「シンジからの視点へのこだわりと、さりげなく挿入される映像から来る深みと美しさ」ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 Kazu Annさんの映画レビュー(感想・評価)
シンジからの視点へのこだわりと、さりげなく挿入される映像から来る深みと美しさ
シンエヴァンゲリオンを見てから再視聴。
前はあまり注目していなかったところに、魅力を感じた。
ミサトの車は何故かルノーのアルピーノA310、イタリアでもなくドイツでもなく壊れやすいフランス製か。そのこだわり。そして冷蔵庫の中はビールのみ。一般的な生活感は全く無く、ミサトは庵野監督のある側面の分身の様にも思えた。
綾波宅でシンジが割れた眼鏡を掛けた時に、レイが裸身は気にもせず一心不乱で取り返そうとする様。その眼鏡をエヴァンゲリオンに持ち込む映像。その眼鏡が割れたのはゲンドウがレイを必死に助けようとした時であることもさりげなく示されていて、父親を信じれないシンジ頬への殴打と共に、レイの一途な思いを暗示。ただ、シンジは眼鏡が誰のものか分からないし、レイの幾つかの反応も全く謎のままで、物語は進行していく。
レイの家にあったカプセル剤とビーカー。ビーカーは内服薬を飲む際に利用ということらしい。研究者だった碇ユイの性格は反映してか?ただ、薬が何のためかは自分には不明。イメージ的には、魂移植の拒絶反応を抑制するため?
テープレコーダー(SDATプレーヤー、シンで父親からの二世代に渡る代物であること判明)は、同じトラック25と26のみを行き来。他人との関わりを遮断し、子供のままで、成長無し状態の言わば象徴か?
そして、前から美しいと感じていた電信柱や送電塔、送電ケーブルの映像。時に何と斜めになっていた。これは、シンジ・エヴァンゲリオンからの視点ということか。もしかして、送電線には、ヒトとヒトとの心のやり取りやレイが言うところの絆を象徴している?
何回か見て初めて感じ取れる映像の意味付け、活劇でありながら同時に、小津安二郎の映画の様に、良く練られ考えられている映像の数々、改めて独自の作家性を感じさせられた。