リリイ・シュシュのすべてのレビュー・感想・評価
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汚らしく、無節操な「中学生」のドタバタ映画、だからこそ映画らしい
2001年公開と言うことですので公開後25年目にしてはじめて見ました。「中学生」の設定になっていますが、どう見ても中学生には見えないのは仕方がありません。本当に中学生を使ってあの内容にしてしまったら「犯罪」でしょう。勧善懲悪でも無く、教訓垂らしでも無く、ただただ中学生という「灰色の季節」を汚らしく、無節操に描いています。映画で無ければ出来ないことでしょう。見ていて楽しくなるような、気持ちよくなるような映画ではありませんが、良く作ったと思います。
ただし、内容的にはどうと言ったものはありません。汚らしく、無節操なドタバタ映画です。空の青さとドビッシーの曲だけしか印象に残りません
念願!でもスッキリしない
初めて観たのはいつだろう。予備知識も無いのにDVDを買って観たのが初見。そこから何回観たかはわからない。いつかスクリーンで観たいと思い何年経ったか。ようやく本日、念願が叶った。大好きな作品である事は変わらないし特別な作品。それでも何が良いのかよくわからない。まったくハッピーじゃ無いしスッキリしないし気持ち悪い。
でもまた観たくなる。満足感もある。何なんだろ不思議な映画だ。
岩井俊二が描く作品だからどこかファンタジーの匂いがする。ファンタジー要素は無いのに不思議だ。しかもかなりダーク。音楽が包み込むことで観れる作品になってる気はする。
24年前の作品だから出演者がみんな若い。メインキャストは子供。昨日観た、映画「ゴリラホール」にも伊藤歩が出てたが変わったなぁw
市原隼人や蒼井優も雰囲気変わってて面白かった。
これからも何回も観るんだろな。で毎回ちょっと鬱な気分になるんだろうな。それでも観てしまう素晴らしい作品だと思う。
配役はとてもいいけどね
この作品が好きな人がいることは理解出来る。岩井俊二監督も遺作にするなら本作がいいそうだ。
しかし私にはイマイチ刺さるものがなかった。
まず、岩井俊二監督の作風が合わないのだと思う。
この人の物語はネガティブな方向に進みすぎる。どんどんどんどん悪い方向へ進んでいって、一番下まで落ちたときに物語が終わる印象だ。
監督本人や、観ている人の中にはビタースイートな終わり方なのかもしれないけれど、自分にはただのビターに感じる。
やはりどこかで気持ちよく終わりたいと願う気持ちがあり、それを届けてくれない岩井俊二という人はやっぱり合わない。
あとは、私自身、音楽に余り興味がないので、音楽そのものや特定のアーティストに傾倒する感覚がよく分からない。
音楽で心が救われるといったものになると全く理解不能になる。
この作品はインターネットのコミュニティの中でかわされる会話と、目に見える世界の物語が交錯しながら進む、割と凝った作品であるが、リリィ・シュシュについて語るパートにほとんど共感を得ることができないし、理解は、まあある程度は届くが、本当の意味で理解出来るとは言えない。
そんなわけで、作品の半分について入り込めないことが個人的には問題だった。
いいところ、と言えるか分からないけれど、陽光の強さは印象的。
作中で起こる様々なことと画面の明るさの対比は、ある意味でえげつない。
暗い物語をそのまま暗く描かないことは良いことかもしれないけれど、光が強すぎる故に闇の濃さが増し、私には少々キツかった。
自分には合わなそうと思い永らく観ていなかった作品で、いい加減そろそろ観とこうかとなったわけだが、やはり合わなかった。
観る前の自分の勘というのは意外と当てになる。
稲穂が揺れる田園風景、抜けるような青い空、「アラベスク第1番」の美しい旋律が残酷な現実と強いコントラスト。監督らしい柔和な映像美とあいまって最後まで引き込まれます。
