薬指の標本のレビュー・感想・評価
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見方による
謎だらけの作品
この作品が日本人作家の同名小説をフランス人が映画化したというのを見て驚愕した。
理解できない部分があまりにも多く、個人的にはこれがフランス人のものの考え方というのかセンス何だと思ってしまっていたからだ。
これは日本人の小説だった。
改めて驚きを禁じ得ない。だから再考察した。
小説は読んでいないので何とも言えないが、伏線のようなものが数々あるにもかかわらず、何一つ回収されないことが不思議過ぎる。
回収などしないことに意味があるのかもしれない。
しかし、
そもそもこの作品はリアルな描写にもかかわらず、ほぼほぼそれは幻想または幻覚を表現していると考えざるを得ない。
タイトルから想像するのは概ね1本の薬指だが、主人公イリスの指のほとんどは再生されているように見える。
飲料水工場での事故は、割と軽いものだったと思われるが、うら若きイリスにとっては重大な事故、心が傷つくような事故だったのだろう。
仕事を辞めて新天地に出向き、そこでようやく仕事を見つけた。
標本作り
中々仕事など見つからないご時世だったようで、選択などできなかったのだろう。
面白いのは、彼女に対し何人かの人が妙な話をする点だ。
それは表面上、映画を見ている我々にとって代わる質問のようでもあるが、物語を進行させるためのご都合主義的なものだとも受け取れる。
彼女は「自由になりたくないの」という。
それは、このご時世自由などないし、多少縛られていた方が生きているのを感じるからだろうか?
彼女の気持ちが読み取れない。
そもそも標本という概念からしてそうだ。
意味が解らない。
それに意味を持たせたのはわかるが、エスカレートして楽譜や火傷やマージャン牌など、おおよそ標本になどできない、または少なくともホルマリン漬けにはならないものばかりだ。
標本
作品の中のそれは、持ち主と品物との関係 遠ざけたい思い出 封じ込めるためのもの そして想い出からの解放を願ってやってくる。
あるはずのない仕事
幻想
主人公の幻想
その標本を作る仕事を選んだ彼女は、自分自身が標本となることを願っていたのだろうか?
特に最後のシーンは読みとくのが難しい。
火傷を標本にしてほしと依頼した少女
彼女はどこへ行ったのか?
自分の薬指も標本にしてほしいとイリスは頼んだが、拒否された。
薬指の先端はすでにないし、再生もしている。
でも彼女はラボの標本カードに「薬指」と記載した。
26 F 300g
サイズが26 女性 300gは片方のパンプスの重さだろうか。
そして地下室へ。
奥の扉からあふれる光。
その前で両方の靴を置いたまま彼女は中へと消えた。
それは、この建物に未だ住んでいる女性の話した「前の人」が消えた話と呼応する。
この物語は、
世相への当てつけ表現なのかもしれない。
世の中も人間も変わってゆくが、想い出は変わることがない。
その思い出が良いものであれば問題ないが、悪い思いでしかない。
その思い出すべてを私から遠ざけてしまいたい。
作家のそんな思いがこの小説を書かせたのかもしれない。
そしてそんな思い出しかない私そのものを、遠ざけてしまいたい。
火事で何もかもをなくした少女は、イリスの群像だろう。
前に勤めていた娘も群像に違いない。
一つや二つの辛い思い出なら標本化できるが、何もかもが辛い場合、自分自身が標本化された方が早い。
ただし、
少女のように悩み悩んだ末の決断であれば、それを認めるが、イリスのようにまだ十分に悩んでない場合はそれが認められないのだろう。
この作品のテーマは自殺への過程かもしれない。
高野悦子さんの日記「二十歳の原点」を思い出してしまう。
自殺の前に考えてしまうこと。
それがこの作品そのものだったのだろうか?
そう考えるとかなり重々しい。
そしてこの考えは、フランス人の考える人生観とも深く呼応しているのだろう。
偏愛の末路を描く?
