ゲド戦記のレビュー・感想・評価
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世界の黄昏時に手を取り合うこと
「金曜ロードショー」で3回目の鑑賞。
原作は未読です。
特撮ファンにとったら、「ガメラ2 レギオン襲来」での水野美紀のセリフ―「『ゲド戦記』の、後ろ」でお馴染みの原作の一部分を換骨奪胎し映画化していることで、ストーリーが非常に分かりにくいと云う批判を受けた本作。
今回久しぶりに鑑賞し、難しいなと感じる部分もありましたが、我々が抱える様々な問題を、人間と竜の関係性、均衡が崩れた世界として比喩し、異種族との和解、自分自身を受け入れることの素晴らしさ、限られた命をどう生きるかと云う問い掛けが心に沁みる作品だなと思いました。
アレン(人間)とテルー(竜)がはじめは誤解によって相手を避けていたものの、次第にお互いを理解し、手を取り合って困難に立ち向かって、それを克服していく様はまさに今私たちが生きる世界が求める理想そのものではないかな、と…。
【均衡】
この作品はジブリ作品の中では結構評価が低い。
宮崎吾朗さんの次回作が控えるためのテレビ放送だとは思うが、序盤でハイタカがアレンに話す言葉を聞くと、何か偶然とは思えない気もする。
「疫病は世界が均衡を取ろうとするひとつの運動だが、今起きているのは均衡を崩そうとする動きだ。
そんなことが出来る生き物はこの地上に一種類しかいない。」
今回の新型コロナウイルスも、過度な開発によって人間の世界にもたらされたのは事実だ。
作品に話を戻すと、この評価の低い理由の大きなものは、原作ではアレンは王の父を殺さないというところだと思う。
殺す理由が判然としないし、アレンの二面性を理由として挙げるにも、そうした二面性を持つに至った背景が描かれないので、物語にイマイチ入り込めないからだろう。
だが、物語と向き合うと、クモの屋敷で、ハイタカとアレンが相見える場面で、ハイタカに刃を突き刺すようにしたところで、アレンはアレンが父にした事を思い出す。
僕は、もしかしたら、この場面の為に、アレンの父殺しがさっていされたのではないかと思った。
人は罪からは逃れられないのだというメッセージのようにも思える。
そして、作中で何度も語られる均衡。
主に、人間の心の持ち様がテーマだ。
人の陽の部分、そして闇の部分。
死を恐れ、永遠の命を求める心。
死を受け入れ、生をまっとうしようとする心。
人間が世界で唯一、世界を再構成する力を得てしまった今、人間の行動こそが、世界の均衡のキーなってしまったのだ。
具体的なポイントを取り上げると疑問もあるが、僕は世間の低評価ほど面白くないとは思わない。
見えぬものとは何か
原作は未読です。公開時映画館で観たのですが「よくわからなかった」という印象しか残っていませんでした。先日、金曜ロードショーでやっていたのを何となく観ていたのですが、内容をほとんど忘れていた為か、冒頭、アレンの父親殺しが衝撃的でこんな映画だったっけ?と思いながら、最後まで観ていました。もう一回観たい!とまでは思いませんが、最後まで静かに引きつけられる映画でした。
物語の世界では、疫病や農地の荒廃が各地で広がり、少しずつ世界の均衡が崩れ始めています。異変に気付いたハイタカは世界のバランスを乱す根源を探す旅に出ます。
光と影。生と死。これらの‘バランス’。バランスって何だろう?影があるから光が輝けるのであり、死があるから生が尊い。両方のバランスを保つ事で世界の均衡が保たれる。言葉ではわかるのですが、抽象的すぎて私にはまだピンときていません。
安心と不安。愛情と憎悪。冷と熱。。。真逆だけど二つで一つ。どちらか一つのみでは存在できない。形や大きさ、感じ方はそれぞれであれ、誰の中にも存在するもの。その見えない形無きもののバランスが崩れると、アレンのように不安に駆られたり、更に重症化するとクモのように死を恐れるあまり生に執着する化け物になってしまったりするのかもしれません。
