悪い奴ほどよく眠るのレビュー・感想・評価
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闇を暴こうとする西という男と黒澤明監督の失敗
土地開発公団の西幸一に扮する三船敏郎さんが、見たことのない別人のような雰囲氣です。
脚本が凄い人が5人も揃っているので面白くないわけが無いのですが、興行的には失敗したのは有名らしいです。後の作品は大ヒットするので、失敗は成功の基ですね。
主人公の西の汚職暴露計画が失敗しなければ、もしかしたら興行的にも成功したかもしれませんが、その代わりに黒澤明監督の命も危なかったかもしれませんので、これで良かったと思うしかありません。
シリアスな復讐劇で、俳優陣の迫真の演技が見応えがありました。
一つの想いが巨悪に挑む時!
世界的に有名な黒澤明監督!とは言っても、自分の中では圧倒的に時代劇の監督というイメージが強い。勿論、色々な作品があるんだけど、普段自分が見るジャンルのものではないため、今まで眼にする機会がなかった。
最近BSで黒澤明監督の作品を続けて放送しているのを見かけて、先日「生きる」を録画して初めて見たんだけど、これがメチャ面白かった。
そんなわけで、本作品も何の情報もなく見てみる事にした。
いきなり、結婚式のシーンから始まる。あぁ、昔の結婚式ってこんな感じだったな〜と懐かしみながら見てたんだけど、何やら不穏な雰囲気が漂っていく。警察に連行される人も現れ、一気に引き込まれた。
新郎が三船敏郎さんだった。荒々しい侍のイメージしかなかったので、七三分けのスーツ姿は違和感でしかなかったが、これがなかなか野性味あふれているビジネスマンで馴染んできたから、ホンっと魅力的な役者さんです。
汚職事件に絡む復讐劇という感じで、早々に三船敏郎さんが正体を表し、なかなか見応えのある展開で楽しませてもらいました。
【ネタバレ】
ドキドキワクワク、巨悪に挑む三船さんがホンっと良かった。リベンジの為に悪に徹しようとするが、それができない。接触のために利用した娘を蔑ろにできない優しさが切ない。
時折、流れる軽快な音楽が、ドス黒い復讐計画を緩和してくれるようにも感じた。
ただ・・・
ラストがいただけない。九分九厘、確実視していたリベンジが最後の土壇場で崩れてしまった。
そのシーンは、説明と言う形で言葉で示されたため、最後の最後までわずかな期待を持っていたんたけど・・・
あっさりと″終″の文字が画面に映し出された。
えっ、このまま終わっちゃうの!何とも後味の悪い最後だった。
確かに、子供に見離された親は惨め以外の何ものでもなかったが、結局汚職事件も真の黒幕も明かされないまま。
如何にもな昭和的映像、そして昭和的な展開、結末って感じ。スッゴイ面白かったから、余計にこの終わり方で打ちのめされてしまった。
感傷的な正義感と幼稚なヒロイズム
日本未利用土地開発公団副総裁である岩渕(森雅之)、公団管理部長の守山(志村喬)、
公団契約課長の白井(西村晃)の3人は、部下を巻き込んで巨額の公金を横領しています。そのやり口は実際の工事費用より随分高い金額で落札し、その差額を懐に入れるというもの。5年前には前課長補佐だった古谷が自殺しています。
映画は結婚披露宴で始まります。新郎は岩淵の個人秘書である西幸一(三船敏郎)、新婦は岩淵の娘、岩淵佳子(香川京子)。
この西という男は、実は自殺した古谷の婚外子であり、身元を偽って岩淵の懐に潜り込んでおり、いよいよその娘との結婚に漕ぎ着けました。彼の目的は岩淵の悪事を世間に公表し罪を償わせること。そして自殺した父の無念を晴らすこと。高級官僚の汚職事件を扱った社会派サスペンス映画です。この巨額汚職事件に対し検察とマスコミの追及の手が伸び、現在の課長補佐和田(藤原釜足)は厳しい取り調べの後、自殺を図ります。
