羅生門のレビュー・感想・評価
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当時、日本、シェークスピア
価値観は、オセロゲームのように、きっかけさえあれば、ひっくり返る。
それを、セリフにして、舞台にのせたのが、シェークスピアだ、とワタシは思っています。
ところが、当時、日本という世界にはまだまだ未知の国で、こんな映画が作られたとは!
これは世界がびっくりするのも無理はない。
人によって、立場が違えば、自分を守る価値観は違う。それを観る人に突きつける。
舞台となる極暑の森や、豪雨の朽ちた門も、選び抜かれた背景。
しかも、刀を持ってはいても、人を斬るなんて、そうそうできるものではないという情けない行動で、観る人と登場人物が同じレベルだと見せつける。
言葉一つで、欲しがるし、捨てるし、争うし。
特に女性問題は、永遠のテーマですね。。
俳優たちが、この後、七人の侍で、全く別の顔ででてくるのも、みんな驚いたでしょうね。(あ、三船は似たキャラですけど。w)
とにかく、ほかの映画たちとは、一線を画す古典だと思います。
現在と何も変わらない〜〜
「7人の侍」と並び、黒澤明監督の代表作。
あまりにも有名だけど
案外観たことのある人は少ないのでは?
芥川龍之介の「藪の中」と「羅生門」を組み合わせて
再構築した話です。
殺人事件が起きて捕まった犯人と
その場にいた被害者の妻と
被害者の霊魂の三人の言い分が食い違う。
それに加えて、事件の前後に3人を見た木こりもまた、
何やら事情が有る様子。
単純に事件を解決するだけなら
黒澤明が監督するまでも無く、
コナン君でも呼んでくれば済む話だけど
罪から逃れられなくとも
自分の名誉や何かの名誉は守りたい。
その複雑な一人一人の心理が話をより複雑にしてゆく。
京マチ子の変幻自在の演技を是非ご堪能あれ!
貞淑な奥方様から一瞬に娼婦のごとき妖艶な流し目、
蓮っ葉な下町女の様に見えて、
実は己の立場を計算しながらの狡猾な淑女に戻っている。
流石です。
で、月に8回程映画館に通う中途半端な映画好きとしては
舞台となった平安の末期かな?
度重なる天変地異による飢餓のために人々の心が荒廃し
生き延びる為なら
赤子からも衣服を剥ぎ取る様な時代〜〜
これって、現在と何にも変わってないじゃんか!
そんな時代に、せめて真実に誠実に生きることで
人としての矜持を保とうとする生き様が
海外で評価されたと、どなたかがブログに書かれてました。
「映画の中の話」だよね〜
なんてもう言っていられない現代に
自分はどこまで、人としていられるだろうか?
精神的にかなり怖い映画ですわ
@もう一度観るなら?
「また企画上映があったら観たいかも〜」
色々考えさせられる
人は生きるために嘘をついたり、人を殺めたり、
盗んだりする。
でも、、どこででも聖人君子のような行いが出来る訳がないのだ。
それは貧しいから、飢えているから。
そして弱いから、という理由もあるだろう。
最後に赤ちゃんを抱いて羅生門を出て行ったあの木こりは・・・
きっと赤ちゃんを捨て、産着を盗っていったに違いない
(私の解釈)
欲と嘘。
これらからはもう永遠に逃れられない。
それが人間。
悲しいけど、人間て醜いものなのですよ。
そういうことを表しているのだと思う。
後味はあまり良くないけど、
ほんのりと、マイルドに「あなたにだってこういうところがあるのですからね」
と言われているようで
身が引き締まります。
ちょっといまいちな感想。
静と動、引きとアップ
羅生門
裁判員制度で裁判員に選ばれたらどうしよう
大前提:人間の証言から心理的要素を100%排除するのは不可能である。
どんなにフェアであろうと心掛けている人であっても、見た目の印象によるフィルター効果(プラス・マイナスともに)、他人に良く思われたい、とか、自分の証言が決定的なものだった場合のヒーロー的気分の高揚感、逆に責任を負いたくないので曖昧にしてしまう、などの心理的要素を100%排除するのは出来ないと思います。
目撃者の証言についても、証言者の性格などによって信憑性や客観性が違ってくるということを踏まえていないと迂闊に判断出来ないということになる。
一見、ぶざまにすら見えるほどリアルな格闘シーンも、人間なんてこんなもんだよ、ということを効果的に悟らせる。
1950年に作られた映画というのだから凄すぎる。
芥川龍之介原作。内容はほぼ小説「藪の中」、ほんの少し「羅生門」。映...