‘見えぬものこそ’ 映画のポスターにはそう書いてありました。アレンは見えない影に常に怯えていました。「自分の中にはもう一人の自分がいる」アレンはそう語り、もう一人の自分の存在から逃げ続けています。
影の存在ってきっと誰の中にもあるものだと思いますが、おそらく感じる力の強いアレンはその影を敏感に感じ取り、恐怖に駆られ心のバランスを崩していきます。クモの館で抜け殻状態になっていたアレンはテルーの助けで影の存在と向き合い、受け入れられるようになります。
確かによくわからない何かって怖いし、不安にもなります。でもわからないからといって逃げ続けていたのでは、いつまでも怖いままです。一度冷静になって立ち止まり、その見えない何かと向き合えば、「なんだこういう事だったのか」と一気に解決する事もあります。見えぬものこそ、きちんと見て向き合う。何事もまずは知る事から!そんなメッセージも感じ取れます。
余談ですが、、、
光と影とか、バランスと聞いて、スターウォーズを連想してしまいました。そして、すごく強いのに影の存在に怯えバランスを崩していくアレンの姿はアナキンスカイウォーカーと重なります。憎しみや恐怖に呑み込まれダークサイドへ墜ちていったアナキンと、バランスを取り戻したアレンの差って何だったのでしょう?とも考えたりしました。
才能は引き継がれず
公開された当時に見て以来。
当時はあたりにも面白くなくて途中で寝た記憶が…
今回も途中で寝てしまった…
設定等は初期ジブリを思わせるもそれだけ。
アニメ映像も何かもっさりとした印象を受けるし。
ジブリの名がなければヒットなどしなかっただろうし、劣化ジブリ等と揶揄されていたであろう作品。
純粋に面白くなかった…、
地上波放送で再視聴。
過去2回くらい観てるはずなのに結末を覚えておらず、新鮮な気持ちで観れた。
が、一言でいうと面白くなかった…。
扱ってるテーマは哲学的だし、ユーモアとか話の明るさとかは求める気はないのだけど、それにしてもなぜこんなにつまらないのだろう…。
つまらなさのありかを言語化したい。
・登場人物を丁寧に描いている感じがしない。というかシリーズものの途中作を作ったせいか、釈が足りないせいか圧倒的な描写不足を感じる。正直よくわからなかった部分多数。ここに尽きる。受け手の自分の読解力が足りない部分ももちろんあると思うけど、ハイタカとかクモさんとかもう少し丁寧に描いて欲しかった…。
・↑のこともあり感情移入するキャラクターがいない。かといって物語の構造とかを考察して楽しむ感じでもなかったと感じる。
・アレンとテルーの声優さん、棒読みっぷりが気になってしまって物語に集中できなかった…。テルーは歌部分はとても良いのだけど、セリフが残念…。
描き方によってはもっと面白くできたと思う分、何だか歯痒い気持ち。
おもしろくない、わけわかんない、
まあ、話や設定はわかっても、引き込まれるほど興味がわかなかった、というか。
リアルタイムでのテレビの放送中、Twitterでは、ファンらしき人がいい評価もしてたけど、俺は「そんなに?」って冷めたかんじだった。
本名のくだりとか、千と千尋の方がまだストーリーとしておもしろかった。
絵面(えづら)もなんかこれまでのジブリと違うかんじだし、「別物」の印象。
このころから以後のジブリに興味もてなくなった、自分としての分岐点になる作品。
怖かった……
ちょっと不安定な時に見に行ったのがいけなかったかもしれないけど。
画質、作風、ともに宮崎駿作品とは異なる。
でも、宮崎哲学は貫かれていて、色んな作品の要素が入っていた。
路線的には、ナウシカとかもののけのイメージ。
個人的には、ちょこ、ちょこ、と「そこをもうちょっと見たい……」というところがあったけど、それは、私の中に宮崎駿作品の展開が染み付きすぎているからだと思う。
宮崎吾郎監督は、あんなに偉大なお父さんに引きずられず、飲み込まれず、自分の作品をよく作りきった。
菅原文太の声はピッタリ!
