スモーキン・エース 暗殺者がいっぱい : 映画評論・批評
2007年5月8日更新
2007年5月12日より有楽町スバル座ほか全国東宝系にてロードショー
先がまったく読めないクールな出来映え
ジョー・カーナハンは、前作「NARC/ナーク」で見込んだ通りの、腕のある監督だった。20人を超えるキャラクターを登場させ、全員を見事に使い切っているのだ。途中であっけなく殺されてしまうヤツにも、死に様に一工夫して見せ場を与えるなんて、キャラへの愛がなくてはできない技だ。
通常、ハリウッドのアクション映画では、事件が一つの山、主人公のヒーローがもう一つの山になり、そのふたつの山がぶつかってストーリーが展開していく。ところが、「スモーキン・エース」には、最初に事件がない。キャラクターの1人が行動することで、火のないところに煙が立ち、その煙を見てさらに別のキャラクターが集まり、ぶつかり合い=事件になっていくのだ。しかも彼らは、ルックスもリズム感もてんでに違う。そのルックスの違いが、そいつの行動や振る舞い、仕事の始末のつけ方、人を殺す時、逆に殺される時のスタイルにまで完璧に繋がっていて、とてもクール。
そんなヤツらが右往左往しているのだから、誰が誰と遭遇して何が起こるのか、先がまったく読めない。予想外の顔合わせと結果に、生きるか死ぬかの瀬戸際なのに笑っちゃうこともしばしば。女殺し屋アリシア・キーズのカッコ良さにもクラクラだ。
(森山京子)