配給収入は前作の「隠し砦の三悪人」3億4千万、次作の「用心棒」3億5千万に比べ本作は5千万と、製作費も回収できないほどの不入りでした。その原因をいくつか考えて見ました。
①冒頭の披露宴のシーンの不自然さ
格式の高いホテルで盛大な披露宴が開催されますが、なぜかマスコミの取材陣に公開されています。式場外のソファに陣取ったマスコミの男たちのおしゃべりで映画の観客に状況や設定を説明します。映画上必要なのは分かりますが、普通は主催者の許可なく披露宴をマスコミに公開したりしませんので、極めて不自然です。
②西幸一(三船敏郎)と岩淵佳子(香川京子)の関係性
いくら自分の素性を隠すためとはいえ、宿敵の娘と結婚する必要があるでしょうか。いやない。娘と結婚しても復讐の足しになるどころか、見事に足を引っ張られます。娘との結婚を承諾した西の真意は謎です。しかも佳子のことを「本気で愛している」とか言い出して、復讐心が揺らいでしまいます。黒澤監督のラブシーンは取ってつけたみたいで、なんとも不自然。感傷的なシーンはカットしてもっとハードボイルドにしたほうがよっぽどよかったのでは。佳子という女性は事故で足が不自由。頭も悪く、いいのは性格だけ。なんとも無力な女性です。足が不自由なら頭は切れるとかにしないと、ただの可哀想なだけキャラになっちゃいます。
③岩淵佳子(香川京子)と兄、岩淵辰夫(三橋達也)の関係性
兄の辰夫は、自分のせいで妹の足に障害が残ってしまった罪悪感を抱えています。妹を幸せにするために披露宴で新郎に「殺すぞ」と脅しをかけたり猟銃をぶっ放したり、頑張る方向性を間違えています。兄の不健全な過干渉は妹の精神的成長を妨げているようです。兄は兄で定職にもつかずに父の汚い金でリッチな生活を満喫中。なんとも変な兄妹です。父が倒れたらこの二人も共倒れしかねません。
④西幸一(三船敏郎)と盟友、板倉(加藤武)の関係性
西と板倉は厳しい戦後を協力して生き抜いてきた盟友です。盟友が行き過ぎて、二人は戸籍を交換しています。岩淵の秘書として潜り込むために身元を偽るためですが、いくら友達とはいえ、そこまでするでしょうか。西の復讐を手伝うために板倉は献身的に働きますが、彼の動機はなんなのか。「友情」「正義感」だけで人はあんなに一生懸命になれるものなのか。あと、この二人はスーツにコート姿とダンディなのですが、ハットがないのでちょっと締まらない。ファッションもアメリカのハードボイルド映画には敵いません。
④西幸一(三船敏郎)と宿敵、岩渕副総裁(森雅之)の関係性
岩渕はおそらく元は高級官僚で、天下りで日本未利用土地開発公団副総裁に収まったものと思います。政治家ではありません。そんな彼は個人秘書を雇い、邪魔者は殺し屋に始末させます。公団の副総裁ってそんな絶大な力を持っていたのですね。現代の感覚では不自然に感じますが、当時は説得力があったのでしょう。でも、コネもない、どこの馬の骨ともわからない男を秘書にしたり、娘の婿にしたりするのでしょうか。普通は自分と同じような高級官僚とお見合いさせるんじゃないでしょうか。
⑤課長補佐和田(藤原釜足)の自殺方法の選択
火山に飛び込んで自殺しようとします。問題は死体が出てこないこと。その場合「失踪宣言」「認定死亡」などの手続きが行われますがいずれも相当の時間を要します。しかも生命保険もなかなか受け取れませんので、役人だった和田がこんな死に方を選ぶはずありません。本作では遺体がないまますぐに葬式が行われていますが不自然であり、西の仲間にするためにこじつけた無理な設定です。
本作はいい奴か悪い奴しか出てこない、白黒はっきり勧善懲悪物語です。懲悪には失敗しますが。西が自分も悪に染まっていったりしたらもっと面白かったかも。
出てくるキャラクターはみんなリアリティを欠いています。演出はわざとらしさ満載、三船敏郎の台詞回しは棒。これじゃ客は入らないでしょう。
慟哭
