ラスト・シューティストのレビュー・感想・評価
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【”一時の春の、己の最後の誕生日に・・。”今作は末期癌を抱えたジョン・ウェイン演じる伝説のガンマンの最後の一週間を描いた、人間ドラマの風合が濃い、哀愁漂う西部劇である。】
■1901年、ネバダ州カーソン・シティ。
旧知のホステトラー医師(ジェームズ・スチュワート)に末期癌と宣告された、伝説の老ガンマン、J・B・ブックス(ジョン・ウェイン)が、彼の紹介でボンド・ロジャース夫人(ローレン・バコール)が営む下宿屋に、やって来る。
最初は彼を毛嫌いしていた夫人だが、末期癌と知り、且つ彼が紳士的な事である事で、徐々に心を開いて行く。
ブックスは、静かに最期の時を迎えようとしていたが、彼の命を狙いに来る男達や、彼の名により金を得ようとする元恋人セレプタ(シェリー・ノース)などが現れ、彼は一週間後の自分の誕生日に向けて、散髪をし、背広を整え、愛馬を夫人の息子ギロム・ロジャース(
ロン・ハワード)に託して、一人酒場に出掛けるのであった。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・観ていれば予測がつくが、ジョン・ウェイン演じる伝説の老ガンマン、J・B・ブックスは、彼自身の長い西部劇で数々演じて来たガンマンの集大成であろう。
冒頭には、彼が若きときの代表作での、彼が躍動する姿が、映像で映る。
きっと、ジョン・ウェインの意思が、今作には反映されたのだろうと思う。
・ブックスを狙う、彼に兄を殺されたスウィーニー(リチャード・ブーン)、プルフォード
(ヒュー・オブライアン)、コッブ(ビル・マッキーニー)等の、小物っぷりも今作では逆に良いのである。
・酒場に入り、最後の酒を煽りつつ、正面の鏡に映る上記3人の姿を伺うブックス。その後は銃撃戦になり、彼はバーテンダーに撃たれ斃れるが、ギロム・ロジャースが見事に仇を打つのである。
<今作は末期癌を抱えたジョン・ウェイン演じる伝説のガンマンの最後の一週間を描いた哀愁漂う、人間ドラマの風合の濃い西部劇なのである。>
かくして、ウェスタンは滅びん。
1976年はアメリカ独立200年。
ベトナム戦争敗戦の翌年。
それを目一杯カッコ悪く演じさせられる。勿論、僕の独断的な感想だが、本人はカッコよいと思っている。つまり、そのプライド傷つけずに演技させた演出家の腕だと思う。
セリフはモノトーンだし、動作も緩慢でスタント任せ。
でも、「拳銃を後ろから撃つ演技はしない」と言う変な所にプライドがある老優。
まぁ、結果的に遺作になったのだから、良かったんだと思う。
この映画の最初にジョンウェインが「坊や」と言うセリフがあるが、かつて、イーストウッドにジョン・ウェインはもっと侮蔑したセリフを吐いた。それは有名。
アイロニーだね。ドン・シーゲルありがとう。グラントリノを見ると違いがはっきりする。
最後のガンマン‼️
西部劇最後の偉大なスター、ジョン・ウェインの遺作‼️自分自身の手でフィルムに刻んだ墓碑銘のような作品ですね‼️20世紀が幕を開けたばかりの1901年、病に冒され死を受け入れた伝説のガンマンの最後の無法者退治‼️冒頭、ウェインの過去の主演作の映像が、主人公の過去として使用されており、今作が遺作であることを考えると、この効果は絶大ですね‼️ドン・シーゲルが監督を務め、ウェインの親友であるジェームズ・スチュアートやローレン・バコールが共演、後に大監督となるロン・ハワードが出演してるのも、ウェインの遺作としてふさわしい‼️内容としても20世紀に入り、町には鉄道や自動車、ドライクリーニングなどの新しい時代の始まり‼️そこにやって来た、時代に取り残されたガンマンの姿は、年老いた西部劇映画のスター、ジョン・ウェインの姿とぴったり重なる‼️今作が製作された1976年は西部劇製作が下火となっている時代‼️そしてジョン・ウェインの死‼️今考えると、当時としては西部劇の終焉のような感じで、目頭がアツくなる作品ですね‼️まぁ、後々西部劇も復活しますけれども・・・‼️
“遺作”として周到に作為された遺作、それでも・・・
原作小説から、ウェインの実情(ネバダ核実験場近くでのロケによる被曝が彼の患った癌の原因とされているのは有名である)、及びフィルモグラフィー上の虚像とも重なる役柄の実現を構想したのは、ウェイン自身のようだが、
そのウェインの徹底して耐え忍ぶ身振りは明らかに、シーゲル映画の男たちのそれである。
いつだって堪えられない男であったはずのウェインが、
医者の辛辣を耐え、記者の横柄を耐え(?)、
保安官の侮蔑を耐え、未亡人の小言を耐え、
身体に巣食う病魔を耐え、死にゆく己の運命を耐えるのをみるとき、
そのあまりに丁寧に準備された“遺作”としての作為を認めつつも、
涙の流れるのを堪えることができない。
ここまで弱りはてた大男が、一体どんな最期を迎えるのか、
ひとしお大きな感動を愚かにも期待する我々に、その愚かさを突き付けるかのように、
ウェインは何百回目かの決闘の中で、呆気なく死んでゆく。
新時代に負ける旧時代人の哀歌といったメロドラマを徹底的に排し、
最期まで活劇的斗いを演じ切るその姿にこそ、真の感動を覚えなければならない。
銃を置けない悲しさ
老ガンマンはセカンドオピニオンを聞きに旧知の医者を訪ねる。そしてやはり先が長くないと言い渡される。しかし30人もの敵を倒し西部に名を轟かして来た有名人であるが故に静かな最期を迎える事は出来そうもないのであった。
どういうわけか全然かっこよさを感じなかった。今まで散々死体の山を築いてきた乱暴者が、西部の掟に従っただけだと言い訳してもそれは飽くまで自分の側から見ればの話であるのは明らかで、正当化する気配を見せるのは興醒めである。
自分の死亡日を決めた後の振る舞いの数々は、映画として狙ったものかもしれないが、「どう、かっこいいでしょう」的なメッセージが見え透いていて、うすら寒い。シナリオとしても演出としても及第点に遠く及ばない。失敗映画である。
ジョン・ウェインの遺作
どんなに嫌いな悪党でも死ぬ際には敬意を払わねばならない。このドラマと同じようにジョン・ウェインは好きじゃない。遺作となれば格別の思いで見てしまう。
死は個人的なものだと主張するブックスだが、自分が殺した死者に対しては敬意を払っていません。「罪の無い人間は殺していない」という言葉も、正義のように聞こえるが、所詮は殺した者の勝手な価値判断だ。まして舞台は20世紀になったばかりで、現代にも通ずるような時代背景。特に宿屋の息子ギロム(ロン・ハワード)に銃を教えている光景は、銃社会を正当化したアメリカ・ナショナリズムに他ならない。
西部劇という映画ジャンルそのものが行き場を失いつつある70年代において、最後のガンマンとして潔く死ぬことがこの映画の最大のテーマ。死を覚悟して酒場に向かうブックスと、彼を撃ちたい3人の男のコントラストが面白い。そして銃を投げ捨てるギロムのおかげで後味は悪くならないのがよかった。
文字通りミスターアメリカのラスト
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