父親たちの星条旗のレビュー・感想・評価
全61件中、41~60件目を表示
イーストウッド監督の戦争映画・・
この作品は、アカデミー賞を受賞したイーストウッド監督による戦争映画の名作。二部作である。アメリカ側の立場から本作品。日本側の立場から「硫黄島からの手紙」がある。まるでノルマンディ上陸作戦を思わせる硫黄島への上陸作戦。水陸両用車から次々とアメリカ兵士が上陸して、トーチカで待ち伏せする日本兵と激しい戦闘をする。余りにも過酷な戦闘シーン・・太平洋戦争がいかに残虐であったか!?そして硫黄島の摺鉢山に征服の証のアメリカ星条旗を兵士たちが立てる。ネタバレになるので後は・・戦後60年のアメリカ映画。明るい作品ではないが、2006年の戦争について深く考えさせられる作品。週刊文春「シネマチャート」洋画87位。
アメリカと日本とで、戦争に対する姿勢は大きく違う
日本人とアメリカ人では全く戦争に対する捉え方が違う。優勢、劣勢もあるとは思うがアメリカでは戦争はビジネスとしての意味合いが強いのだと思う。
硫黄島での星条旗を掲げた有名な写真が実はあの旗は2本目であるとか、戦いが終結してからたてたものではないとか、本当はこの人は写真に写ってないとかどうでも良いことの方に戦死者のことよりも関心がいってしまうアメリカ人の感性に疑問を感じた。いくら身内が死のうと、これまでの幾多の戦争でどれだけ犠牲になった兵がいようと、アメリカンスナイパーで取り上げられたように戦争が終わって帰国後にPDSDに悩まされ自殺する人がたくさんいる現実があっても戦争を支持し続けるアメリカはなんて非情な国なんだろう。
戦争は優勢な立場にいて勝つことができれば経済的に凄く良い。アメリカは戦争をしたら自分達が優勢にたてるという確信から戦争に介入し続けてきている。
無実の同国の人間を殺したら、犯罪者。無実の敵国の人を殺したら、英雄。アメリカ人がその矛盾に気づく日は来るのだろうか。
「硫黄島からの手紙」と「父親たちの星条旗」の両作品を観て戦争を肯定することができなくなった。
「父親たちの星条旗」を観て・・
クリント・イーストウッドの監督による戦争映画。硫黄島の戦いをアメリカ側の立場から作品にしたもの。日本側の立場からは渡辺謙が主演した「硫黄島からの手紙」がある。
太平洋戦争末期に水陸両用車からアメリカ軍の兵士が硫黄島に上陸し、洞穴から死守する日本軍と戦闘する。その戦闘シーンは凄まじい・・結局、アメリカ軍が占領して硫黄島の摺鉢山の頂上に星条旗を立てた。アメリカ合衆国では戦時国債の販売キャンペーンを星条旗を立てた兵士を国民的英雄にして行った。その為の銅像も出来て、国債ツアーを各地でする。だが、その兵士らのその後の人生は・・戦争の悲惨さを物語にしている。
2006年公開のアメリカ戦争映画の名作。
『硫黄島からの手紙』のほうがわかりやすくて良かった
総合:70点 ( ストーリー:65点|キャスト:70点|演出:75点|ビジュアル:80点|音楽:65点 )
思いっきり戦争の話かと思いきや、突然本国で国家の宣伝に利用される兵士の話になってしまう。この茶番劇が薄っぺらで、いやそれは映画のことではなくて国家が演じる茶番劇が薄っぺらで、観ていてくだらないと思って途中で退屈もあった。作品の質が低いわけではないけれど、戦争そのものを正面から描いた『硫黄島からの手紙』のほうがわかりやすいが、こちらは主題が地味で観ていて楽しくない。戦闘場面の描写がなかなかの迫力だったので、その対比としての茶番劇が余計につまらない。
でもそのうちそのような場面を乗り越えて、戦争だけでなく国家に利用されて人生を翻弄された兵士の心の傷が分り始めた。激戦で有名な硫黄島占領作戦は、あの場所に兵士達が星条旗を立てたから勝利を掴んだのではなく、全員が総力戦で戦った勝利の結果として星条旗を立てたのである。日本軍を制圧し、たまたまそこにいた兵士が旗を立てた。現場の兵士からすれば、その部分だけを取り上げられてもそれは真実からは程遠い。戦争の現場で戦う自分と、国民の戦意高揚と国債販売のために都合よく英雄扱いされる自分との差に、苛立ち苦悩する兵士の葛藤する姿と虚しさに余韻が残る。
そこじゃなくない?
