羅生門のレビュー・感想・評価
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古い映画を見るのは初めてで、最後まで飽きずに見れるかなーと思ったけ...
古い映画を見るのは初めてで、最後まで飽きずに見れるかなーと思ったけど、見れました。 真実はひとつって名探偵が言ってますが、第三者のみぞ知る的な。 みんな自分のことしか考えてないっていう、人間の嫌な部分の映画でした。 最後に、善意で赤ちゃん連れて帰った人すら、怪しく見えた笑
芥川龍之介の短編小説 『藪の中』と『羅生門』を原作。遺体発見者の嘘...
芥川龍之介の短編小説 『藪の中』と『羅生門』を原作。遺体発見者の嘘はとるに足らない悪で、赤子を引き取った善でその悪は十分帳消しになっていると思います。遺体発見者がつくぐらいの嘘は人間にとっての必要悪だとも思えます。その必要悪を悔いることで赤子を引き取ったならば御の字でしょう。やはり後世に名を遺す作品は人間の根幹・根源の部分をシンプルに描き切った作品だと常々感じます。 京マチ子はこれで出演作を見て2作目です。1作目は市川崑の鍵鑑賞。
時を超えてなお斬新なカメラワーク・映像美と俳優陣の迫力
黒澤映画はかなり見てきているが、羅生門を見るのは初めて。 後の作品でも見せられ、加えてさんざんに信望者に真似つくされてきたはずだが、走る三船敏郎を追いかけるカメラの疾走感と森林中の木漏れ日が動きの中で織り成す光と陰が、今もなおとても斬新な印象で、自分としても驚かされた。やはり、本家本元のレベルの高さは半端では無いことを再認識させられた。 三船敏郎の野性味と卑しさの共存も魅力的、こんなに魅力的な俳優であったのか。京マチ子のセリフの迫力と超アップでの目力にも驚愕。
まさに今
黒澤明生誕110年のタイミングで、NHKが選んで放送するのが、これかと思って、改めて観た。 羅生門の舞台は、平安時代だ。 芥川龍之介の原作で、「羅生門」と「藪の中」を合わせたストーリーなのだが、どちらかというと「藪の中」がメインだ。 そして、背景は「飢饉」と「疫病」の広がる京の都。 しかし、度重なる気候変動による自然災害と、新型コロナウイルス肺炎のパンデミックを考えたら、まさに現代に通じる。 そして、自分の都合でウソを散りばめ、それを正当化しようとしたり、上辺で正義を振りかざしても、実は裏でインチキを厭わない政治家連中を毎日のように報道で目にするにつけ、今の僕達の生きる社会を皮肉っているようにも感じる。 日本の政治はまさに劣化の最中だが、コロナ禍が広がる世界のあちこちの国もそうなのかもしれない。 やれやれという感じだ。 黒澤明は、芥川龍之介の原作をもとに、人間とは所詮、このようなものなのだと言いたかったのかもしれない。 しかし、黒澤明は同時に、人間には良心が残されていて、希望を見出すストーリーも残している。 ハイテクで便利になったが、逆に人間の心が荒んでしまっているように感じることは少なくない。 名前を隠してネットで攻撃したり、言葉の意味も調べず勉強不足のままウソを厭わないバカな連中。 自らを省みるなんて考えることもない。 僕達は現代にあって、希望を見出すことは果たして出来るのだろうか。
当時、日本、シェークスピア
価値観は、オセロゲームのように、きっかけさえあれば、ひっくり返る。 それを、セリフにして、舞台にのせたのが、シェークスピアだ、とワタシは思っています。 ところが、当時、日本という世界にはまだまだ未知の国で、こんな映画が作られたとは! これは世界がびっくりするのも無理はない。 人によって、立場が違えば、自分を守る価値観は違う。それを観る人に突きつける。 舞台となる極暑の森や、豪雨の朽ちた門も、選び抜かれた背景。 しかも、刀を持ってはいても、人を斬るなんて、そうそうできるものではないという情けない行動で、観る人と登場人物が同じレベルだと見せつける。 言葉一つで、欲しがるし、捨てるし、争うし。 特に女性問題は、永遠のテーマですね。。 俳優たちが、この後、七人の侍で、全く別の顔ででてくるのも、みんな驚いたでしょうね。(あ、三船は似たキャラですけど。w) とにかく、ほかの映画たちとは、一線を画す古典だと思います。
現在と何も変わらない〜〜
