劇場公開日 2007年6月23日

「西田敏行の貧乏神はらしくありませんねぇ~」憑神 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5西田敏行の貧乏神はらしくありませんねぇ~

2008年4月23日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 学芸会チックな作品で、もっとドタバタ劇が展開するのかなと期待せず見に行きました。浅田作品を映像化するとどうしてもチープなところが見えてきますからね。>『地下鉄に乗って』
 降旗康男監督に名作「居酒屋兆治」「駅/STATION」を撮った木村大作が撮影監督を務めるだけに映画作りはしっかりしていました。大道具・小道具の細部にもこだわり幕末の江戸がリアルティ高く描かれていたと思います。

 さて、物語は稲荷神社でたまたま拝んだのが、貧乏神・疫病神・死神の神様だった。そこから始まるエピソードがこの作品。残念ですがお地蔵さまは出てこない(^^ゞ
 日本人は自然崇拝が好きで、何でも手を合わせてありがたがる風習がありますが、現実は映画のとおり、憑神という悪霊とまでいかない邪霊がいて、不用意に神社仏閣で祈ると憑かれてしまう危険性があります。この映画で多少霊界知識の入り口になればいいですね。
 貧乏神・疫病神・死神がすべて川面に映る姿はキツネ顔であり、お稲荷さんを好物にするなんぞ動物霊の生態になかなか通じておるぞと小地蔵は思いました。

 それにしても西田敏行の貧乏神はらしくありませんねぇ、どう見てもありゃ~福の神ですよ(^^ゞ疫病神もがっしりした力士風情で、全然らしくありません。最後の死に神ときたら、もうメルヘンです(^^ゞ3体の憑神ともに人間くさく、邪霊のくせにどことなく親切であったりします。

 さて、主人公の青年武士はうだつの上がらない部屋住みの次男坊から、生き甲斐を見いだしたくお参りし、憑神に憑かれる羽目となりました。途中まで憑神を縁者に押しつけることで逆に幸運に恵まれるようになっていきます。
 未来の見えない部屋済みの身分から、妻とも強引に離縁され、極貧を味わい、不治の病にも冒され、やっと希望が見えたとき、主人公が抱いた思いは、何のために生きるのかが分からないということでした。

 主演の妻夫木聡は、うだつの上がらない部屋済住みから、憑き神たちの出会いを通じて人間として成長して過程を好演しています。顔つきも変っていきます。そのへんのメリハリがいいですね。

●ここから重要なネタバレです!
 ラストで死神を胸(?)に入れて、死地に赴く姿はなかなか印象深いし、ジンときます。人に不幸を押しつけるのでなく、自らが背負い込むことで初めて見えてくる己の人生の目的と使命。主人公は、幕末の激動期に漫然と生きるのを良しとせず歴史の大儀に殉じようとしたのです。自らが信じるもののために。

  「神にはできなくて人間にはできることがある。」主人公が死に神に語るその一言が印象に残りました。神仏も、悪霊たちもこの地上では思い通りにはできません。
 地上に生まれた今世の人間のみ新しい時代を切り開いていけます。どうか志をもって時代を駆けていってほしいと訴えている、案外骨っぽいところがある作品であると思いました。

流山の小地蔵