原作の羅城門及び芥川版の羅生門との違い
人の心
字幕なしでは全く聞き取れず断念…。
字幕付きで恐る恐るリトライ。
何より芥川龍之介の原作が素晴らしいからなのだと思いますが、アレンジしたにしても流石の名作です。感動しました。
ある殺人事件に関わる3人の証言。
そして目撃者の証言。
全ての証言が食い違う事件を、善人の僧は理解出来ませんが、人間の本質を知る下人は見抜いています。
最後には僧ですら一瞬人間不信に陥らせてしまうこの物語。
僧「人間は弱いからこそ嘘もつく。己さえ偽る。」
下人「一体正しい人間なんているのかい?みんな自分でそう思ってるだけじゃねぇのか。人間っていうやつぁ自分に都合の悪いことは忘れちまって、都合のいい嘘を本当だと思ってやがんだ。その方が楽だからな。」
「人の気持ちを考えてたら切りがねぇ。手前勝手でねぇやつが生きていかれる世の中じゃねぇや。」
盗賊、疫病、飢饉、火事、戦より恐ろしいのは人の心。
サスペンスとして観ても面白いです。
【多襄丸】
*悪名高い盗賊としての見栄
●隠したいこと
真砂に惚れてプロポーズしたこと。夫に見放されるような女にプロポーズして格好悪くなったこと。実は大したことのない戦の腕前と武弘を殺すのが怖かったこと。そして決闘で勝っても真砂に逃げられたこと。
○正直に話していること
真砂の気性の激しさに惹かれたこと。真砂に武弘と戦うよう仕向けられたこと。武弘の殺害。
【真砂】
*辱められたが同情を買って世間体を保ちたい
*女の意地
●隠したいこと
激しい気性。男達に決闘をけしかけたこと。夫の死の原因を作ったこと。
○正直に話していること
夫に蔑まれて傷付いたこと。
巫女=武弘の前提で。
【武弘】
*夫としてのプライド
*男の見栄
●隠したいこと
妻を寝取られた悔しさ。決闘で負けて殺されたこと。
○正直に話していること
多襄丸が妻にプロポーズ。妻を軽蔑。妻の言動に傷付いたこと。刺さった刀を誰かが抜いたこと。
【杣売】
*正直な部外者でありたい
●隠したいこと
短刀を盗んだこと
○正直に話していること
多襄丸のプロポーズ。真砂による決闘の提案。多襄丸が武弘を殺害。
多襄丸が本当に短刀の行方を知らないのなら、武弘から太刀を抜いたのは多襄丸。実は多襄丸が短刀で殺していた、もしくは真砂が戻って来て、死んだ夫を(見て気絶したかは不明だが)改めて短刀で刺したのなら、抜いたのは杣売。不明点はここだけ?
誰も暴行と殺人(自死)については隠さない…(°_°)。
そもそも詐欺がいけないでしょう…。
死んだ人間まで嘘をつくのか??
死人に口なしどころか…。
本当、あの世に逝ってまで見栄は張りたくないかな…。
本作以降、登場人物の数名は「七人の侍」メンバーに!
「人間」を描く。
昔の作品であってか、所々でセリフが聞き取れなかったし、雨音と笑い声がデカすぎるのがかなり気になった。しかし、内容をみると、さすが現代の作品にも劣らない名作といわれるものだなと思った。
何が嘘でどれが真実かなどはどうでもいい(自分なりに考察するのは面白いと思うが)。この映画が描きたかったのは人間の本質だと思う。人間の心は欲にまみれ、偽善に汚れ、何を信じればいいのか分からなくなる。しかし人間の本性は善であるように(性善説)、どんなに偽善に汚れようが、同時に善の心も持ち合わせている。だから、信じていくことができるのだ。そんなことを、この映画・黒澤監督は伝えたかったのだと思う。最後のシーンでその事がよくわかる。
異なる証言
ある殺人事件を巡って当事者3人の証言が三様に異なる。事件を客観的に見ていた人物が語る真相により、何故3人が異なった証言をする事になったのかが見えてくる。
プライド、意地、見栄、世間体、罪悪感、人間の持つ色々な感情を想像させられる。
そして、最後に客観的に見ていた人物ですら、事実を隠している事が明らかになる。
人は生きていく為、他の誰かの為にも嘘をつく事がある。人を信頼し信じる事は、嘘もひっくるめて信じられるかどうかなのかもしれない。
噓をつく人がいても、それでも正しく生きる。
黒澤明監督の映画である。盗賊が夫婦を襲って奥さんをおかして夫を殺してしまうという性暴力の話なのだが、その経緯が当時者3人によって証言が食い違い、何が本当なのかという事になる。捕まえられた裁判のような場で、まずは盗賊が証言する。次に奥さんが証言する。盗賊と奥さんの言い分が、夫の死に至る経緯がまるで違っている。次が現実的でないと言ってはおしまいだが、巫女の口をかりて死んだ夫が証言するのである。これもまた二人の証言と違っている。これで何が本当なのかとすると推理になってしまうのだが、私が最初みた限りでは、なぜか、巫女の口からではあるが夫が妻の事を悪者にしているのが不自然であった。とすれば、わざわざ妻を悪者にしてまでの話だから死んだ夫の証言(変だが)が事実だろうかとも思えてしまう。そこからなぜ妻と盗賊がそれぞれ違う証言だったかを推理したほうが良いだろうか。これは現代人としては巫女には失礼だが、そうすると変になるか。
盗賊と奥さんの話だけ比較すべきだろうか。だとすると。メモしていないのでわからなくなってしまった。私の記憶力がそもそも弱すぎた。ところが羅生門でそれを目撃したという男が、裁判のような場ではないからと別の雨宿りの男に語り始める。すると、死んだ夫が冷徹だったと言うことになる。
しかし奥さんの言葉でそれを改めていた。羅生門の男の話が一番女の情念を感じるだろうか。では妻の証言は何だったか。それに、羅生門の男お言い分が正しいなら、どうして奥さんは夫に背後から味方しなかったのか。夫が勝つものと信じたか。男なら闘って女を奪えと啖呵を切ってしまったからか。盗賊はかっこうをみせるためにそう語ったのか。やはりでは奥さんの証言の違いは。
その心理を考えるのがみそなのか。奥さんは盗賊のほうに味方していたような証言だったことになってしまうのか・・・。雨宿りは3人いたのだが、羅生門に残る2人の間の最後への会話が、噓がつける人間をどう信じるかという賭けを考えさせる。戦争後5年の間に作られ上映された映画だ。
戦争からの噓と、それでも人間は信じていかねば社会が成り立たないという意味もあったのだろうか。
解らない
何を喋っているのか聞き取れなかった。残念。 字幕があればなー ーー...
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