「7人の侍」と並び、黒澤明監督の代表作。 あまりにも有名だけど 案外観たことのある人は少ないのでは? 芥川龍之介の「藪の中」と「羅生門」を組み合わせて 再構築した話です。 殺人事件が起きて捕まった犯人と その場にいた被害者の妻と 被害者の霊魂の三人の言い分が食い違う。 それに加えて、事件の前後に3人を見た木こりもまた、 何やら事情が有る様子。 単純に事件を解決するだけなら 黒澤明が監督するまでも無く、 コナン君でも呼んでくれば済む話だけど 罪から逃れられなくとも 自分の名誉や何かの名誉は守りたい。 その複雑な一人一人の心理が話をより複雑にしてゆく。 京マチ子の変幻自在の演技を是非ご堪能あれ! 貞淑な奥方様から一瞬に娼婦のごとき妖艶な流し目、 蓮っ葉な下町女の様に見えて、 実は己の立場を計算しながらの狡猾な淑女に戻っている。 流石です。 で、月に8回程映画館に通う中途半端な映画好きとしては 舞台となった平安の末期かな? 度重なる天変地異による飢餓のために人々の心が荒廃し 生き延びる為なら 赤子からも衣服を剥ぎ取る様な時代〜〜 これって、現在と何にも変わってないじゃんか! そんな時代に、せめて真実に誠実に生きることで 人としての矜持を保とうとする生き様が 海外で評価されたと、どなたかがブログに書かれてました。 「映画の中の話」だよね〜 なんてもう言っていられない現代に 自分はどこまで、人としていられるだろうか? 精神的にかなり怖い映画ですわ @もう一度観るなら? 「また企画上映があったら観たいかも〜」
・傍観者の語る女の言動が一番しっくりくる。男もそうするだろうなと ...
・傍観者の語る女の言動が一番しっくりくる。男もそうするだろうなと ・最後は心の底から信じたいがほんの少しだけ「大丈夫かしら」と思っちゃった
色々考えさせられる
人は生きるために嘘をついたり、人を殺めたり、 盗んだりする。 でも、、どこででも聖人君子のような行いが出来る訳がないのだ。 それは貧しいから、飢えているから。 そして弱いから、という理由もあるだろう。 最後に赤ちゃんを抱いて羅生門を出て行ったあの木こりは・・・ きっと赤ちゃんを捨て、産着を盗っていったに違いない (私の解釈) 欲と嘘。 これらからはもう永遠に逃れられない。 それが人間。 悲しいけど、人間て醜いものなのですよ。 そういうことを表しているのだと思う。 後味はあまり良くないけど、 ほんのりと、マイルドに「あなたにだってこういうところがあるのですからね」 と言われているようで 身が引き締まります。 ちょっといまいちな感想。
静と動、引きとアップ
正直言うと、何が世界的に凄いとされたかは、 今となっては、あるいは無知なだけだか分からない。 だけどあっという間の90分。 それは飽きさせないカメラワークや構図だと思う。 絵力が強いという印象が残った。 三船敏郎の目力も凄かったが、 とにかく色んなところから撮る、上から下から、 藪の中から、追いかけて撮り、正面から撮る。 羅生門の造形含め、とにかく絵が面白かった。 ストーリーは一つの事件を三つの視点で繰り広げられる。 誰を信じて良いのか、この世は地獄かと 嘆く僧なのだけど、そこまでの事か? と思ってしまったのは、 今の時代が地獄なのかもしれないと思った。 最後の赤ちゃんを連れて行ったアイツは本当に善意の行動なのか?…
羅生門
斬新とされるカメラワークとか、正直よくわかりませんでした。68年前斬新でも今多用されているならわからないのも無理ないですよね😅素人ですから。 ということで、特に前半、退屈だったことは否定できません。 女優さんが自分には魅力的に感じられなかったのも痛いですね……あとでググってみたら綺麗な感じだったので他の作品を観てみたいと思いました。 しかし後半、ぬえのような人間の本性を突きつけられたかのようで考えさせられました。
裁判員制度で裁判員に選ばれたらどうしよう
大前提:人間の証言から心理的要素を100%排除するのは不可能である。 どんなにフェアであろうと心掛けている人であっても、見た目の印象によるフィルター効果(プラス・マイナスともに)、他人に良く思われたい、とか、自分の証言が決定的なものだった場合のヒーロー的気分の高揚感、逆に責任を負いたくないので曖昧にしてしまう、などの心理的要素を100%排除するのは出来ないと思います。 目撃者の証言についても、証言者の性格などによって信憑性や客観性が違ってくるということを踏まえていないと迂闊に判断出来ないということになる。 一見、ぶざまにすら見えるほどリアルな格闘シーンも、人間なんてこんなもんだよ、ということを効果的に悟らせる。 1950年に作られた映画というのだから凄すぎる。
芥川龍之介原作。内容はほぼ小説「藪の中」、ほんの少し「羅生門」。映...