〈映画のことば〉
忠告しておこう。
履き心地が良くても、履き過ぎはいダメだ。
さもないと、足を失うことになる。
足と靴との間に、ほとんど、ゆとりがない。
その靴が足を侵し始めている証拠だ。
いきなり唐突な話題になりますけれども。
イリスの前任の事務員は、どうして急に、このラボを「辞めた」のでしょうか。
イリスと同じ条件を提示されていたとすれば、彼女も、その前職の25%アップの報酬という好条件を提示されていたはずですけれども。
彼女の「辞職」…否、失踪に、ラボの所長が無関係ではないことは明らかだと思いました。評論は。
(最後に彼女を目撃したという223号室の女性は、彼女がハイヒールを履いていたと言っていました。やはり、ラボの所長から贈られたものなのでしょうか。)
そもそも、標本の素材になるのは、依頼主が身の回りから離して、忘れてしまいたいもの。
そして、それ故に、依頼主が標本を見学に訪れることは、ほとんど皆無とのこと。
職探しに疲れてか、当て所なく歩き回るうちに偶然に見つけたようなラボでしたけれども。
そのラボに就職してから、紐とじの踵の低いパンプスに代えて、ラボの所長から贈られた濃紅色の(官能的な?)ハイヒールを履いていたイリス。
靴磨きには「自由になりたくない」といっていた、その言葉の通りに、いわば吸い込まれるように、ラボの所長がふだん起居している地下室へと入っていったイリスの後ろ姿には、思わず身震いすらするような感慨もあります。
脱ぎ捨ててしまったということは、たぶん、くだんのハイヒールも、もう彼女には拘束具としての必要性(役割?)が、なくなったことを意味するものだと、理解しました。
おそらく、最後にはイリスも、このラボで事務員として働いていた多くの女性がそうなったように、ラボの所長の標本にされて、永遠に、このラボで「保存」される末路を辿(たど)ることになるのでしょうか。
いわゆる「のめり込み」が危ないというのは、何も競馬やパチンコなどのギャンブルの世界に限ったことではなくて。
愛欲の世界への「のめり込み」も危ないよという教示的な一本でもしあったとすれば、どこかのサイトの解説にあった「静謐な愛の寓話」というフレーズそのものとして、佳作であったと思います。
(追記)
ちなみに、ラボの所長がイリスとの密会に使ったのは、ラボの建物が女子寮として使われていた頃は、お風呂場だった場所。
もちろん、本作でも、このラボ自体の見取図(平面図)のようなものは出てこないので、あくまでも評論子の推測なのではありますけれども。
お風呂場だったのであれば、湿気を考慮して、建物全体では、他へは音も聞こえないような端の方に位置していたはず。
仮に、男女が争うような物音…もっと言えば、男が無理矢理に女の首を絞めたりしたときのような物音や(例えば、イリスの前の事務員の)叫び声がが立つようなことがあったと仮にしても、きっと、女子寮時代からの住人の223号室にも309号室にも、何も聞こえなかったのだろうと思います。
21歳の若いイリスと、そろそろ中年の域に達しようかという年代のラボの所長―。
評論子の想像力(妄想力?)は、逞(たくま)しすぎるでしょうか。
(追記)
ラボのたてもは、もとは女子寮だったとのこと。
ラボの所長の標本にされるためとはいえ、「多くの女性が集まる」という意味では、ある意味では、やはり、このラボの建物は今でも「女子寮」なのかとも思いました。
キュリレンコンさんの裸
を、観せたかった?魅せたかった?だけかな。
原作は知らないけど、たぶん全然違うんだろうな。
誘って、やって、次の人…って事?
ミステリー?変態?純愛?
オチも私には理解不能?
