「家宅への強盗とラストシーンの繋がり」ツォツィ 根岸 圭一さんの映画レビュー(感想・評価)
家宅への強盗とラストシーンの繋がり
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ギャングである主人公のツォツィは、車を強盗したときに車内に居た赤ん坊を育てることになる。赤ん坊をそのままにしておくこともできたのになぜ誘拐したのか。それは、幼少期に親の愛情を受けられなかった自分と、車内に一人残された赤ん坊の境遇を重ね合わせたからだろう。赤ん坊を育てる中で、自分が親から受けることができなかった愛情を、擬似的に感じたかったツォツィの心境が伝わってくる。
ツォツィは赤ん坊を育てる中で周囲の人間に対する贖罪の気持ちが湧き、自分が危害を加えた人間に対して金を渡そうとする。しかしギャングとして生きてきた彼は、犯罪以外で金を稼ぐ方法を知らない。そのため、赤ん坊を誘拐したときの豪邸に侵入して、金目のものを見つけようとする。贖罪の気持ちがあるのに結局は犯罪に手を染めるしかないのが哀しい。ツォツィは、家主を殺そうとしたギャングの仲間を殺した。このときの何かを堪えているようなツォツィの表情は、既に強盗という犯罪に手を染めながらも、良心の呵責に耐えられない彼の葛藤が表現されている。
ツォツィは最終的に、前述した家主に誘拐した赤ん坊を返そうとするが、警察に包囲されてしまう。家主は、前述したようにツォツィによって命は助けられている。このことから、ツォツィの善良な人間性を家主は見抜いていた。そのため自分の子供が誘拐されたのにも関わらず、感情的にはなっておらず至って冷静だ。家主の言う「誰も怪我させたくない」「君(ツォツィ)も傷つけたくない」という言葉は本音なのだろう。
赤ん坊を育ててからの心境の変化と、それでも生き方を変えられないツォツィの哀しさ、そして前述の強盗とラストシーンの繋がりが秀逸な映画だと感じた。
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