「偏愛の末路を描く?」薬指の標本 talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
偏愛の末路を描く?
〈映画のことば〉
忠告しておこう。
履き心地が良くても、履き過ぎはいダメだ。
さもないと、足を失うことになる。
足と靴との間に、ほとんど、ゆとりがない。
その靴が足を侵し始めている証拠だ。
いきなり唐突な話題になりますけれども。
イリスの前任の事務員は、どうして急に、このラボを「辞めた」のでしょうか。
イリスと同じ条件を提示されていたとすれば、彼女も、その前職の25%アップの報酬という好条件を提示されていたはずですけれども。
彼女の「辞職」…否、失踪に、ラボの所長が無関係ではないことは明らかだと思いました。評論は。
(最後に彼女を目撃したという223号室の女性は、彼女がハイヒールを履いていたと言っていました。やはり、ラボの所長から贈られたものなのでしょうか。)
そもそも、標本の素材になるのは、依頼主が身の回りから離して、忘れてしまいたいもの。
そして、それ故に、依頼主が標本を見学に訪れることは、ほとんど皆無とのこと。
職探しに疲れてか、当て所なく歩き回るうちに偶然に見つけたようなラボでしたけれども。
そのラボに就職してから、紐とじの踵の低いパンプスに代えて、ラボの所長から贈られた濃紅色の(官能的な?)ハイヒールを履いていたイリス。
靴磨きには「自由になりたくない」といっていた、その言葉の通りに、いわば吸い込まれるように、ラボの所長がふだん起居している地下室へと入っていったイリスの後ろ姿には、思わず身震いすらするような感慨もあります。
脱ぎ捨ててしまったということは、たぶん、くだんのハイヒールも、もう彼女には拘束具としての必要性(役割?)が、なくなったことを意味するものだと、理解しました。
おそらく、最後にはイリスも、このラボで事務員として働いていた多くの女性がそうなったように、ラボの所長の標本にされて、永遠に、このラボで「保存」される末路を辿(たど)ることになるのでしょうか。
いわゆる「のめり込み」が危ないというのは、何も競馬やパチンコなどのギャンブルの世界に限ったことではなくて。
愛欲の世界への「のめり込み」も危ないよという教示的な一本でもしあったとすれば、どこかのサイトの解説にあった「静謐な愛の寓話」というフレーズそのものとして、佳作であったと思います。
(追記)
ちなみに、ラボの所長がイリスとの密会に使ったのは、ラボの建物が女子寮として使われていた頃は、お風呂場だった場所。
もちろん、本作でも、このラボ自体の見取図(平面図)のようなものは出てこないので、あくまでも評論子の推測なのではありますけれども。
お風呂場だったのであれば、湿気を考慮して、建物全体では、他へは音も聞こえないような端の方に位置していたはず。
仮に、男女が争うような物音…もっと言えば、男が無理矢理に女の首を絞めたりしたときのような物音や(例えば、イリスの前の事務員の)叫び声がが立つようなことがあったと仮にしても、きっと、女子寮時代からの住人の223号室にも309号室にも、何も聞こえなかったのだろうと思います。
21歳の若いイリスと、そろそろ中年の域に達しようかという年代のラボの所長―。
評論子の想像力(妄想力?)は、逞(たくま)しすぎるでしょうか。
(追記)
ラボのたてもは、もとは女子寮だったとのこと。
ラボの所長の標本にされるためとはいえ、「多くの女性が集まる」という意味では、ある意味では、やはり、このラボの建物は今でも「女子寮」なのかとも思いました。
おはようございます。
原作(小川洋子)持ってます。
偏愛してる小説です。
もっとも普通っぽい小川洋子さんの中のアブノーマルな脳内に
震えます。
オルガ・キュルレンコのお宝映像ですね。