腹で何とかしてください。リスクを庶民に背負わせないで!
だれか本音で、主人公を批判できるだろうか?
一般的には、痛快アクション物で取り上げられそうな内容だけれど、それを社会的切り口で取り上げているところが面白い。でも、もし主演のジョディ・フォスターをはじめ、スタッフがあまり有名でなければきっと批判だらけの作品ではないかと思う。これにも、賛否両論あるでしょうが、来日記者会見の時に、脚本家が、「自分は主人公に最後まで共感し、エンディングも正しかったと思っている」という発言をしていたけれど、僕も同意見。個人的に、主人公の行動が“正義感”からではないことにも逆に脚本家の巧みさと挑戦があるような。
深い・・・
久々ジョディー・フォスターを観ました。
この映画はちょっと暗いテーマだったので、観ようかどうしようか迷っていたんだけど、観て良かったです☆
主人公の心情を自分に置き換えてみると、痛いほど気持ちが理解出来ます。
私達平和の国日本では考えにくいかもしれないけど
銃社会の国と言われるような所に住んでいたら、有り得るかも知れない。
地下鉄にしたってこんな安全なのは日本だけと言われているし。
電車で熟睡なんて有り得ないとかも。
でもそういうことを加味してもしなくても
愛する人を失うと言う事は、想像に絶する事です。
心から愛せる人なんて、一生に何人いるんでしょう?
そんな最愛の人を失った時、ひとはどういう行動を取るのか・・・。
そしてそれが女性だとしたら・・・?
たとえ女であっても、自らも生死をさまよい絶望の淵から這い上がろうとする時
どう決意し変わって行くのか。。
主人公の取った行動は決して良い事ではないけど
善か悪かで割り切れるようなものではなく、まさにグレーゾーンです。
その時、どちらを選択するのか・・・?
やっぱりこれは女性に観てほしい作品です。
気持ちは分かるけど・・・
久しぶりのジョディーと思いきや。 もうジョディーだめなのかな。。。 期待せず見たけど、やっぱり期待はずれでした。。 悲しくも、同情も何もなく、ただのエンタメで見ればよいかと。
「映画」を楽しめ!
「許せますか、彼女の選択」という投げかけについては賛否両論だろうが、まずは圧倒されるのが「彼女」の演技、映像、音響の見事さ!!! オープニングのモノローグから、観るものは映画の世界に引き込まれる。地味で淡々とした映像がここで効果を発揮する。 他人の無神経な一言が彼女の心象を表現する、この脚本が巧みだ。 ラストは評価が分かれるだろう。いや、その解釈さえひとによる。だがそうした議論が起きること自体が、作品の目的ではなかろうか。 解答は一つではない、一つであってはならない。向き合い続けることこそが大事、そういう問題なのだ。
ちょっと残念
ジョディ・フォスターが好きなだけに、フライトプラン、パニック・ルームと同じ路線で妙に強い女性というキャラクターが違和感があり、なじめなかった。結末もアメリカの映画でこんなのあり?という感じで不満
ジョディは稀に見る連続殺人鬼だ!
ニール・ジョーダンの作品に外れは無いとこれまでは確信してきたのだが、今作では「こんな仕事を受ける事もあるのね…」に変わった。
ジョディ・フォスターの演技とニール・ジョーダンの演出には何の不満もない。だが、ジョエル・シルバーが何故、今さら『狼よさらば』をやりたかったのか、何故、こんな脚本にジョディーとニールを起用したのかは大いに疑問。
ジョディとニールがやるからには、ただのビジランテものにはとどまらないメッセージ性を持った作品にしているだろうと思ったら…???このラスト!何のことはない、これまで何百本と作られてきたビジランテものと変わらない作品に終わっていた。
何しろ、ジョディは劇中で8人もの人間を銃で殺している。それも見せ場重視のアクション描写で。さらに復讐を果たすのは最後の最後で、それまでは殺す動機も必要もない場面での殺し。彼女のやっていることは、殺しの快感に目覚めた女の連続殺人にしか見えない。
察するに、はじめの脚本では、ここまで殺すシーンは多く無かったし、ラストでジョディは死んでいたのだろうと思う。だが、ジョエルが『タクシードライバー』風のアクションシーンを追加したり、ラストで主人公を殺さない今時の設定に変えたのではなかろうか?
ジョディとニールは、主人公の心理描写を丁寧に描くということに重点を置き、二人のおかげで何とか最後まで観ていられる作品には仕上げている。だが結果的には、そのウェットな人間ドラマの部分と、ばかばかしいB級タッチのアクションとのバランスが悪く、全体のバランスを崩してしまっている。
ばかばかしいとはどういう所かといえば、ジョディが闇取引で買った銃が最新型で高性能ということや1000ドルという値段にもリアリティが無いし、『狼よさらば』と同じ70年代なら分かるが現代のニューヨークでこれだけジョディの目の前で都合よく犯罪者が暴れるのもうそ臭い。ジョディが練習もしないで、どんどん射撃がうまくなるのもおかしい。ジョディがマンガみたいに無敵なのもアホらしい。ジョディが中盤で復讐したい相手の捜査をしないのも変。そもそも脚本がご都合主義なのだ。
そうはいってもジョディやニールのファンなら観ておいて損はしないはずだ。ジョエルが『マトリックス』で稼いだお金を二人のようなまともな女優や監督に投資するのはいいことだと思う。
ジョディの『狼よさらば』
ストーリーがチャーリー・ブロンソンの『狼よさらば』に似ている。「街の理不尽な暴力に愛する人を奪われる」→「街を彷徨う」→「街のクズを裁く」→「悪の一掃が快楽に」→「理解ある刑事に出会う」……ここまでは同じだが、街の人混みの中で標的を見いだせぬブロンソンと違い、ジョディは本懐を果たす。ジョエル・シルヴァーが製作だから?ジョディの暴力への怒りが許さなかった?何れにせよ、少々のカタルシスを代償に、この映画はリアリティと話の核を失っている。DV男の殺害にしても都合良すぎる展開だし、FMのDJという設定は活かし切れず、刑事のキャラクターにも疑問が残る。アイデアはともかく、優れた脚本とは到底言い難い。
なのに何でこんなにスクリーンに釘付けになるのか。
答えは当然、ジョディ。いつになく年齢を感じさせる顔のしわ(失礼)だけど、蒼白い顔で見せる苦悩、葛藤、恐怖、殺意を見ていると彼女がスター女優の中でも屈指の演技力を持っていることが良く分かる。脚本があからさまにダメでも、演技でここまで引っ張れる彼女は、やはり金を払う価値のあるスターだ。そんな彼女を援護するのはフィリップ・ルースロの撮影。心の揺れをよくカメラで更に深く表現している。役者の演技を更に深める撮影術は偉大なり。ニール・ジョーダンも細かく期待を良く裏切る地味な巧者振りを見せている。
許せない
あなたはこのジョディ・フォスターを許せますか?と言うコピー・・・・ 演技にごまかされてはいけません
彼女が殺人にとり付かれていく過程に必然性が感じられません
このネタは35年前に C・ブロンソンで映画化されてます(狼よさらば)そのほうが感情移入は出来ました
銃社会で問題になっているアメリカで今何故この映画なのか
仇討ちを容認すれば殺人の連鎖が起こるだけです
銃の1発はもっと重たいものだと思います セブン の ラストのB・ピットのように
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