「全てのルパンファンに捧げられた名作」ルパン三世 カリオストロの城 猿田猿太郎さんの映画レビュー(感想・評価)
全てのルパンファンに捧げられた名作
もう観ていない人は居ないんじゃないかと云うぐらいの名作。冒頭からクラリスの登場、本編の舞台「カリオストロ」へと雪崩れ込む、そのジェットコースターのような勢いの良さ。海外からも真似できないと賞された傑作中の傑作。
ルパンはテレビシリーズからの人気キャラ、何年もテレビや映画で語り綴られた有名人、にもかかわらず、初めてルパンを目にする人でも判りやすいんじゃ無いでしょうか。カジノのギャングたちを手玉にとって、ふざけ合いながらも山盛りの札束をかっぱらう泥棒っぷり。そして「爆走するウェディングドレス」を目にした瞬間、「乗れ!」と目を輝かせて車を急発進するあたり、知らない人でも、そのはっちゃけたルパンの性格を十分すぎるほど理解出来るし、旧来のファンならば誰しも「これだよ、これがルパンなんだよ」と知ったかぶりたくなること請け合い。だけど――。
ネタバレになりますが、最重要シーン。傷ついて介抱されたルパンが語る自分の過去。この映画ではユーモラスなミニカーですが、その過去のルパンはかのテレビシリーズのオープンカー。宝石を掃除機で巻き上げるやり口はまさにテレビシリーズのルパンそのもの。つまりどういうことか。この映画の監督は、かの宮崎駿氏ですが、テレビシリーズとは一線を画す、テレビシリーズとは違う未来の(こう言って良ければ老後の)ルパンを描こうとしていたのでは無いかと思います。しかもルパンは「バカやっていた頃」みたいなことを言ってます。つまり、テレビシリーズの自分はバカだったって言ってるんです。
それを踏まえて見ればどうだろう。なんだか始めからルパンの素振りが意味ありげに見えてしまう。女の子に対しても、不二子のあしらい方も「大人になったなあ」などと違って見える。「監督が違うから、ルパンが違って見えるんだ」というのではなく、その全てに意味が有るような気がしてなりません。
先に書いたように「かつてのルパン」を「バカやってた頃」などと過去の作品を全否定している否定的なメッセージのようにも見えます。でも、私は悪くないと想います。過去に安閑としていては人生はそこで終了してしまう。変わり続けて尚も成長を続ける、泥棒稼業であるからこそ、図太く抜け目なく生きていける、そんなルパンであって欲しい。過去を否定することもまた成長への第一歩。
この後もルパンの作品は数多く作られていますが、ルパンの末広がりな未来を語った、最終回に相応しい名作だと私は考えています。