テルーの歌だけでシーンをあれだけ引っ張れる手嶌葵の声も良かった。
テナーとアシタカの過去はもう少し知りたかったかな。
ナウシカと一緒で、長いストーリーの一部を映画にしたものだから、一度全編を読んでみればいいのかもしれない。
ところどころ他に広がるストーリーのヒントをちりばめたのは、それを促すためだったのかも。
単純に惹き込まれず
単純に惹き込まれる魅力を感じることが出来なかった。アレンの葛藤も、質の悪い深夜アニメのような安っぽさを感じてしまい可愛らしいねと思うか、生暖かい目でみることしか出来なかった。そんな見方をしたい訳では無かった。基本的には、厨二病と呼ぼれるような剥き出しの幼い葛藤は好きですよ。この作品は残念だけど合わなかった。
登場人物の言動も唐突過ぎてもう少し前後の感情を描いて欲しかったと思う。あと噂話過ぎのおばさん2人組を頭悪く描きすぎてて不快。個人的に主人公格を上げるために他を下げるやり方が好みでは無いので、あくまで主人公格を(内外面含めて)格好よく描けるようにして欲しかった。
何だろう。要は分かりやすく伝えてくれて良いと思う部分までが要領を得ずに散らばって、個人的には感情移入も情報からの判断もし辛い。これを考えさせられる作品とは思えない。粗末な部分を拾い上げてまで深く知りたい魅力は感じない。
生への執着が強いクモが1番好きです。クモの過去は原作にあるのかな。そこは調べて知りたいと思います。
手嶌葵さんのアルバムから入りました
TOHOのリバイバル上映で鑑賞しました。
手島葵さんの「ゲド戦記歌集」は何年も前から聴いていて大好きなアルバムなんですが、映画を観たことがなかったので(笑)この機会にと観てきた次第です。
他のジブリ作品と比べるとメッセージ性とキャラクターの魅力に乏しく、心に響くものはなかったです。街並みや世界観なんかは良かったですが。
映画のレビューはこの辺にしておいて音楽の方ですが、ゲド戦記歌集はサントラってわけじゃないんですかね?手嶌さんの歌声が聴けるのはテルーの唄と時の歌だけでした。他のアルバム収録曲もメロディは使われているものがありましたが歌は無しでした。その点はちょっとガッカリしましたが、テルーの唄を草原で歌うシーンはじっくり聴かせてくれて唯一心に響くシーンでした。
今後も歌集は聴き続けようと思います。映画はもういいかな…
説明不足で惜しい
最初は低評価だったので見るつもりはなかったものの、他の3作品を映画館で見たので、勢いで鑑賞。
つまらないとか、色々書かれていたので期待しないで見ました。
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テルーが実は竜だった、という設定は、ちゃんと説明さえしてくれたら良かったのに、惜しいなという印象。
おおまかなメッセージは良いんです。不老不死を願うんじゃなく、今ある限りある命を大切に思うことが大事って言いたいんだと思うし、それは良い。
心に闇を抱えてしまって、幽体離脱?っぽくなったり生きる怖さ故に自分でも訳のわからないことをしてしまうとか、それもまぁ有りうるかもしれないので、アレンの不安定さも一応よしとします。
残念なのは、
「竜が人間の住む領域に姿を現すなんて、ただごとじゃない!」
という設定なら、そことテルーの存在の整合性をきちんと説明しないとアウト。
冒頭で、つい最近、海に竜2匹が現れて共食いしていました。
でも実は竜だったテルーは10代後半くらい?の少女。仮に竜として生まれて普段は人間の姿で暮らしてるなら、もう10年以上、竜と人が共存してることになってしまい、「今は共存していない」という城で王に家臣が話してた、この世界の設定に矛盾します。
もしかしたら、テルーは幼少期はただの人間の女の子だったけど、ごく最近?または今回の、クモに首を締められて生死の境に瀕して初めて竜が宿った?あるいは人間としては死んだけど竜になって蘇った???のか。。?もしれませんが、倒れたあとあっさり竜となり、ここで全く説明無し。とにかくこれが最大の謎で、見ててモヤモヤ。
