「スライの「エクスペンダブルズ」人生、ここに開演。 爆発まみれの出ベトナム記。」ランボー 怒りの脱出 たなかなかなかさんの映画レビュー(感想・評価)
スライの「エクスペンダブルズ」人生、ここに開演。 爆発まみれの出ベトナム記。
ベトナム帰還兵ランボーの戦いを描いたアクション映画『ランボー』シリーズの第2作。
服役中のランボーは、トラウトマン大佐の要請を受け、捕虜救出のためにかつての戦場・ベトナムへと舞い戻る…。
○キャスト
ジョン・ランボー…シルベスター・スタローン(兼脚本)。
共同脚本として『殺人魚フライングキラー』『ターミネーター』の、後のオスカー監督ジェームズ・キャメロンがクレジットされている。
第6回 ゴールデンラズベリー賞において、最低作品賞や最低脚本賞など、4部門を獲得🌀🌀
とんでもなくキレイに纏まっている『ランボー1』。
この続編を作る意味があるのか全くの疑問だったのだが、観賞してみて納得。
確かにこれは正当で真っ当な『ランボー』の続編だ!
まずもって申し上げたいのは、この映画は不当に貶められているっ!ということ!
これは強く主張しておきたいっ!
どう考えたってラジー賞を総なめするようなダメ映画じゃないっしょこれ。
1985年といえば、『ランボー2』&『ロッキー4』が公開されている、正にスタローン・イヤー。
『ランボー2』が全米年間興行収入第2位、『ロッキー4』が第3位だったというのだから、いかにスタローンが凄かったのかがよくわかる。
またこの前年は、『ターミネーター』が公開されたメモリアル・イヤー。
この映画を期に、異次元の肉体を持ったアーノルド・シュワルツェネッガーという男がスクリーン上でその存在感を強めてゆく。
当然、同じ肉体派スターであるスライとシュワちゃんは、この後長きに渡り激しく鎬を削り続ける。
シュワルツェネッガーというライバルの登場によって、さらに磨き上げられたスライの彫刻のような肉体は正に芸術品。
この映画のスライの身体はバチバチに鍛え上げられており、それを観られるだけでもこの映画の観賞価値は大いにあると言って良い。
もう一つ言うと、この時期のスライはアメリカ代表🇺🇸という意識を強く持っていた…ような気がする。
『ランボー2』にしろ『ロッキー4』にしろ、彼はソ連に立ち向かう英雄というキャラクターを演じており、「強いアメリカ」の象徴として自らを売り出そうとしていたように思われる。
これはやはりシュワルツェネッガーという競合への対抗策だったのではないだろうか。
元々オーストリア人であるシュワちゃんでは、どれだけアメリカ的なキャラクターを演じてもやはりアメリカン・ヒーローにはなり得ない。
その隙を狙って、スライがマッチョなアメリカン・ヒーローという枠を掻っ攫っていった、というのが私個人の見解。
これはわりと穿った意見だと思うのですがどうでしょう?
とにかく、1985年というのはシュワちゃんの登場により焦りを感じたスライがとにかく頑張りまくっていた年。
露出が多くなれば当然アンチも増えるし、政治色の強さを増した彼に対して不快感を示す層が一定数いたであろうことは想像に難くない。
そういった事により、本作は当時、不当に叩かれてしまったのだろう。
今観てみれば、本当によく出来た『ランボー』の続編でありアクション映画なんだけどね。
本作は爆発💥爆発💥💥爆発💥💥💥まみれのド派手な作品に仕上がっており、この映画単独で観ても十分に楽しめる。
しかし、やはり『1』と合わせて観ることに価値があると思う。
『1』では、①何処からか流れ着いたランボーが、②不当な扱いにブチギレて大騒動を巻き起こし、③トラウトマン大佐に説得されて逮捕される。
『2』では、①逮捕されていたランボーがトラウトマンに説得されてシャバに出て来て、②不当な扱いにブチギレて大騒動を巻き起こし、③何処かへと流れ去ってゆく。
このように『1』と『2』は綺麗な鏡像関係であり、この2つを合わせることで綺麗な円環構造を成す。2つで1つの物語であると言って良い。
また、『1』ではキルカウント0だったランボーだが、本作では100人単位の敵兵をぶっ殺す。
『1』では封印されていたランボー本来の戦闘力が万全の状態で発揮されており、そうそうコレコレ!!コレが観たかったんだ!という感じがある。
パブリック・イメージとして普及しているランボー像はやっぱりこっち。
バンダナ・半裸・弓矢というお馴染みのルックスで登場して来た時には、「よっ!待ってました!」という掛け声を掛けたくなりました♪
前作がベトナム帰還兵の苦悩と絶望を描いているのだとするならば、本作で描かれているのは彼らへの「救済」。
ベトナム戦争自体は「過ち」であると断罪しつつも、国家に従い戦った兵士たちには何の罪もないと、この映画を通してスタローンは伝えようとしている。
ソ連や北ベトナム兵と戦うが、彼らはあくまでも障害物(「侵略者」のランボーが現地の人間をぶっ殺しまくるという構図になってしまっている点において、批判が集まるのもまぁ確かにわかる…。ベトナム人の扱いに据わりの悪さを感じる人もいるだろう)。
本当に倒すべき敵はアメリカ政府のシステムやイデオロギーである、というふうに設定していることが、本作がただの考え無しなアクション映画ではない、『ランボー』の続編に足る政治性に富んだドラマを持っていることの証明ではないだろうか。
もう一点気づいたのは、本作の宗教色の濃さ。
ランボーを人ならざる者、超越者として描き、彼にベトナム戦争に対する罰を肩代わりさせることで、ベトナム帰還兵たちの罪を雪いでいる。
物語の基礎が旧約聖書の「出エジプト記」であることは明らかだし、中盤に行われる磔にされたランボーへの拷問は、どう考えたってイエスへのそれと被る。髪型もたぶん意図的に寄せているんだろう。
ランボーを救い出し復活させるヒロインはマグダラのマリアだろうし、超越者たるランボーにより齎される殺戮は、正に黙示録的な神の怒り。
人の罪に対する復讐が許されるのは神のみ、というキリスト教の教えに則り、超越者であるランボーが敵を蹂躙するのである。
事程左様に、本作は政治的かつ宗教的な物語になっており、決してただただ阿呆なアクション映画ではないと断言したい。
ただ一点、トラウトマン大佐とかいうオッさんは一体なんなんだ…。
前作も今作も役立たずすぎるだろっ!∑(゚Д゚)
本当にこのオッさんがランボーを作り上げたの〜?
ラジー賞に最低上司賞があったのならば、間違いなく受賞するのはトラウトマン大佐である。
セリフにも登場した通り、本作はスタローンの「エクスペンダブルズ」人生の序章。
ここから現在に至るまで、ハリウッドの「消耗品」として扱われ続けるスライ。
しかし、消耗品である紙コップやティッシュペーパーの方が、高級な陶磁の皿や芸術的な絵画よりも親しみやすく重宝するものなのだ。
消耗品をバカにしちゃあいけないよ。…ということで、『エクスペンダブルズ4』を心待ちにしてますよスタローーーン!!💪✨