やっぱり女優さんは経験重ねて円熟してきた方が
全然イイですね
君の靴のサイズは・・・わかってる
幻想的、官能的な雰囲気に包まれる元大浴場のラボ。靴のサイズを聞くまでもなく新しい靴のプレゼントをする博士だった。もしかすると、潔い数字だったのかもしれないが、自らすすんで靴をイリス(オルガ・キュリレンコ)に履かせるシーンを見ていると、これは小川洋子原作の「博士太郎(履かせたろう)の愛した化学式」だったのかもしれない。
序盤から薬指を切ってしまうというショッキング映像によってスクリーンに引き込まれ、ホテルでは昼夜交互の奇妙な相部屋となったという設定によって心奪われる。現実的なホテルや港と森の中にある幻想的なラボとが絶妙なバランスを保ち、語ったこともない相部屋の青年は主人公イリスの残した衣装の残り香を楽しむかのように物思いにふける。しかし、イリスは以前勤めていた工場で左手の薬指の先を切り落とすという事故に見舞われていたのだ。指輪をはめる薬指がその現実的な男女の恋を拒絶しているかのように、彼女は次第に現実離れした世界に自分の居場所を確保してしまったかのようでした。
標本室という奇妙な職場。そこには人々が自分から遠ざけたいものを預け保管してもらいたいとやってくる。「思い出の音楽を預かってもらいたい」などと注文されたら、普通はテープやCDに録音するのかと想像しますが、ここでは住人の老女にピアノを弾かせ、その音を標本瓶に入れておくのです。やがて一人の若い女性が訪ねてきて「頬の火傷を標本してほしい」と注文を出す・・・
イリスは虚弱体質じゃないんだろうけど、手に持ったモノをよく落とします。ただでさえこのようにバランス感覚が悪いのに、プレゼントされた靴によって心身ともにバランスを崩しはじめる。にじみ出る欲望のはけ口を見つけたかのように、博士に体を委ねるほどの精神状態に徐々に陥る様子がうかがえます。そして、謎の古びた集合写真や、どこまでが彼女の妄想かわからないような一人の少年の姿がちらついてくる。幽霊?幻影?現実とは微妙に違う感覚と現実の世界の橋渡し的存在だった靴磨きの黒人男性も印象に残ります。
【2006年12月映画館にて】
小川洋子の同名小説をフランス人監督ディアーヌ・ベルトランが映画化。...
小川洋子の同名小説をフランス人監督ディアーヌ・ベルトランが映画化。
標本作りという不思議なテーマの美しい作品。
セピア色に近い光と影が幻想的。
観る人によって解釈が大きく分かれるでしょうね。
ステキな作品でした。
ミステリアスな世界観を味わう作品。 とても良かった。 あっという間...
ミステリアスな世界観を味わう作品。
とても良かった。
あっという間に読み終わるが原作本の方もオススメ。
神秘的…?
原作を読んだことがあったのでDVDレンタルしました。出演している俳優さんは小説を読んでいたときのイメージぴったりでした。
原作が小説ということもあるのだと思うのですが自分のイメージと少しズレがあるように感じました。でも小説と同じで不思議な余韻の残る作品だなぁと思いました。
もう1度小説を読み返したくなりました。
う~ん、アンニュイ
小川洋子原作の「薬指の標本」の映画化でございます。
展開はほぼ小説とおりで、色彩や質感は正直、この映画の方があると思う。女性が監督とのこともあり、なんとも言えない女ならではの世界観があります。
ストーリーは、前の仕事で薬指の先端を失い、新しい仕事を探しに港町に出た女が、標本を専門とする事務所の秘書を務めるという話。その事務所は変わっていて、お客が要望するものなら何でも標本にしてしまう。たとえば音でさえも標本に。頼まれたものは絶対に標本にするのです。思い出を標本にできるなら。。。そんな、実際にあったらちょっといいかもというありえない話を、いとも簡単にありえそうな話にするのだから、やはりこれは監督さんの力量なのでしょう。
どこかじめじめとしてて重たそうな映像世界は、それでも不思議にふわふわしている。そんな世界にベス・ギボンスのあのキッチュで無重力な音楽がぴったりくるんだ。理解してないのに心に残る作品です。「あたしを閉じ込めて」なんて、かなりくらっとくる表現です。
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