原作を何も読んでない私のような観客も行くので、映画だけで最低限の筋書きは説明するべき。これが無いのでテルーが竜になって、クモは倒すしまた幸せに暮らすし、っていうハッピーエンドを素直に受け入れられなくて残念。。
あと設定として気になったのは、「真の名前」が重要というのは千と千尋の神隠しと同じ。原作がそうだったなら、何も同じ設定の話を映画化しなくてもなぁ、と少し残念。人が竜に変わり、また人の姿に戻る場面、テルーが千と千尋のハクに思えてしまいました。パクったわけじゃないんだろうけど、状況が似ててなんだか残念。
敢えて評価するなら
「力を持つ者は、世界のバランスを保つためにそんなに簡単に力(作中では魔法、現代なら科学?核兵器?)を使ってはならない」という教え。
テルーの竜設定をきちんと説明したうえで、このあたりを深く掘り下げられたらもう少し高評価の映画になりそうだったので、それが惜しいです。
14年振りに見ると
これは2006年の公開当時、友人と観てすごい感動し、良い映画だと話し合った。酷評するひとも大勢居たが…自信を持って、良いと言えた。
14年経って見ると、昔ほど感動が来ない。私の心が変わったんだね。
若い頃の感受性を失ったかな?
もしかしたら、生きることの苦しみを感じ始めた若い世代、主人公のように思春期の終わりが近く、大人に移行し始めた位の心に刺さるのかな。
死ぬ怖さも、生きる怖さも、皆同じた!って言う主張は、昔と同じように心に刺さった。
感動した☆
私の評価としては☆4かなですがあまりにも評価が低く応援☆5です。今回の「一生に一度はジブリを映画館で」の観賞でナウシカにつづいて二本目です。
評価があまりに低くく見ないつもりが次の作品までに間があったから初めて見る作品を選びました。見てよかったです。
原作未読です。この作品を見て原作が読んでみたくなりました。父親を殺したとありましたが「生きているのでは?」と思ったのが気になり、その後の展開も気になり読みたいです。評価低い人ってジブリ呪縛もあるかなと思いました。このシーンもう少し短くして他にと言うのはあったけど他のジブリ作品にもあるし。物語は最高ですが2時間にまとめるには難しいのかもしれません。ジブリは俳優さんを声優に使いますが、その点かなり失敗があると思うけどこの作品では思いませんでした。特に菅原文太さんの魔法使いは大正解だと思います。感動したのに感動シーンで少し寝てしまいました。物語のとっつきとしたらオススメなのでは。実写も見たい作品です。ジブリ作品ってあまり見た事ないかもですがカリオストロ伯爵風の人ってあっちこっち出て来るのかな。
気になる作品があったらまた見たいと思います。
個人的には○
原作を知らないし、
作者の落胆ぶりも尋常じゃないよね。
先ずは原作にドップリ寄り添うとすれば
ストーリーを起承転結で分けてシリーズ
化しないと無理じゃないか?と思います
が。
去年やってたドラゴンクエストと同じで
映画1本でまとめられないし、話も変わ
ってアレッ?て思う映画なんていっぱい
あるからね。
原作を知らない私としては、ゲド戦記と
いう1映画作品として観て良かったと思
います。
背景の絵、音楽は美しい。しかし肝心の話が! 吾朗監督…
背景の絵は美しい。音楽も美しい。歌も綺麗。
そりゃさすがにジブリスタッフですから。最高のスタッフの技術を結集できますからね。
しかし、最も肝心な、脚本や絵コンテが。だって宮崎駿監督ではなく、宮﨑吾朗監督ですから。
比べるのは酷かもしれませんが、息子は天才ではなかったのですから。
(背景は綺麗でも、アニメーションとして絵の動きに、魅力が全然ありません。
何よりも、話が…)
公開当初から何度見ても、やはりこれは失敗作だと感じます。
何よりも、原作者を激怒させた点が、まぎれもない失敗の証です。
もともと駿氏の生涯の愛読書である小説。数多くの監督からの映画化オファーを、全て原作者は断り続けていた(若かりし頃の駿氏も断られたことがある。)しかし名実共に宮崎駿の実力が海外にも知られ始めた頃、原作者自身が
「もし私の作品を映像化できる人がいるとすれば、それはハヤオ・ミヤザキだけ」