戦争アクションとしては中々見応えがある。が、それだけ。
真面目な戦争映画としてはズレていると感じた。
この映画は、硫黄島の戦いにおいて、たまたまアメリカ国旗を掲げたに過ぎない者が、
本国で英雄視され、政治宣伝に利用されたことによる葛藤を描いている。
彼らの葛藤の根本は
「自分は英雄ではなく、真の英雄は他にいるのに…(世間はそこをわかってくれない)」
ということであるらしく、映画の描写の大半はそこに割かれる。
しかし、その葛藤自体、見誤ってはいないか。
なぜなら、世間は、彼らに特別な能力や功績がないことは知っているのだから。
つまり世間も、彼らが真の英雄ではないことはわかったうえで、
彼らを戦争のシンボルとして祭り上げたにすぎない。
彼らに、兵役で死んだ自分の息子やらを重ねただけである。
にもかかわらず、「大衆には偽者と真の英雄の違いもわからない」
ことを前提にプロパガンダを描くのは、大衆を馬鹿にしている。
そして、そもそもこの葛藤自体が幼稚ではなかろうか。
個人の能力とは関係ないところで脚光を浴びることは、長い人生の中では割とあること。
重要なのは、そこで実力のなさや、本来脚光を浴びるべき他人を慮って苦悩することではなく、
そういうものと割り切ったうえで、自分やその他人のためにどう行動するか、だろう。
この映画は、彼らを政治に振り回された被害者であるかのように描いているが、
個人的には、彼らは折角の機会を生かせずに勝手に自滅しただけで、自業自得だと感じた。
「利用されたこと」で彼らが失うものはなかったし、利用自体の強制力もそこまでなかったのだから、
一種の偶像として祭り上げられていることは自覚して開き直ったうえで、
いまのうちだけと思って、戦友のために活動するなり、権力者のオファーに乗るべきだった。
この映画の描き方では、そういう感想をもたざるを得ない。
"星条旗の下に結集せよ"
‘星条旗の下に結集せよ’
移民の国、人種の坩堝のアメリカでは全員が結集して「自分はアメリカ人ある」事を強く意識し、確認する“モノ”が重宝される。
一番解りやすいのは視覚・聴覚で訴えてくるモノで、音楽なら。
お馴染みの国歌「Star Spangled Banner」を始め、
「God Bless America」
「America The Beautiful」
「National Emblem March」
「Strike Up The Band」
「Stars And Stripes」
それにジョージ・M・コーハンの数多くのヒット曲等々。
これらの曲を聴く度に思い出すある有名な一枚の写真。視覚で訴えるのにこれ以上に効果的な‘モノ’は無い。
クリント・イーストウッドは“国家に振り回された”男達に哀惜の念を寄せながら“国家に利用された”事実を静かに訴える。
徹底的にリアルにこだわった戦闘場面を始めとして、あの戦争の不条理さを明らかにした上で如何にして“英雄”は作り上げられていくのか…。
アメリカの恥部を暴いているだけにアカデミー賞を始めとする賞レースからは冷遇されるであろうと思われるが、※1 ‘国家の為では無く、友と共に生き抜こう’とした若者たちのドラマを、イーストウッドは自分で音楽も作り彼らの魂の浄化をしょうとしている様に思え、実に感動的でした。
※1 結果はご存知の通り
(2006年11月20日丸の内プラゼール)
戦争ビジネス
正義のエゴイズム
硫黄島(アメリカ側の視点)
巨匠クリント・イーストウッド監督による、硫黄島の戦い”第1作”
太平洋戦争末期の大戦争、硫黄島の戦いについて、
1作目が、父親たちの星条旗。
2作目が、硫黄島からの手紙。
硫黄島からの手紙を観た後、本映画、父親たちの星条旗を観た。
同じ戦争を日本、アメリカの全く異なる視点で描くといったスタンスが良い。
硫黄島からの手紙では、戦力で圧倒的に上回るアメリカ軍に太刀打ちするため、
擂鉢山を始め、地下壕を拠点とした戦略などを描いている。
一方、父親たちの星条旗では、砂浜から上陸を開始するも、
日本軍による銃撃が一向になく不気味な雰囲気を漂よわせる。
そして、想定以上に戦争が長期化し、財力が減少していくアメリカ。
そこで政府に利用されるのが、本映画に登場する兵士たち。
