「朝っぱらからお騒がせします」Love Letter 鉄猫さんの映画レビュー(感想・評価)
朝っぱらからお騒がせします
15年ほど前、出先の事業所から直帰しようと退社したところ同僚から電話がかかってきたんです。「〇〇が死んだって聞いた?」〇〇はうちの会社をその数年前に辞めた元同僚で当時無職で私の親友でした。1ヶ月ほど前二人でラーメンを食べに行ったのに、入院していたなんて全然知りませんでした。同僚の電話を切ったものの駅に向かう夜道で呆然と立ち尽くしてしまい、目に入った右手の携帯電話で思わず〇〇に電話しました。「ただいま電話に出ることが出来ません。ピーっという発信音が...」いつもの〇〇の声の留守番電話でした。「モシモシ、お前、ほんまに死んだんか?」。私の“亡き者への問いかけ“はこんな感じでしたが、「お元気ですか? 私は元気です。」の方が物語の始まりとしてオシャレで美しい、雲泥の差です。
新しい恋に踏み切れない渡辺博子、一つ前の恋についてモヤモヤしてまだ終わっていなかったから?そのモヤモヤの理由が二つ、前彼の“一目惚れ告白即断“の理由と“プロポーズ躊躇“の理由。初めて会った時にすぐ告白したくせにこれから添い遂げようとプロポーズする時に躊躇したのは一体何やネン!?私に何か問題があったのかしら?その理由がわからないままでは新しい恋に両手放しでに飛び込めない私、ということなんでしょうか。
“一目惚れ告白即断“の理由は中学時代の初恋相手の藤井樹(女子)に似ていたから?、二つ目の“プロポーズ躊躇“の理由はまだ想いが藤井樹(女子)にあったから?似ていたけどやっぱり別人だと認識したから?それとも全く別の理由なのか、そして宛先不明で返送されるはずの手紙がきっかけで藤井樹(男子)の過去を知ることになって、それが思っていた通りの藤井樹(男子)だったのか全然違う一面を見せていたのか、藤井樹(男子)とのエピソードも渡辺浩子の所感も作中であまり描写されません。観ているコッチとしてはモヤモヤモヤモヤしたまんまですが、嗚呼そうか、そもそも会えなくなってしまった人との心の繋がりなんて、“ずっとモヤモヤしたまんま“なんだと気付かされます。アイツあの時どう思っていたのか、上司のあの言葉はどういう意味だったのか、何故彼はあんなことをしたのかなどなど種々の“モヤモヤ“で人間関係が成り立っていると言っても過言ではありません。
愛情の基本となる感情は「心配」だと常々考えています。久しく会っていなくても、顔を思い浮かべただけで名前を聞いただけで何か問題に直面していないか“心配“になる、フッと湧いてくるこの感情は理屈でも合理でもない、相手を自分と繋がりのある「心の存在」と考えている証拠、その繋がりのある「心」が大丈夫かどうか含めて「お元気ですか?」は愛情の表現として諸々凝縮されていると思います。人間関係は所詮モヤモヤしたもの、立ち入ったことを細々聞くつもりもないけれど、あなたが心配です、元気で居るならそれで構わない、そして私は元気だから心配無用ですヨ。「お元気ですか?私は元気です。」はモヤモヤはとりあえず置いといた愛情の繋がりの手紙、まさしく「ラブ・レター」そのものなんだと思います。
“あー私の恋は(南から北に吹く)南の風に乗って走るわー“、つまり藤井樹(男子)が落ちたクレバスで最後に想ったのは西の神戸にいる渡辺博子ではなくて北の小樽にいる藤井樹(女子)でした、というのが私の解釈、ちょっと悲しい物語。結局のところ藤井樹(男子)は最期まで藤井樹(女子)のことを想っていたのか、それとも死を覚悟して思い残したことが藤井樹(女子)との中学時代の淡い恋心だったというだけなのか、渡辺浩子は今も藤井樹(男子)に想いを寄せているのか、藤井樹(女子)に聞いた話に失望して藤井樹(男子)への想いを断ち切ることにしたのか、モヤモヤしたままわからない。ということは、「あなたはどう感じましたか?」という監督からの問いかけだったのかな〜と思いました。観る人によって見解が変わりながらも色々な感情を呼び起こすのなら誰にとっても思い当たる節があるという訳で、それが名作たる所以なのかも知れません。
最後にお山に向かって叫ぶ「お元気ですか?私は元気です。」の意味も「あなたのことをまだ想っています」なのか「ありがとうさようなら」なのか観る人の経験・立場によって変わってくることなのでしょう。もし渡辺浩子が藤井樹(男子)が最後に想ったのが藤井樹(女子)と知り愕然として、そしてご当地関西ノリの女性だったなら、「想ってたのはワタシや無かったんかーい!しばいたろかボケー!」とお山に向かって繰り返し叫んでいたことでしょう。京都出身の吉岡里穂さんがベストキャスティングかも知れません。
それにしてもミポリンのお美しいことよ!4Kデジタルリマスターで永遠に語り継がれる作品、故中山美穂さんはもう忘れ去られることはないのでしょう。