と言ったことがもとで、ジブリが映画化することになったそう。
しかし、吾朗氏監督にしてしまった事が 失敗でしたね…
これまでに原作ありの映画化では、駿氏の「魔女の宅急便」も「ハウル」も、原作と違う点があっても、そのイマジネーションの素晴らしさに原作者も絶賛しました。
高畑氏の「おもひで」も。「火垂る」は原作に無い場面をたくさん入れたことで よりリアルな感動が深まりました。「耳をすませば」は、不人気すぎて連載打ち切りになった漫画を、その年の第1位のヒット映画にして、原作者は泣いて喜んだほど(作者コメントで見た記憶があります)。
「ゲド」は、原作に無い場面で、
まず 主人公が 国王である父親を殺す。しかも、最後まで本人は「何故あんなことをしてしまったのかわからない」そんな重要過ぎることを、最後の最後まで!
これは鈴木敏夫氏が「父親を殺せ」と吾朗氏をそそのかしたのだそうです。しかも試写会で「その場面で駿氏が立ち上がって出て行ったのを見て、やったー!と思った」と述べています。
なんて醜い。 原作へのリスペクトなど無く、話題作りに燃える商魂しか感じられません。
その一方で駿氏は、(インタビューで読みましたが)「千ちひ」の裏設定の1つで、油婆(鈴木氏)が坊(吾朗氏など若手)を溺愛し、血だらけのハク(駿氏)を「さっさと片付けな、もう使い物にならないよ」と捨てる場面を描き…どれだけ苦しかったでしょう。 「ポニョ」も、幼少時に一緒にすごせなかった息子への申し訳ない想いをこめて、宗介=吾朗として描いてるのだそうです。切ない…
吾朗氏の「ゲド」は、長い原作をどう2時間以内にまとめるか…と苦心するのではなく、
原作の雰囲気やエッセンスだけ頂いて、ありきたりのファンタジーアニメにしてしまいました。
(悪役は永遠の命を欲する、朝日で消える…とか凡庸すぎ。未読ですが、そんな単純な原作じゃないのでは。命は大切、とか名言的なセリフは、ただセリフとして言うだけで、アニメーションとして絵が動く力で描けていないので、いまひとつ感動に届かず、説教くさくも聞こえてしまいます。
真の名、正体は竜、など 作者の深い考えの込められていそうな点は、意味不明なまま未消化で、ただ「知りたい人は原作読んで」という丸投げなスタンスなようです。 駿氏の作品の場合、説明不足で意味不明な点は、たくさんの人が知的好奇心を刺激されて深読みし、想像を広げられる楽しみがあるのになあ。)
原作の壮大なファンタジー設定をちょっと借りてきた中で、優秀で立派な父親と比べられる自分のプレッシャー、寂しさ、吾朗氏の感情を描きたかっただけにしか感じられません。
原作者に失礼だと思います。そしてジブリにも。
もし、これがスタジオジブリとしてではなく、吾朗氏が自分で作ったスタジオで、自力で作った映画なら、星5の評価をあげても良いと思います。それなりのレベルのアニメとしては見れます。美しい部分はいくつかあります。テルーの唄声は好きです。(セリフは下手ですが)
しかし、全て七光りの世界で、話題作りに燃えるプロデューサーにそそのかされて父親殺し? 全く評価できません。嫌悪感しか無いです。
吾朗氏だけでなく鈴木氏に重大な責任があります。
ジブリ作品とは別枠の作品として扱うべきです。
もう一つ、この映画のジブリらしくない点は、後半が単純な勧善懲悪ものになってしまった点だと思う。ジブリらしさといえば、悪役もみなそれぞれ事情を抱えて懸命に生きていること、ナウシカやもののけ姫を見れば顕著だ。(ラピュタはわりと勧善懲悪っぽいムスカがいるが、あそこまで振り切って悪役だと、かえって清々しい(笑) ゲドではクモとウサギというわかりやすい悪役がいて、しかも動機は「永遠の命」と「見返してやる」というありきたりパターン。おいおい、アメコミやクラシックディズニーじゃないんだからさ…ジブリといえば物語の深みなのに。
それでも嫌いになれない宮崎吾朗監督
「一生に一度は、映画館でジブリを」っという宣伝文句にまんまと釣られて観に行ってきた「ゲド戦記」。悪い噂はチラホラ聞いていたのですが、4作品公開で3作品観てしまったら、そりゃぁ最後の1作も観たくなりますよね?
