「登場人物のさばき方」虹の女神 Rainbow Song 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
登場人物のさばき方
VOD(Unext)に入荷していたので見返した。
忘れられない映画。
なぜよかったのかというと、
①大量の登場人物をさばいている。
②筋が豊富。
③雰囲気でもっていこうとしない。
──の三点だと思う。
①②物語の主軸は市原隼人と上野樹里だが、蒼井優や相田翔子や酒井若菜や鈴木亜美が特長的な役回りで出てくるし、佐々木蔵之介や小日向文世がそれぞれ持ち味を発揮するし、映画中映画の「地球最後の日」もある。話が枝へ飛んでいくにもかかわらずしっかりと主軸にもどってくる。筋が豊富で複層に重なった話がしっかりと転結する。
③「雰囲気でもっていく」とは元来まとまりのない話をなあなあにまとめ上げること。さらに言うと見る人がなんとなく許容してやることによって、または俳優の熱演によって、某映画レビューサイトの3.5に落ち着いてしまう、じっさいにはそれほどでもない映画のこと。たとえば今泉力哉みたいな。面白くはなかったけれどおしゃれでした──という感じの映画。あるいは(たとえば)さよならくちびるっていう映画あったじゃないですか。ハルレオっていう映画内デュオを映画外活動させることでパブリシティを強化してたとえ映画がつまんなくても周囲の同調で乗り切ろうとすることを「雰囲気でもっていく」と言う。
虹の女神はベースにしっかりとしたストーリー(原作:桜井亜美)があって雰囲気でもっていこうとしていなかった。脚本にクレジットされている網野酸は岩井俊二の変名だそうだが、おそらく岩井俊二関連の映画としても、もっとも雰囲気で押し切ろう──とはしていない映画だった。気がする。
映画を一言で言うと鈍すぎる岸田君(市原隼人)。観衆はあおい(上野樹里)が岸田君が好きなことに気づいているので、いわゆるベタな話だがさんざん枝話へ振りながら悲哀を盛り上げていく。
『劇中に登場し、重要な役割を担う一万円札の指輪の作り方がパンフレットの中に記載されている。』
(ウィキペディア「虹の女神」より)
一万円を折って指輪にするクセがあった岸田君があおいに一万円をあげるときに、まるで新郎が新婦に指輪とはめるときのように、手をもってはめるんだ。そのとき雨上がりの落日の方向に虹が見える。それが物語の脈所になっていてタイトルのゆえんでもある。考えてみれば女の子の手をもって指輪をはめる──なんてことは、何気なくすることじゃないが、超が付くほど鈍感な岸田君は、何気なくそれをしてしまい、あおいの片思いの苦悩がはじまってしまう。
あおいの他に個人的にもう一人可哀想な人物が出てくる。
相田翔子は26歳だと偽っている34歳の女であり、行き遅れたオールドミスという設定だったが、現実に置き換えると若い男が幾らでも寄ってきそうな充分に若く秀でたエロス資産の持ち主だった。この映画の製作年は2006年だが当時に比べて晩婚化が進み2024年現在は不惑(40歳代)結婚の時代とさえ言われている。
したがって相田翔子のキャラクターにはすでに現実味がないが、虹の女神の相田翔子は、すごく寂しそうだった。その寂しげな雰囲気が琴線にふれたので、個人的には上野樹里や蒼井優よりもvividに記憶している。ご同意いただける男性がきっと多数いるだろう。(と思う。)
市原隼人のくせっぽさも良かった。昔から市原隼人は下手と言われることが多い俳優だった。しかし、くせっぽさが俳優の魅力であるばあい、演技の巧稚で俳優は測れない──と最近は思う。
たとえば東出昌大は「棒っぽい」ので、しばしば下手と言われてしまう俳優だが、見ていると東出昌大の棒っぽさは彼のくせっぽさでもある。くせっぽさならばそれは魅力たりえる。
たとえば小津安二郎映画では出演者全員が棒っぽい。それは、とりもなおさず無感情で棒の如く演じるように演技指導されているからだ。小津シンパサイザーのアキカウリスマキの映画も小津にならっているので出演者全員が棒っぽい。
棒を求められているならば、棒っぽさは下手と繋がらない。小津安二郎の口癖は「能面で(演じてほしい)」だったそうだ。役者たちは感情を出さないように指示されていた。小津映画に出てくる無表情で棒読みする笠智衆や佐分利信を見て上手とか下手とかを言えますか──言えやしない、という話である。
ところが東出昌大は小津やカウリスマキに出ているわけでもないのに棒っぽい。
しかし(たとえば)「世界の果てに、東出・ひろゆき置いてきた」に出てくる東出昌大は自然体で棒っぽさがない。演技するときだけ棒っぽくなるわけである。つまり棒っぽさは彼の演技のくせっぽさといえる。くせっぽさならばそれは魅力たりえる──というわけ。
ならば市原隼人は魅力的だったといえる。とりわけ、たどたどしい台詞まわしをするこの時代の市原隼人はとても個性的だった。
映画はプレイワークスプロジェクト映画第一弾であり、プレイワークスとは、2004年4月1日に発足された、岩井俊二が主宰する映画製作プロジェクト──だそうだ。
こういったプロジェクトが出端だけ華々しくて、その後は鳴かず飛ばずになるのはありがちだが、それはともかく、虹の女神は第一弾らしく意欲的で充実した内容の映画だったといえると思う。
ちなみにこの映画の製作年、2006年をぐぐったところ、おなじく忘れられないハチミツとクローバーや中村義洋のルート225、アヒルと鴨のコインロッカー、李相日のフラガール、ハリウッドリメイクされたタイヨウのうたや、上野樹里と沢田研二の名編幸福のスイッチや、三谷幸喜のTHE有頂天ホテル、山田洋次とキムタクの武士の一分、森田芳光の間宮兄弟、西田美和のゆれるなど記憶に残っている日本映画が結構あり、すくなくとも2006年は日本映画はだめじゃなかった──と思った。
imdbには充分な分母(採点者)があり7.3だった。