「泣きはらしました 誰がどう言おうと傑作です」東京タワー オカンとボクと、時々、オトン あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
泣きはらしました 誰がどう言おうと傑作です
紛れもなく傑作だと思います
日本アカデミー賞受賞を巡るあれこれは他作品との比較の優劣であって、本作の価値が低い訳では決して無い作品であると思います
本作単体で評価すべきです
2005年原作出版、2007年本作公開
物語は1960年代前半頃から始まり、その現代で終わります
主人公はもちろんオダギリジョーが演じるリリー・フランキー自身です
しかし、その実描かれるのは彼の目を通した両親の人生です
両親は恐らく1930年代の末頃生まれのようです
この世代の人々が高度成長期を成し遂げたのです
団塊世代が社会人になったころにはそれは終わっていたのです
そして2005年から2007年頃はその世代の人々がそろそろ寿命を迎えつつある時代であったのです
東京タワーは昭和33年1958年に完成しました
父が建設中の東京タワーの前で写真を撮ったのはその前年のことでしょう
父は嘘か真か一級建築士のようです
若い時は東京で学んでいたようです
でも写真から真面目に勉強してなかったのは明らかです
上手くいかず田舎に帰って悶々とくすぶっていたのです
やっとその資格をとったのは、ボクが中学の頃のようです
劇中、父と母の馴れ初め、父のDV、別居・・・
母がそれらをどう受け止めて人生を過ごしてきたのかが語られます
淡々と過剰なドラマはなく、これといった事件も一切なく、抑揚はなく平坦に時は過ぎ去ります
時系列は現代や、過去の主人公のある時点から、あるきっかけをもって思い出したかのように行きつ戻りして次第に現代に近づいて行きます
普通の人の人生は、そうそう起伏のある人生ではないものです
この物語の方がよほど起伏が激しいくらいです
そうして何十年も経っていって、幼児だった自分は、物心もつき、記憶もはっきりして、思春期をすぎ、独り暮らしをして、気がつけば良い年の大人になって都会に暮らしているのです
若かった両親も何時しか、年をとるのは当たり前のことです
それでも、ある時ひさびさに田舎に帰ってみたらすっかり初老に変わっていてビックリさせられるものです
オカンが内田也哉子から、樹木希林にバトンタッチされたシーンにはその驚きの感覚が見事に再現されていました
私達は主人公のボクの目を通して、この両親の人生を追体験します
この二人はどんな人生を生きてきたのかを物語から読み取ること
その人生を自分のものとして考えられること
そうして自分自身の今までの人生と比較すること
何が同じで何が違うのか
オトンもオカンも同じ人間であり、青春があり、恋愛があり、結婚して、子供を育て、別居し、父の不倫も、母のよろめきもあり、そしていつしか年老いていく
それは自分も同じなのだと初めて気がつくのです
その気づきがなれれば、本作は全く退屈で苦痛な時間にしかならないでしょう
東京タワーは高度成長期を支えた人々が作り、見上げて来ました
あの高いてっぺんのように成功するのだという希望のシンボルです
そして時は流れ、本作の5年後の2012年に電波塔としての役割をスカイツリーに譲りました
今はバックアップ施設となり、観光用がメインとしての隠居の身です
ラストシーンは、オカンは父が上ることがなかった東京タワーの上に、息子が登らせてくれました
高い所からの眺めはさぞかし気持ちが良かったでしょう
この世代の人々の人生はこうして完結していったのです
このように一つの世代が終わり、次の世代、そのつぎの世代と世の中は移り変わって行くのです
オカンからミズエさんへの手紙にはなんと書いてあったのでしょう?
彼女は読み終わって涙顔になっています
オカンとはこの三人で東京タワーに登る約束でした
オカンは息子がミズエさんと別れたことは気づいていたに違いありません
ラジオのことを知っていたくらいです
次の世代をオカンは気遣っていたに違いありません
その後の二人がどうなるのか?
それは語られません
映画はそこで終わるからです
それは私達が紡いでいく物語だからです
オカンはそれでもオトンを愛していました
オトンが来ると聞くと髪がどうだとか大騒動です
オトンも別の女性と暮らしていたとしても、オカンを本当に愛しています
それがラストシーンに近づいてくると次第に明らかになって行きます
自分が愛しあっている両親から生まれたことを知ること
それは子供に取って最高の幸せだと思います
その事がオカンの二人への最高の遺言であったのだと思います
泣きはらしました
誰がどう言おうと傑作です