長江哀歌(エレジー)のレビュー・感想・評価
全11件を表示
絶世の美女の悲恋。題名見て勝手にそう思っていた(笑) ?やさぐれた...
絶世の美女の悲恋。題名見て勝手にそう思っていた(笑)
?やさぐれたおっさんが金で買った嫁探してるだけやん。子どもに会いたいらしい。
いつのまにやら主役交代。今度は水パクリ女だ(笑)こっちも旦那を探してる。こちらはめでたく…
またおっさんに戻る。
ところでこれ何がいいの?UFOとロケットビルは何?どういうこと?賞を受賞したらしいが私には全く面白くなかった。こういう作品に深みと意味を見い出せるようにならねば評論家にはなれないのでしょうね。賞とか取ってる作品ほど私的には面白くない作品が多い。
生きるという意味。
年取って、昔懐かしく思った男が人捜しをする。
音信不通の旦那を探しに来た妻の要求は?
それぞれが未来とか考えていなくて、
今だけを生きている世界。
これが今の中国の実態なんだろうけど、
本当に貧富の差があるので、
生活が苦しい人達の人間模様。
出会った人をいちいち値踏みし、 なにがしかの金を請求する中国の地方都市の人たち。 粗野な人たちが多い。 その風情が非常に中国らしいと思った。
NHKのBS放送で映画「長江哀歌(エレジー)」を見た。
劇場公開日:2007年8月18日
2006年製作/113分/中国
原題:三峽好人
英題:Still Life
配給:ビターズ・エンド、オフィス北野
韓三明
馬礼珍
趙濤
李竹斌
王宏偉
周林
賈樟柯監督
日本での配給会社はなぜかオフィス北野になっている。
理由は判らない。
韓三明は16年前に別れた妻(馬礼珍)と娘に会いに三峡にやって来る。
出会った人をいちいち値踏みし、
なにがしかの金を請求する中国の地方都市の人たち。
粗野な人たちが多い。
その風情が非常に中国らしいと思った。
ダムの建設のために沈む予定の街。
立ち退きを強いられる人たち。
しばらく不在であるという妻を待って韓三明は解体現場で働くことに。
趙濤は2年間会っていない夫に会うために三峡にやって来た。
あちこち捜し歩いた後にやっと会えた。
夫と少しダンスした後趙濤は
夫と別れることにした。
夫には別の女性がいることを趙濤は気づいていた。
今から16年前の映画だが生々しい中国を堪能できるいい映画だった。
満足度は5点満点で5点☆☆☆☆☆です。
余韻がハンパない
時に静謐に、時に破壊的に世界を確かなまなざしでとらえたペドロ・コスタの『ヴァンダの部屋』を思わせるドキュメンタリーのような雰囲気。
淀川長治は「いい映画には必ず庶民の生活が描かれていて、そこに今がある。今の映画を見なければいけない」と言っていた。まさにジャ監督は、中国で現在(当時)起きている問題を庶民の目線で描いてくれた。
こだわり抜いたショットから監督の被写体への愛を感じる。
人々は、煙草、酒、茶、飴の甘渋い味をほどこし合う。相互作用性と並列性が、人間の意識や心を組み立てている最も重要な特徴であることを二人の主役の道筋で論証する。
他者や異郷との親密な心情の交換、自身の内なるものを求めるしか辿れる道はないことを主役の二人が語っていた。
ジャ監督は中国人に対して絶望しているのではなく、「絶望を問題にできない中国人」を問題にしたかったのではないか。
不自然な綱渡りのシーンは「でたらめな中国」「恐ろしい中国」「絶望を問題視できない中国」を連想させる。異様な社会の中で謎のバランスを保っているように見えるが、あとほんのわずかで真っ逆さま。
中国だけじゃない。わずかなバランスが崩れれば真っ逆さまなのは世界も日本も同じ。
映画を観ることは世界を知ることだ。
【中国経済成長を代表する三峡ダム建設により、人生を狂わされた人々の姿を描く。現代中国で、この作品は上映されることを許可されたのだろうか・・。】
■長江の景勝地・三峡の畔にある古都・奉節は、ダム建設によって水没することが決まっている。
別れた妻子を探す炭鉱夫・サンミンは、16年振りに故郷を訪れ、妻子が住んでいた場所がすでに水没したことを知る。
一方、音信不通の夫を探すシェン・ホンは、夫の工場を訪ねるが…。
◆感想
・三峡ダム建設により、中国は莫大な電力を確保した事は、周知の事実である。日本で言えば、黒4ダムの様な位置づけであろう。
・今作では、三峡ダム建設を賞賛する訳でもなく、淡々と建設により家族と引き裂かれた人々の姿を描き出している。