結末がバッドエンドになる事は予想できていた。分かっていても、西が殺されたことを知った板倉の慟哭はとても響いた。感化され私自身もはらわたが煮えくり返る思いがした。
最後、子供たちから縁を切ると言われた岩渕。彼等を追うことよりも黒幕からの電話に出ることを選ぶ。電話を切る頃にはもう子供達の事は頭から消えている。彼は一体何の為に生きているのだろうか、何が楽しくてこんな事をしているのか。こんな空虚な人生を守るために失われるものの大きさ、何とも救いがない。
組織の犠牲になる人間の悲しい叫びと腐敗した闇に挑む復讐の鬼
娯楽時代劇「隠し砦の三悪人」と「用心棒」の間に製作された黒澤監督50歳時の社会派サスペンスの復讐劇。戦後の高度経済成長期(1955年から1973年)における政官財に癒着する汚職を告発し、その犠牲になった父親の遺恨を晴らすために暗躍する一人の男の物語。先ず黒澤監督と久板栄二郎が中心となり計5名で書き上げた脚本のストーリーテリングの予測不可能な面白さが、150分の長尺を飽きさせません。主人公西幸一と日本未利用土地開発公団副総裁の一人娘岩淵佳子の結婚披露宴をプロローグに、公団新庁舎にまつわる大竜建設との汚職事件を取材する新聞記者の解説を挟むことで、分かり易い導入部になっています。そこから西幸一の正体を明かし、不正経理追求の巧妙かつ狡猾な復讐を紆余曲折展開させて、終盤拉致した公団管理部長から贈収賄汚職の証拠になる証言に辿りつき、その後の自首を覚悟するまで、悪徳追求の黒澤演出が冴え渡ります。主人公西の人間像が感情を抑えた三船敏郎の演技によって説得力があり、偽装結婚だった佳子に心を開き受け入れる男の恋愛心理まで演じているのも珍しく、興味深いストーリーでした。佳子がこの時代の貞淑と慎み深さを良しとするステレオタイプの女性像で、現代からみると陳腐ですが、幼少期の事故で足に障害を負った設定で不自然さはありません。この新妻のいじらしい欲求を清廉に演じる香川京子の存在が、硬派の社会派映画の紅一点の魅力になっています。しかし巨悪に対峙した正義の行動と親の仇討ちが未遂に終わる物語の結末には、正直肩透かしを食らいました。この映画本来としての流れは、西の復讐が完遂し公団汚職告発の記者会見をラストシーンにするべきでしょう。そして拘置所で西幸一と佳子が面会するカットで終わる。主人公西までも抹殺されるこの物語の閉塞感は、それだけ政官財の汚職の恐ろしさを再認識させることになりました。また、制作の裏事情を調べると、実際の汚職事件を連想させない配慮と、汚職構造を明かさない映画会社の指示があったという事です。公団副総裁岩淵がオフィスから何度も頭を下げて連絡を入れる相手は大物政治家でしょうし、物語後半では検察の捜査動向は描かれず、マスコミの追求もありません。これは製作された1960年の日本の社会状況と世論事情から考慮された結末と想像します。日米安全保障条約を強行した自由民主党の政権が不安定な時代に、それを扇動するような作品は作れなかった。その時代を知らない世代のあくまで推察です。しかし、これをアメリカ映画の例えばフランク・キャプラの「スミス都へ行く」(1939年)やロバート・ロッセンの「オール・ザ・キングスメン」(1949年)などと比較すると、表現の自由がない日本映画の特質に言及することになります。その規制の上で黒澤監督が創作した、出来うる限りの告発映画の力作であり、意欲作と評価しなければなりません。