目黒シネマさんにて『~特集 岩井俊二 四つの心象風景~』(6/29~7/5)と題した特集上映に監督初期『Love Letter 4Kリマスター』『PiCNiC』『スワロウテイル』『リリイ・シュシュのすべて』4作品上映。
『リリイ・シュシュのすべて』(2001年/146分)
当時はまだ珍しいインターネット掲示板のコミュニティでの現実逃避をいち早く題材にしながら、多感な中学生のいじめ、脅迫、カツアゲ、援助交際、万引き、殺人、自殺などリアルで残酷な日常のなか心が乱れる子どもたちを、赤裸々に包み隠さず描いた衝撃作でしたが、気づくともう公開から四半世紀も経ちますね。
本作でデビューした市原隼人氏は熱血漢のイメージとは異なる繊細で過酷な現実を耐え抜く主人公・蓮見雄一を初々しく好演。蒼井優氏、勝地涼氏、高橋一生氏らのフレッシュな演技も見どころの一つ。
映画内の架空のシンガーソングライター・リリイ・シュシュも小林武史氏がプロデューサーを手がけただけあり、音楽チャート1位を獲得する人気歌手という設定に遜色ない歌唱力とパフォーマンスでしたね。
目を覆いたくなるシーンが多い本作ですが、稲穂が揺れる長閑な南関東(足利市)の田園風景や、どこまでも突き抜けるような青い空、クロード・ドビュッシーの「アラベスク第1番」の美しい旋律が残酷な現実と強いコントラストをなして、岩井監督らしい柔和な映像美とあいまって実に印象的で最後まで引き込まれます。
映画でも芸術でも何でもない
かつて中学生だった皆さんに観てほしい一本
<映画のことば>
自然は、生と死とが隣り合わせにある場所
「学校」という、ある意味での閉鎖社会にあり、社会的な経験がまだまだ乏しい中で、成長に伴って、肉体的には大人へと変わりつつあるという不安定な状況の彼・彼女たちが活写されていた佳作だったと思います。本作は。
評論子のように馬齢を重ねてしまい、生きてきた時間の長さに比べて、これから生きていく時間は圧倒的に短いという者ならいざ知らず、人生の竿頭に立ったばかりの青少年は、肉体的にはともかく、まだまだ精神的には未熟で(社会的な常識に基づくような)「歯止め」が効きづらく、いじめなどもエスカレートしてしまい勝ちでしょうし、(充分な社会的経験を積んだ大人にしてみれば)些細なことからも大きな影響を受けてしまう―例えば、有名人の自殺報道などに影響されてしまって、簡単に自死を選び取ってしまったりすることも、世上、よく見聞きもすることだと思います。
実経験に世界がまだまだ狭いだけに、外界から受ける影響も、それだけストレートなのだと思います。
本作のリリィ・シュシュから受ける影響のように。
その意味では、上掲の「映画のことば」のとおり、生と死との境界が曖昧で、両者が隣り合わせになっている世代とも言えるのかも知れません。
1970年から80年頃にかけては「荒れる学校」とか言われて、特に中学生の非行や校内暴力、そしてそれに対抗するための厳しい校則や教員による熾烈な体罰など、大きな社会問題にもなりました。
今は、そんな風潮も耳にはしませんが、彼・彼女らの「不安定さ」は、何も変わっていないのだろうとも推測もされます。
少女(少年)を描かせたら、右に出る者がいないと評される岩井俊二監督ですけれども。
本作でも、その世代の「瑞々(みずみず)しさ」を余すところなく描き出したという点では、同監督の魅力が遺憾なく発揮されている一本とも評することができると思います。
評論子的には、以前に中学生だったことのある大人には、ぜひ観てほしいと薦(すす)められる佳作であったとも思います。
(追記)
「パソコン通信」というのは、令和の今では死語になっている言葉だとは思うのですけれども。
思い起こして見れば、MS-DOS(このWindows全盛の時代に、それ自体がもはや死語か?)の黒い画面に、カーソルに導かれて白い文字が次々と現れて、それなりにコミュニケーションができたのも、懐かしく思い出されます。
「パソ通」という略称とともに、久しく脳裏に埋もれていた感慨を思い起こすことになった一本でもありました。評論子には。
特別公開していたので2回目だったが視聴 「キリエのうた」上映記念 ...