ー 現代の中国でこの作品は上映出来たであろうか・・。つい最近も、何の理由もなく上映中止に至った作品が4作もある。-
<今作では、若き名匠、ジャ・ジャンクー監督が、ダム建設で水没する古都を舞台に人間の生の瞬きを描き出す。たばこ、酒、茶、あめという中国人に大切な4つの品を題したパートで構成されている作品である。>
■優れた映画監督がいる国で、映画製作、公開が困難な国が複数ある。
一つは中国であり、もう一つはイランである。中国では、チャン・イーモウ監督が上手く立ち回っているが、イランはアッバス・キアロミスタという名監督がいるにもかかわらず、ジャファール・パナヒ監督は「これは映画ではない」などを公開しつつ、頑張って良作を発表している。
映画は、娯楽であるが、その国の文化度を表すモノであると私は思っている。
今作は、そのような意味でも重要な作品であると、私は思うのである。>
ここにもまた不条理があり、それでも人生はつづく
不審な音がして
おや
も思うと未確認飛行物体、円盤が空に現れ、
アートなのか何なのか風光明媚なはずの長江の景観に現代的でもありなんか遺跡的でもある人工的な建物がロケットとなり空に飛び立つ。
突然だけどなんか納得しちゃう、アピチャッポン監督のようなテースト。
川があり、歌があり、たばこがあり、酒があり、
コンクリートで重層につくられた、ちょっとした都市には人がひしめき暮らしているが印をつけられやがてダムの底に沈む。
国の大事業であるダム。誰もハッピーではなさそうだが、ちゃくちゃくと立退や排除が進みこのような街だから悪い人もたくさんいて、、
香港映画を真似てきどる不良少年
最初はぼられ友だち、義兄弟になる主人公の無口な訳ありのおとこ、妻と娘を探す。妻の実家はダムの底。
帰らない夫を探す妻、
それぞれにコクサク事業のダムに沈みゆく街でその日を生きる。みんな今のことだけ、あとは諦めてる感じ。
不思議な手品やバンドなどのエンタメ、、突然の円盤やロケット噴射よりよほど度肝を抜かれ、えっ???てなる。
「叙事詩」でもなく「叙情詩」でもない「叙景詩」か「叙時詩」とでも呼ぶべき映画の形。
①(どちらも山西省から)(これまたどちらも)いずれ三峡ダムができれば水没してしまう街に、長い間音信不通の夫と妻の話が一応映画の進行役を務めているが、それがこの映画の主題とは言えない。②
淡々とした映画
淡々とした映画で、なんとなく見てしまった映画。
中国の貧しい時代を見て、なんだかすごいなぁと思う。
みんな精一杯生きている姿は、見応えがある。
3万元を返すため?山西の炭鉱に働きに行くと言うので終わるが、よく見ないと、話の流れがわからなくなり迷子になるかも。
中国人の生活の実態
チャオタオ扮する子供を探していたハンサンミンは三峡ダムに沈んだ所へ16年ぶりにやって来てあ然とした。全く中国人のたくましさと言うかランニングシャツ一枚で移動する姿にうんざりだね。中国人の生活の実態かな。
夫婦関係が街の歴史と重なり合って…
相当時間をおいてからの再鑑賞。
以前はなかなか理解が及ばなかったが、
今回は興味深く観ることが出来た。
別れた相手を探す男女二人を淡々と描く、
何とも変わった雰囲気の作品だ。
それにしても、製作から16年経って
現在の中国共産党政権だったら、
このような映画製作を許可しただろうか
との思いに至る。
元々がダムに沈む街というネガティブな
背景の物語なので、
若干は割り引いて判断しないといけない
のかも知れないが、
中高層ビルマンションを背景とする中でも、
人身売買的な社会状況も含め、
貧しく廃退的な雰囲気を
つぶさに描くことが出来たのは、
北京オリンピック開催やチベット暴動の前
だったから可能だったのだろうか。
交錯することのない主人公二人の男女は、
それぞれ離婚こそしてはいないが、
長く別居していたにも係わらず
何故か相手に会いにダムで水没する街に
遥々やってきて、そして再び別れ去る。
若い頃に火事の現場に遭遇して、
やたら涙が出たことを思い出す。
それは家が焼失することにより
家族の歴史が消えていくような悲しみを
覚えたからだったが、
この作品でも、
二組の夫婦関係としての歴史が消える
ことを、
ダム建設によって街の歴史が消えることに
重ね合わせているのだろうか。
この年のキネマ旬報のベストワンに選ばれた
不思議な余韻を残す作品だ。
ロケット・ビル!?