それでも、その欲求不満を解消するに値するのは、各脇役の名優たちのキャラクター表現でした。公団契約課長補佐和田を演じた藤原鎌足の役柄とその演技が物語の不気味さを象徴します。自身の葬儀を見せられて上司に切り捨てられた事実を知り、トカゲの尻尾切りのわが身に目覚める。証拠隠滅の偽装自殺から、公団契約課長の白井の前に現れるところのシニカルなユーモアがいい。復讐を遂げるため仲間に引き入れた西の底知れぬ策略に和田が怯える車中カットの藤原鎌足の演技が見事です。その白井が幽霊の和田に怖れ慄き、貸金庫の隠し金の現金500万の紛失から着服の疑惑に苛まれる展開の面白さ。西が白井の鞄に500万の札束を戻す秘書室のシーンは、サスペンス映画の模範的演出です。副総裁岩淵と守山に懐柔されて更に疑心暗鬼になる白井が殺し屋に襲われるも西に助けられ車中で和田と対面するカットと、それに続く公団ビル7階で西と和田から追い詰められ死を覚悟させられるシーンの息詰まる演出と演技は、この映画の最も見所となる名場面です。白井役西村晃は急発性精神分裂症(急性一過性精神病性障害)の説得力ある錯乱状態を演じ切っています。そして後半、西と盟友の板倉に誘拐され廃墟の個室に監禁される志村喬の演技、貫禄はあるが隙もあって何処か憎めないも頑固な役柄を巧みに演じています。佐藤勝の軽快で楽しい音楽がこのシークエンスをユーモラスに味付けして、空腹でハムエッグに1500万請求される時の絶望感と、1650万の在り処を告白して食事に有り付くシーンの可笑しさ。遂に通帳の隠し場所を自白して食べ物をむさぼるところも面白く、謹厳実直な役者イメージの志村喬だから味わえるシーンになっていました。
最後は、岩淵が手配した殺し屋によって飲酒運転に見せかけた自動車事故で殺された西を哀れみ、慟哭する板倉の台詞で閉めます。“何もかも、恐ろしく簡単で醜悪だ” 政官財がその特権を悪用し、税金から裏金を作り、関わった人間で山分けする。それでも上は政治家のための巨額な政治資金から、下は公団職員の実行メンバーの年収の約10倍が報酬となる。しかし、発覚して責任を取られ、口封じに追い詰められるのは命令されて不正をした人間だけ。そこに警察やマスコミの関与があれば、汚職の全容を解明するのは不可能です。悪い奴ほどよく眠れるのは、捜査の手が自分に届かないことを確信しているからでしょう。このタイトルで連想するのは、エリオ・ペトリのイタリア映画「悪い奴ほど手が白い」(1967年、原題は、人それぞれ、英語タイトルは、私たちは未だ古いやり方で殺している)です。日本題名が、この黒澤作品から採用されたのは明白です。色んな国の映画を観て来て、特に政治犯罪映画において日本とイタリアには僅かながら共通点があるように学生時代から感じてきました。このエリオ・ペトリや「シシリーの黒い霧」(1962年)のフランチェスコ・ロージ、そしてコッポラの「ゴットファーザー」を観ても、イタリアの古い因習から家族主義による独善的な政治支配と不正の連続には、他の国にない悪い意味で伝統があります。ホームドラマの名作がある一方、日本もイタリアにも暴力組織がある。森雅之が演じる副総裁の野心は、資金を潤沢にして政界に躍り出ることと、一人娘の幸せと放蕩息子を甘やかす財力を維持するための犯罪でした。動機が功名心だけではないところに、人間の功罪併せ持つ性と業を感じてしまいます。家族主義も、利己的になれば恐ろしく簡単で醜悪であることを、この黒澤映画が深刻に分かり易く描いています。これら色んな視点でも鑑賞するに値する黒澤作品でした。
タイトルなし(ネタバレ)
バッドエンドの代表作である。
終盤で、これは主人公が死んでいると匂わせる。
主人公は心を殺し日本の悪と戦う。悪の娘と結婚するが、娘は純粋な良人で、主人公は心の甘さ(良心)から つい居場所を教えてしまう。それを知った父(悪)は「主人公が危ないから、助ける為に」娘を騙し居場所を聞き出す。主人公の断末魔の無念の叫びも描かれない。ただ電車にぶつかった車の中で発見された話だけである。
「ああああああ確かに 確かに この映画は死んでる方が面白くなるなあ!でもでも面白くなくても 生きていてほしい!!」と願う僕がいる。
黒澤明にそんな願いが通じる訳がない。
興行収入が悪くなろうが、面白さ(映画の完成度)を無慈悲に優先する人だから、だから僕は敬愛するのだから、
《愕然》 黒澤プロの第一作が、こんな胸糞映画だったとは....