で、率直にいうと面白くはなかったです。なんとも中二病全快のストーリーでした。原作小説が1972年発行なので当時は新しかった内容かも知れませんが今観ると痛いです。いきなり原作の3巻を映画化しているので、長い物語の途中からで世界観もよくわかりません。演出も微妙でずっと盛り上がる所がないので観てて眠気をさそわれます。
声優に俳優を使ってるだけあって、全体的に違和感があるのですが、中でもヒロインのテルーの声が突出して下手い!・・・と思ったのですが、中の人の手嶌葵が福岡県出身だったので、同郷の身としては大目に見とかんといかんかなっと思いました。
正直本作は全然好きになれなかったのですが、観た後で検索していたら宮崎吾朗監督は嫌いになれないんですよね。ネットで調べてて、岡田斗司夫さんというアニメ研究者の方が話してた本作が作られるまでの経緯が面白かったので紹介させて頂きます。
元々宮崎駿監督が作りたがっていて、原作者アーシュラ・K・ル=グウィンに何度もお願いしていたのだか、ずっと断られていた。
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後年になって原作者のアーシュラさんが有名になった宮崎駿作品を観て、気が変わってジブリに映画化OKしてくれた。
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その頃には宮崎駿は高齢になっていて、もう監督をやる元気がなくなっていて、「俺が監督できないなら誰もできないので断れ」とジブリ側に通達。
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ジブリ側のプロデューサー鈴木敏夫はせっかくの機会なので作りたかったが、宮崎駿が作りたかった映画を他の監督にやらせると駿が「そこはこうじゃない、お前はわかってない」等ボロクソにツッコミを入れてくるので、おいそれと他の監督には任せられない。
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そこで駿に幼少の頃からボロクソに言われ続けて育ち、駿に抗体がある息子の吾朗に白羽の矢を立てた。
という流れのようです。息子が監督するようになった原因は駿監督にありますね。正直アニメ監督って何処までの仕事をしているのかはわかりませんが、吾朗監督は鈴木プロデューサーから抜擢されて、初めて作った割には頑張ったのではないでしょうか?鈴木プロデューサーも批判されがちですが、ワガママな天才とずっと付き合いつつ、会社を上手い事回すのは大変な事だと思います。
と言うわけで個人的に映画は面白くなくても、ワガママな父親の代わりに頑張った吾朗監督は嫌いになれません。今後も頑張って欲しいものです。ちなみに原作者に吾朗が監督する事を伝えに行った時に、批判する原作者を説得したのは原作者の息子だったらしく、後に鈴木プロデューサーがこう言ってたそうです。
「天才の息子はいいヤツだ」と。
面白かった
途中まではアレンもテルーも刺々しくてあまり感情移入出来なかったが、挿入歌テルーの歌辺りから二人が打ち解けてきて、感情移入もしやすくなってくる。声優は菅原文太、香川照之、田中裕子など圧巻の豪華キャストだが、新人のテルー役手嶌葵さんもすごくよかった。テルーの歌は名曲だと思う。話自体は囚われた女性を助けに行くという王道の話だが、原作の話がちょっとだけ会話にでてきたりして、原作を読んでいると結構壮大な話に思えてくる(影とか冥界とかテナーやテヌーの昔とか)。後テナーはドラゴン族だったんですね。原作とは話が違うけど、これはこれでよし。ドラゴンの造形が美しかった。最後にエンディングの圧巻の主題歌で涙😭
父とは異なるスタンスの映画を撮る!