擂鉢山頂上での、国旗の星条旗を掲げる瞬間を捉えた写真を基に、
そこに映る兵士をヒーローに見立て、国債の購入をPRしまわる。
誰も自分が硫黄島の戦いでのヒーローとなどは思っておらず、
にもかかわらず、世間からは過剰な賞賛を得るため、
彼らの心に生じる矛盾には大いに納得させられた。
戦争の意味を考える
「日本が負けた」映画を観るってのもなんだかなぁと思って、最初は観る気はあんまり無かったんですが、ついつい観に行ってしまいました。
この映画はドンパチアクションとかを期待したら肩すかしを食うと思います。昨今の映画にある人体崩壊もさほど無いし。
でも、見終わった後には戦闘の描写そのものには、さほど意味がないって思いました。
この映画を観て、改めて戦争の意味って何だろうと考えさせられました。
政治的な大義名分は何となく分かるし、戦略的・戦術的な勝利のために戦うってのも分かります。
でも、実際に銃を持って戦う兵士たちは、立派な指揮を執っていようが、敵を何人殺そうが、敵に殺されようが、味方に殺されようが結局、それは一個人の人生として完結してしまう。
その一方で、“たまたま旗を立てた”だけで英雄視されてしまう兵士もいる。
そして、その英雄でさえ戦争が終われば用無しとなって、クズのように捨てられてしまう……大義名分の前には、兵士個人のパーソナリティなんてのは消し飛んでしまう。
だとしたら、いったい何のための戦争……戦っている兵士にとって、何のための戦争だったんだろうか考えさせられました。
それは生き残ったオレたち(硫黄島で戦ったのは、紛れもなくオレたち日本人の先輩たちなわけである)にとっても、何のための戦争だったんだろうかという問題を投げかけているかも知れないし、そうじゃないかも知れない……まあ、それは受け取り手の判断ってことで……。
で、その“何のための戦争だったのか”の一つの考え方を示してくれるのが、これに続いて上映される『硫黄島からの手紙』なんじゃないかな、とオレ的には期待していたりします。
というわけで、『硫黄島からの手紙』も観に行かなきゃならんな~。
死ぬのは友のため、共に戦った男たちのためだ
映画「父親たちの星条旗」(クリント・イーストウッド監督)から。
「太平洋戦争最大の激戦だったといわれる硫黄島の戦いを
日米双方の視点から描く映画史上初の2部作」である。
監督の意図からすれば、第1部、第2部の順に鑑賞すべきなのだろうが、
日本人側の視点で描かれた作品「硫黄島からの手紙」を、
先行して観てしまったため、同じ場所、同じ時間で戦っているのに、
こんなに違うのか、と驚くほかなかった。
しかし、最前線で戦う男たちにとっては、どこから相手の攻撃を受け、
いつ死ぬかわからない恐怖が常に充満していて、
個人レベルでは、日本兵も米兵も変わらないことは作品は教えてくれた。
作品のラストで、こんな台詞が流れる。
「英雄とは、人間が必要にかられてつくるものだ。
そうでもしないと、命を犠牲にする行為は理解し難いからだ。
だが、父と戦友たちが危険を冒し、傷を負ったのは仲間のためだ。
国のための戦いでも、死ぬのは友のため、共に戦った男たちのためだ」
日米の戦争映画の違いが、この2部作で理解できた気がする。
自国の戦争を正当化し、美化しがちな「ハリウッド映画」の体質に、
横穴を開けたような作品の仕上がりに、敬意を表したい。
誰も幸せにならないのに、どうして世界の国々は戦争をするのだろうか、
そんな疑問が、また私の脳裏を横切ってしまった。
ノンフィクションながらイーストウッドにしか出せない味わい
結局振り回されるのは下級階級
原作もぜひ
マイク役のバリー・ペッパー目当てに観た映画でしたが、かなり良かったです。
実は旗は2番目のモノだった、とか、間違えられてた人がいた、とか初めて知りました。
そして、原作の「硫黄島の星条旗」がかなり良い本です。
私的には原作を読んでから映画を観ることをオススメします。
本の方が写真の中の6人について詳しく書いてあって、彼らのことをより身近に感じられます。
エンドロールが終わるまでしっかり目に焼き付けてほしい。
印象はフェア
全61件中、41~60件目を表示