タイトルだけは知っていたけど、全くの初見。
1960年の黒澤作品は、戦慄のバッド・エンド。これはキツイ。フィルム・ノワールとして、今日的な過激な作品に慣れてしまった身からすれば、物足りなさも感じてしまうけど。このラストは衝撃的であり絶望的。
にしても思うのは。
暗黒社会に対する恐怖と同時に、憎悪を掻き立てるには、充分過ぎるほどの描写力であるわけです。黒澤明と言う映画史に残る巨匠の凄まじさを、まざまざと見せつけられた気分です。
復讐するには「悪」が足りない。悪を排除するには、それ以上の悪を行う覚悟が要る。って言うのでしょうか?
いやいや、それは違う、って信じてますけどね。
「夕べは一睡もしてないので」
⇒「悪い奴ほどよく眠る」の題字
つまりは、更に悪い奴が上に居るのだと示唆して終わる150分のモノクロ作品は、昭和35年の黒澤プロ設立の第一作。つまりは、黒澤明が、当時、一番描きたかったもの。
あれから60年。悪いヤツは多様化し、より巧妙になり、善人顔で甘言を弄し、我々の前に現われたりします。
それ以上の悪にならなければ、それを排除できない世界。それが現実なら、「それ以上に、巧妙に、善人顔で甘言を弄する」って言う手もありますね。
闇深き権力構造に挑む!
黒澤プロダクション第一回作品。
Blu-rayで鑑賞。
東宝から独立した黒澤明監督が、自身のプロダクション初製作作品に選んだ題材は、当時世間を賑わせていた大企業と国が絡んだ汚職の実態に迫る、という骨太な社会派路線でした。
描写はリアルでありながら、エンターテインメント性も忘れず…。蜥蜴の尻尾切りで自殺した父親の復讐のために行動する西幸一を主人公に、スリルとサスペンスが炸裂しました。
冒頭の披露宴シーンで、背景説明を分かりやすくスマートにやってのけたかと思えば、後は最後までノンストップ、息も吐かせぬハラハラ・ドキドキの展開に手に汗握りました。
悪を追い詰めるためには、自らも悪に染まるしかないのか。目的と手段の相克に苦悩しながらも、ジワジワと標的を追い詰めていく西。しかし、敵はあまりにも巨大でした。
闇深き権力構造に対して、個は無力なのか。正義を貫徹することが何故こんなにも困難なのか。苦い結末の後の「これでいいのか!」と云う怒りの叫びも虚しく響き渡るのみ…
決して表に出ることなく、利権を貪り、国民の血税を懐に納め、枕を高くして眠っている悪い奴には、指一本触れることさえ出来ないのか。今も昔も不変な黒い機構に戦慄しました。
※修正(2023/06/01)
黒澤監督の逸品
田中邦衛さんがヒットマン役で登場。
検事役の宮口さんは七人の侍と同様にクールな役どころ。
志村さんは悪役。
笠さんはこの作品では若かった。
藤原さんは隠し砦の三悪人同様に情けないオーバーな演技。
オールスターで揃えた凄い作品です。
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