芥川龍之介原作。内容はほぼ小説「藪の中」、ほんの少し「羅生門」。映画タイトルは「羅生門」なのにね(笑)両小説とも人間のエゴイズムに鋭く切り込んだ名作です。 小説「藪の中」では真実は語られないままに終わったはずだが、映画では真実が明らかとなっている。賛否が分かれるところか。 エンディングもまた小説「羅生門」とは違う独自のもの。黒澤監督の人間性がなんとはなく感じられます。 二つの小説を独自の解釈を交えつつ、上手く繋ぎ合わせた素晴らしい作品だと思います。私は内容的には小説の方が好きですが(笑) 三船敏郎と京マチ子がうるさい映画です(笑)
原作の羅城門及び芥川版の羅生門との違い
この映画は 内容こそ別物であれども そのメッセージ、またはその本質はやはり羅生門であるでしょう。 しかし羅城門、羅生門とは決定的に違う点がひとつ。 それはこの映画が人間への希望をもって終わることでしょう。 ラストで ある人物が赤子を抱え立ち去るシーンのあとに映る 羅生門 と書かれた看板には 冒頭のカットとは 全く違う解釈が生まれるのではないでしょうか。 というのは解釈のひとつに過ぎず、例えば、ラストの羅生門のカットは その人物が 生きるために ウソをついて赤子を我が物としたことを意味しているとも捉えることもできるでしょう。 シンプルなストーリーながら多面的な解釈ができるのがこの作品の魅力です。
「人間」を描く。
昔の作品であってか、所々でセリフが聞き取れなかったし、雨音と笑い声がデカすぎるのがかなり気になった。しかし、内容をみると、さすが現代の作品にも劣らない名作といわれるものだなと思った。 何が嘘でどれが真実かなどはどうでもいい(自分なりに考察するのは面白いと思うが)。この映画が描きたかったのは人間の本質だと思う。人間の心は欲にまみれ、偽善に汚れ、何を信じればいいのか分からなくなる。しかし人間の本性は善であるように(性善説)、どんなに偽善に汚れようが、同時に善の心も持ち合わせている。だから、信じていくことができるのだ。そんなことを、この映画・黒澤監督は伝えたかったのだと思う。最後のシーンでその事がよくわかる。
解らない
人の心は不可解なもの 真実ではなく思考すること 負の感情が入り乱れ世の人が悪に見える 人とは人間とはどれだけ汚れても 逞しく生きるものだ 優しさや哀れみをなくしても なお生きていかねばならぬ がそれをなくした人間は人間ではなくなるのかも知れない 悪だ鬼だ! だかこそ最後のカットが心を打つのだと思う 修羅の場になってこそ人が人としての本質が出るのだと 誰もがそうであってほしい 人をやっぱり信じたいです
何を喋っているのか聞き取れなかった。残念。 字幕があればなー ーー...
何を喋っているのか聞き取れなかった。残念。 字幕があればなー ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 2018・1・22 追記(VODで字幕付きで再鑑賞) 人間のプライド、恥、欲、優しさ を見事に描いてた思います。 俳優の演技はもちろん、演出もすばらしい。
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