「望月のワンダフルライフは死後の日々ではなかったか」ワンダフルライフ カモシカヤマネさんの映画レビュー(感想・評価)
望月のワンダフルライフは死後の日々ではなかったか
井浦新さんのデビュー作。当時22,23歳で発声はか細くて、今のような太さがなく、演技力も初々しさがあります。
映画の構成や内容についていろいろ思うこともあったのですが、繰り返し鑑賞して気付いたことがあったので、それを書きます。
ネタバレです。
望月が最後に選ぶことができた思い出は、本当は " あの場所" でスタッフのみんなと過ごし、働いてきた日々なのではないかと思いました。
望月本人の口からは、出征前に許婚(渡辺の妻)と過ごした時間を思い出として選ぶとは、一言も言ってなかったのです。
望月は亡くなった当時あの世界に来て、幸せな思い出を必死に探しても見つからないため旅立てずにに職員になりました。
それから50年経って、死に別れた許婚の選んだ思い出の再現映像を見て、人の幸せに自分も参加していたことを満足していました。「誰かの思い出に存在できた」ことを喜んでいたのであり、許婚への愛や未練は始めからなかったことがうかがえます。
その考え方でストーリーを観ていると、望月が思い出を撮影するために選んだベンチに座りながら、やさしい微笑みで真正面を見つめていた意味がわかったのです。
その目線の先には、これまで長い間共に働いてきた仲間たちがいます。みんな望月の思い出を撮影するために、真剣に、そしてやさしい眼差しでこちらを見つめています。
それに対する感謝の念が込められたような望月の表情を、静かに長くカメラは捉えていました。
もちろん、映画上で語られたルールは「これまでの人生で一番大切な思い出を1つ選ぶ」でしたから、望月が死後に施設で働いてきた日々はルールに則っていません。
(でも死後の思い出は含まないとも語られていない)
彼は消える前しおりに「決してここでのことは忘れない」といいました。ルール上では、選んだ思い出以外のことは全て忘れるはずで、しおりも職員ですからそれを知っています。なのに、そんな気休めの嘘を言うでしょうか?
あの言葉は嘘ではなかった。
望月は、親の決めた許婚との思い出を選んだのではないのです。この世界で過ごしてきた50年の生活や、人々との関わりや、出会いと別れのおかげで、思い出を選ぶことができたと語っています。
また、死後の世界の境界線の〝あの場所〟で過ごした50年という日々を彼は「人生」とも表現しています。
再現映像はベンチに座る彼の姿を映していますが、彼の目は自分を見守り撮影してくれている仲間を観ていた。
『死者は映像を見て思い出が鮮明によみがえった瞬間に旅立ち、それ以外の思い出は全て忘れて、選んだ思い出だけを繰り返して死後の世界を生きていく』というルールを、望月は応用して使ったように見えました。
許婚の女性は、望月と死別した後お見合いして渡辺と結婚しました。死後に〝あの場所〟で渡辺老人は、妻との他愛のない会話を選んだ。
数年前にすでに他界していた妻は、夫との思い出ではなく、死に別れた望月との思い出を選んでいた。
望月は、許婚との思い出ではなく、生きていた22年間よりも長い50年を過ごしてきた思い出を選んだ。
望月にとっての『ワンダフルライフ』は、死後の日々(人生)のことだったのではないでしょうか。
そう考えて改めて終盤のシーンを鑑賞し直してみると、いろんなことが意味が違って見えてきて、この映画の魅力が高まります。
望月がいなくなった後、いつもと同じように、次やってくる死者のために真摯に働き続ける仲間たち。
まだ18歳のしおりは「ここでの日々を忘れなくちゃいけないなら、わたしは思い出を選ばない」と言っており、望月が許婚との思い出を選んで自分の元から去るのだと思い込んで傷ついていましたが、望月が居なくなった後の彼女はそれ引きずることなく、吹っ切れた顔で新しい役割を努めて働いています。その明るい表情が印象的です。
彼女で締めくくるラストカットがとても秀逸でした。
生前に何も良い思い出がなかった彼女は、あの場所でこれから働きながら過ごす日々がワンダフルライフになる…そう予感させます。
望月は「君にもいつかそんな時がくる」と言っていたからです。