「遊び心と実験精神でハードボイルドならぬスクランブルド・エッグ映画に」ロング・グッドバイ 徒然草枕さんの映画レビュー(感想・評価)
遊び心と実験精神でハードボイルドならぬスクランブルド・エッグ映画に
1)ハードボイルド映画とは
ロス・マクドナルド原作の「動く標的」には、ポール・ニューマン演ずる、情けない生活を送っているのにやたら格好いい探偵リュー・アーチャーが登場する。
彼は女にもてまくり、犯罪者たちの襲撃も見事にかいくぐり、最後に捕まえた犯人については、「奴がニーチェの深淵に魅入られただって? バカを言うな。金に魅入られただけだ」と断罪するのが痛快だった。
ハードボイルド映画はかようなものかと思って、チャンドラー原作の本作を見ると、違和感だらけでびっくりさせられる。ハードボイルド・ファンならきっと怒りだすだろう。
2)ソフト・ボイルドどころかスクランブルド・エッグ
冒頭、猫に眠りから起こされ、キャットフードを買いに行く主人公の姿が、とにかく薄汚い。おそらくは酔った挙句にYシャツ、ズボン、靴を履いたままベッドに倒れこんでいたのだろう。よれよれの恰好で、煙草をふかしながら譫言のように隣人と会話する姿には、格好良さのカケラもない。
バーに行ってもチェーンスモーカーのまま、さらに依頼人の美形人妻と会っても見苦しく煙を吐き散らし続ける。完全にニコチン中毒だ。
主人公以外の登場人物も変わり者だらけ。美形人妻の夫の作家は、いさかいのあった背の低い医師が訪ねてくると、「ミニーマウスだな」と公然と侮辱する。マーロウにカネを出せと脅すチンピラのリーダーは、愛人に熱愛の言葉を囁いた直後、顔面をビンで殴りつけてしまうわ、隠し事のないようにしようと言って手下の連中といっせいに服を脱ぎだすわ…とにかくまともな人間が出てこないのである。
主人公マーロウがメキシコの寂れた街を訪ねるところは、本作を象徴するシーンだろう。バスを降りると埃りっぽい街路は犬だらけで、吠えまくる犬の間をカメラがパンしていくと、奥には交尾しているオス犬、メス犬がいるではないか。カメラは迷わずズームして交尾を捉え、それに気づいた2頭は離れてしまう。
これは金銭欲と性欲に塗れたセレブを象徴したシーンなのか? 何の意味もないシーンではないのか?
…いや、やはり意味はあるのだ。格好いいハードボイルド映画を、くだらない遊び心のシーンでぶち壊すという意味が。
それに加えてこの映画のほとんどの部分が、既成の探偵映画をぶち壊しにしており、もはやハードボイルドどころかソフトボイルド、いやスクランブルド・エッグといったほうがいい。
3)アルトマンの方法
アルトマンは68年の監督作「宇宙大征服」で、「俳優に同時に会話をさせた」という理由から解雇されたという。しかし、70年の「マッシュ」でも断固として同じ手法を使って、ベトナム戦争をオチャラケに風刺するのだから、何をかいわんやw さすがに継続中の戦争を茶化すのはまずいと、設定が朝鮮戦争に変更されたが、それが記録的大ヒットとなり、映画史に残る傑作となるのだから、単なる冒険主義だけではないことがわかる。
おそらくアルトマンには、単に人と違うこと、既存の映画にないことをやるという実験精神と同時に、その効果を計算できる批評精神がある。だから、あれだけ滅茶苦茶なことをしつつ、多くの傑作を残すことができたのだろう。
本作でも、何人もの登場人物が同時に話をして字幕がギブアップするシーンが再三ある。さらに繰り返される長回し、窓ガラスに映る屋外のマーロウと、ガラス越しの屋内の依頼人夫婦の姿を同時に映すなど、技巧的にいろいろ試みがある。最後に主人公が並木の奥で理由もなく通行人とダンスを始めたり、遊び心もたっぷり。そして何より恰好悪い、ズレた「ハードボイルド探偵」のイメージが既成映画のパターンをぶち壊してしまう。
4)評価
本作は薄汚い探偵のつまらない生活をたどるところまでは退屈だが、スクリーンで徐々に変なことが起き始めると、「これは、最後にどうやって回収するんだろう」という興味から画面に惹きつけられてしまう。そして、やがて従来の探偵映画の型を破って、このジャンルに新たな探偵像を作り上げたことに気づかされるのである。
しかし、本作では型を破るのが精一杯というところで、さすがに「マッシュ」のような突き抜けた面白さまでは感じられなかった。