特別公開していたので2回目だったが視聴 「キリエのうた」上映記念
イジメオナニーさせる万引き管理売春レイプ バンドSNS
感化される 悪に魅入られる 悪に走る快感 星野(忍成)適役すわりのわるい顔立ちみにくい宇宙人みたい 家庭環境が崩れたからといってあそこまで悪に走るのか?すごく疑問になったがとにかく星野がかっこよく描かれている
津田(蒼井優)は輝いてる アホで流されるかわいい子携帯にジャラジャラキーホルダーいっぱいつけてる
女の子は自分と同レベルの話やすい男の子が好きになる 男の子は憧れの子を好きになる
これは影響受けた人多そう 朝井リョウとか
芸人うしろシティの阿諏訪 壮絶いじめ すごい顔整ってる+ね暗+頭よさそう
コナンよりは
映画本体以外は全スルーで鑑賞。
中学二年生の時に見た憂鬱な妄
誰も描かなかった反転された青春の光と影
中高生の時期は坩堝の様に、学校的現実の中にいやおうなしに味噌もクソも一緒に放り込まれ、人間関係の炎で炙られる。それがある者には天国で、ある者には地獄となる。
そのような青春期の日々を、我々は普通に体験してきている。例えば私の高校時代は、クラスを支配する少数の暴力グループによる精神的被虐の色に染められており、集中的にイジメの対象となった生徒は夥しい骨折を負った後、学年末を待たずに退学し、イジメたグループも退学させられていった。授業中に性的虐待を受けていた生徒さえいる。
青春期にとって世界はあまりに美しく見える。それだけに、学校的現実の秩序にひれ伏し、イジメにより理想など蹴散らされ、自分を何ひとつ信じられぬ無価値な人間と思い込まざるを得ないのは過酷というしかない。美しい世界と自分は無縁であり、そこに自分の居場所は用意されていない。幼年期の終わりと同時に人生に絶望していく子どもたちが、現実に多数存在するのを我々は知っている。
こうした現実を「青春」という甘いフィクションにくるみあげるのが、従来の映画や小説のお定まりのルールで、そこにはリアルなど欠片も描かれていなかったといってよい。
本作は、「青春そのものが地獄だ」という中高生の日常の一面を初めて映像化した、画期的な「青春映画」だと思う。
本作の主人公の少年は、手ひどいイジメグループの末端の被害者でありながら、同時に同級生の少女の売春やレイプの手引きを行う加害者であり、もはやあらゆる理想に手の届かないクズの日常を過ごしている。
現実に居場所がない彼は仮想空間に逃避し、リリイ・シュシュの楽曲やネットによる書き込みを通じた自己解放で、かろうじて「エーテル」を獲得することだけに救済を見出している。「エーテル」とは生きる理由である。したがってそれを失うことは、生きる理由を失うのに等しい。
ところが恐るべきことに、同じ「エーテル」を共有していたはずの仮想空間の友人が、実は現実空間のイジメグループのボスであることが判明してしまう。もはや彼は仮想空間からも追い立てられざるを得ない。生きる空間を確保するため、最後に彼は決死の覚悟で自分の生の障害を除去する賭けに出る…。
これは何という、反転された青春映画だろう。しかし、明らかなリアルがここに存在する。それが観客を怒らせ、目を背けさせるのだ。
光と陰影のコントラストを多用した映像と、「印象主義的」と評されたドビュッシーの煌めくようなピアノ曲が、これら青春の光と影を強調している。
この作品を何度も見るのは気が重い。でも、あの美しいシーンたちにもう一度出遭いたいと、また見てしまうだろう。
ふわりと
一生に一度の映画体験
岩井俊二監督を知ろうと思い、軽い気持ちで見ましたが、とんでもないものを見てしまいました。
結論から言うと、素晴らしいという言葉では収まらないほど素晴らしくて、映画なんだけれど、映画じゃない。なんとも言えず、うまく表現できないモヤモヤが漂うような感じで、普通の作品とはだいぶ異質な作品でした。
今までこんな映画体験をしたことはなかったし、今後も二度とこんな思いになる映画はないと思います。
主演の市原隼人さんはじめ、びっくりするようなキャストで、皆さんとても若い。市原さん可愛かった笑
忍成修吾さんの原点のようにも感じました。
星野凄かった。怖かった。
独特のカットの仕方や、展開が早く、次々に新たな登場人物が登場するためかたくさんの短編のオムニバス映画を観ているようです(オムニバス映画観たことないけど…)。
西表島への旅行のシーンをホームビデオ風に撮ったり、久野へのレイプシーンを荒々しく切り取るところに好感が持てました。
とにかく全編通して、映像が綺麗で、音楽もリリイの音楽以外にクラシック音楽から島唄まで多様な音楽がそのシーンの状況をうまく暗示していたと思います。
リリイ・シュシュを軸にして思春期の彼ら彼女らの美しさ、儚さみたいなものが現れていて、観ているのが辛いところもありましたが、また、観たいと思いました。中毒性がありそうです。
ただ、かなり難しいので、私にはエーテルはわかりませんでした。
いつか、分かれるようになりたいです。
中学時代の狭い世界を思い出させる作品
掲示板なつかし
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