「指輪物語」「ナルニア国物語」と並ぶ世界三大ファンタジー小説と評せられる。その第3巻「さいはての島へ」を原作とした本作。
立派な王様である父親を刺し殺してしまったアレンが、大賢人ゲドといっしょに、世界から魔法やまじないの力が消え去りつつある原因を探る旅をしてクモという魔法使いと対決する話。
以下は、映画を観た俺が勝手に想像した、宮崎吾郎監督(息子)から宮崎駿監督(父親)へのつぶやき。
「父さんは、"ひとり" 対 "世界" というか、"ナウシカが、アシタカが、世界をよくしよう、変えていこうとする映画" を撮るよね。そうした映画は、既に青春時代を終えた大人にはウケるかもしれない。でも、実際の若者が悩むのは、自分の中にある闇の面と光の面のギャップ、二重性ではないのかな。『一体、どっちが自分の本当の姿なんだ!』と悩むことが多いのではないだろうか。その悩みの前では、大賢人ですら無力だ、というのが真実ではなかろうか。だから、俺はそういう映画を撮る!」
吾郎監督が、原作に、宮崎親子が共にファンだというこの小説のこの巻を用いたのは、上記のような思いからだったんじゃないかなあ、と観ながら思った。
怖いのはみな同じだ。なのにあなたは、死を恐れて、生を失っている。あなたはひとつしかない命を生きるのが怖いのだ。生きて命を引き継げ。そうやって命はずっと続いていくのだから。
上記は、劇中クライマックスで、少女テルーが主人公アレンに話しかけるセリフだ。いいセリフだ。おそらく、小説ならば、読んで心にじんと染み入るだろう。
しかし、映画の中で登場人物にそのまま語らせると、なんか説教みたいなセリフと感じてしまう。このあたりが、原作と映画の難しい所なんじゃないかな。
必ずしも、登場人物にそのまましゃべらせるのがよいとは思わない。どうすりゃいいのかはわからないけれど、理想なら言える。そのままセリフで自分の耳に入ってくるのではなく、映像や、もっと短い別のセリフの積み重ねで語られて、上記したセリフのような内容を、なんだか自分で気づいた感じになったとき、猛烈に感動してる気がする。
もしも、本作が、上記のセリフを丸ごと言うのではなく進み、それでいて、観終わったときに俺が、「ああ、俺は、死を怖がっていたんじゃなかったんだ。ひとつしかない命を生きることを怖がっていたんだな。生きるって、そうじゃないんだ。生き切って、引き継いでいくものなんだなあ・・・」 なんてことを、感じることができたら、それこそ最高の感動で映画館を出るだろう。そして、駿監督の映画は、それに近いことをやっているんじゃなかろうか?
本作は、現段階ではまだ、"読むべきもの" になっていて、"観るべきもの" にはたどりついていないように感じた。絵本になったけれど、アニメにはなっていないと言うか… 贅沢を言うな、という話なのだが、ジブリだと、そんなところまで期待しちゃうな、ということです。
ほんの少しの差だと思うが、吾郎監督にはまだまだ頑張ってほしい。こっちが考えたみたいに勘違いする映画を撮れるまで。
なお、終始一貫して、淡々と語る主人公は、感情移入できるキャラクターでは、ない。だが、今回の話が、影の話であって、本人というか光の部分は、霊魂のみとなって後から追いかけてきている、という設定である以上はしょうがないのだと思う。ただ、感情移入できるキャラクターがいないと、寂しいことは確かだった。
追伸
ジブリ映画の登場人物人たちは、みんなスプーンの持ち方が変。めっちゃグー握りするよね。
2020/7/13 追記
よく考えたら、宮崎駿監督も、「千と千尋の神隠し」で、子どもの自立の話を撮ってるな。
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