この映画には二人の主人公がいる.
一人は男.
彼は人を捜すため,ある町にやって来る.
そこは,いずれダムの底に沈む運命の町だった.
町では既に住民の立ち退きや家屋の取り壊しが始まっていた.
町中の家々が人々の手によって打ち壊されていた.
町の風景の一部だった巨大なビルが,
仕掛けられた爆弾によって破壊され倒壊し,
一瞬の内に消えてなくなった.
それらすべてを目撃したのが,この男だった.
もう一人の主人公は女.
彼女もまた,人を捜すため,この町にやって来ていた.
ただ,彼女がこの町で体験したことは,
男が体験したこととは全く違っていた.
彼女の周りでは異常な出来事が頻繁に起こった.
UFOが町の上空に飛来したり,
ビルが突然ロケットのように煙を吐いて飛んで行ったりした.
しかし,それらの出来事を目撃した人は誰もいなかった.
女もまた,これを見逃している.
彼女は,男と違って,
出来事の目撃者にはなれなかったのだった.
唯一,映画の観客だけが,その目撃者だった.
目撃者は当然,目撃したものの意味を尋ねるだろう.
しかし,映画の劇中人物にはそれを目撃した者がおらず,
よって,映画の中でその話題が語られることは一切ない.
まるで,そのような奇怪な出来事など
何一つ起こらなかったかのように,
平然と映画の物語は進んで行く.
そして,二人の主人公が,
それぞれに捜していた人を見つけ出し,
映画はあっけなく終わるのだった.
観客にとっては,そんな人捜しの物語など
途中からどうでもよくなっている.
気になるのは,あのUFOやロケット・ビルなのだった.
ここで思い出されるのが,
女の周りでは奇怪な出来事が起こっているのに,
男の周りではそうでもないと言う事だった.
しかし,本当にそうだろうか?
町の人々が家を壊してまわったり,
ビルが突如崩壊して町の風景が一瞬で変わったりする,
それが奇怪な出来事ではないと言えるだろうか.
そもそも町が一つ水の底に消えてなくなると言うこと自体,
充分に異常な事態ではないか.
ダムを建設するからと言う,ただそれだけの理由で,
こうしたことが平然と行われていることの異常さを
私達に気付かせてくれたのが,
あのUFOやロケット・ビルではなかったか.
UFOやロケット・ビルについては,
監督のジャ・ジャンクーが説明している.
なぜUFOを出現させたのか?と言う問いに対して彼は,
「ダムに沈む町が余りにも寂しいから
異星人でもやって来たらいいなと思った」
みたいなことを言っている.
また,ビルをロケットのように飛ばしたことについては
「美しい町の景観にそぐわないから飛んで行ってもらった」
みたいなことを言っている.
ただそれだけの理由でUFOやロケット・ビルのエピソードが
映画の中で語られたとするなら,実に下らないが,
しかし,だとすれば「町の水没」についてはどうなのか.
町の水没については「ダムを作るから」と言う
ただそれだけの理由で正当化がなされている.
ジャ・ジャンクーが,
「寂しいから」とか「景観にそぐわないから」と言う
ただそれだけの理由でUFOやロケット・ビルを
正当化したことが非難されるなら,
「ダムを作るから」と言うただそれだけの理由で
町の水没が正当化されるのも当然非難されていいはずだ.
ジャ・ジャンクーがそれを言わんとしているのなら,
彼の下らない説明は,
あえて為された一つの戦略だったと見なされるべきである.
なお,ジャ・ジャンクーの「下らない」説明の詳細は以下の通り.
「初めてこの建物を見たとき、三峡の神秘的な風景の美しさにまったく合わないので、飛んで行って欲しいと思ったのです。また、UFOが出てきますが、三峡ダムの工事は、世界的にも大きな出来事でしたので、2000年から2004年位までは国内だけでなく海外からも沢山のメディアが訪れて報道されてきましたが、その後はこの場所で暮らす人々の暮らしや目の前に存在する問題について誰も取り上げなくなり、忘れられた場所になってしまったのです。私はとても寂しさを感じ、こんなときに異星人でもやってきて話しかけてくれたらと思ったのです」
東京フォルメックス公式ウェブサイト掲載のデイリーニュース2006年11月17日号より一部引用
filmex.net/mt/dailynews_2006/2006/11/qa.html
以下は,ジャ・ジャンクーのインタビューの抜粋.
「ここではどんな非現実的な現象だって起きても不思議ではないと思えてくるでしょう.事実,たとえ背後でビルが轟音をたてて崩れても,もはやこの町では誰も驚きはしないのですから.」
キネマ旬報 2007年8月下旬号 53ページ
全11件を表示