ラスト・シューティストのレビュー・感想・評価
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最後のガンマン‼️
西部劇最後の偉大なスター、ジョン・ウェインの遺作‼️自分自身の手でフィルムに刻んだ墓碑銘のような作品ですね‼️20世紀が幕を開けたばかりの1901年、病に冒され死を受け入れた伝説のガンマンの最後の無法者退治‼️冒頭、ウェインの過去の主演作の映像が、主人公の過去として使用されており、今作が遺作であることを考えると、この効果は絶大ですね‼️ドン・シーゲルが監督を務め、ウェインの親友であるジェームズ・スチュアートやローレン・バコールが共演、後に大監督となるロン・ハワードが出演してるのも、ウェインの遺作としてふさわしい‼️内容としても20世紀に入り、町には鉄道や自動車、ドライクリーニングなどの新しい時代の始まり‼️そこにやって来た、時代に取り残されたガンマンの姿は、年老いた西部劇映画のスター、ジョン・ウェインの姿とぴったり重なる‼️今作が製作された1976年は西部劇製作が下火となっている時代‼️そしてジョン・ウェインの死‼️今考えると、当時としては西部劇の終焉のような感じで、目頭がアツくなる作品ですね‼️まぁ、後々西部劇も復活しますけれども・・・‼️
“遺作”として周到に作為された遺作、それでも・・・
原作小説から、ウェインの実情(ネバダ核実験場近くでのロケによる被曝が彼の患った癌の原因とされているのは有名である)、及びフィルモグラフィー上の虚像とも重なる役柄の実現を構想したのは、ウェイン自身のようだが、
そのウェインの徹底して耐え忍ぶ身振りは明らかに、シーゲル映画の男たちのそれである。
いつだって堪えられない男であったはずのウェインが、
医者の辛辣を耐え、記者の横柄を耐え(?)、
保安官の侮蔑を耐え、未亡人の小言を耐え、
身体に巣食う病魔を耐え、死にゆく己の運命を耐えるのをみるとき、
そのあまりに丁寧に準備された“遺作”としての作為を認めつつも、
涙の流れるのを堪えることができない。
ここまで弱りはてた大男が、一体どんな最期を迎えるのか、
ひとしお大きな感動を愚かにも期待する我々に、その愚かさを突き付けるかのように、
ウェインは何百回目かの決闘の中で、呆気なく死んでゆく。
新時代に負ける旧時代人の哀歌といったメロドラマを徹底的に排し、
最期まで活劇的斗いを演じ切るその姿にこそ、真の感動を覚えなければならない。
銃を置けない悲しさ
老ガンマンはセカンドオピニオンを聞きに旧知の医者を訪ねる。そしてやはり先が長くないと言い渡される。しかし30人もの敵を倒し西部に名を轟かして来た有名人であるが故に静かな最期を迎える事は出来そうもないのであった。
どういうわけか全然かっこよさを感じなかった。今まで散々死体の山を築いてきた乱暴者が、西部の掟に従っただけだと言い訳してもそれは飽くまで自分の側から見ればの話であるのは明らかで、正当化する気配を見せるのは興醒めである。
自分の死亡日を決めた後の振る舞いの数々は、映画として狙ったものかもしれないが、「どう、かっこいいでしょう」的なメッセージが見え透いていて、うすら寒い。シナリオとしても演出としても及第点に遠く及ばない。失敗映画である。
ジョン・ウェインの遺作
どんなに嫌いな悪党でも死ぬ際には敬意を払わねばならない。このドラマと同じようにジョン・ウェインは好きじゃない。遺作となれば格別の思いで見てしまう。
死は個人的なものだと主張するブックスだが、自分が殺した死者に対しては敬意を払っていません。「罪の無い人間は殺していない」という言葉も、正義のように聞こえるが、所詮は殺した者の勝手な価値判断だ。まして舞台は20世紀になったばかりで、現代にも通ずるような時代背景。特に宿屋の息子ギロム(ロン・ハワード)に銃を教えている光景は、銃社会を正当化したアメリカ・ナショナリズムに他ならない。
西部劇という映画ジャンルそのものが行き場を失いつつある70年代において、最後のガンマンとして潔く死ぬことがこの映画の最大のテーマ。死を覚悟して酒場に向かうブックスと、彼を撃ちたい3人の男のコントラストが面白い。そして銃を投げ捨てるギロムのおかげで後味は悪くならないのがよかった。
文字通りミスターアメリカのラスト
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