羅生門のレビュー・感想・評価
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・傍観者の語る女の言動が一番しっくりくる。男もそうするだろうなと ...
・傍観者の語る女の言動が一番しっくりくる。男もそうするだろうなと ・最後は心の底から信じたいがほんの少しだけ「大丈夫かしら」と思っちゃった
色々考えさせられる
人は生きるために嘘をついたり、人を殺めたり、 盗んだりする。 でも、、どこででも聖人君子のような行いが出来る訳がないのだ。 それは貧しいから、飢えているから。 そして弱いから、という理由もあるだろう。 最後に赤ちゃんを抱いて羅生門を出て行ったあの木こりは・・・ きっと赤ちゃんを捨て、産着を盗っていったに違いない (私の解釈) 欲と嘘。 これらからはもう永遠に逃れられない。 それが人間。 悲しいけど、人間て醜いものなのですよ。 そういうことを表しているのだと思う。 後味はあまり良くないけど、 ほんのりと、マイルドに「あなたにだってこういうところがあるのですからね」 と言われているようで 身が引き締まります。 ちょっといまいちな感想。
静と動、引きとアップ
正直言うと、何が世界的に凄いとされたかは、 今となっては、あるいは無知なだけだか分からない。 だけどあっという間の90分。 それは飽きさせないカメラワークや構図だと思う。 絵力が強いという印象が残った。 三船敏郎の目力も凄かったが、 とにかく色んなところから撮る、上から下から、 藪の中から、追いかけて撮り、正面から撮る。 羅生門の造形含め、とにかく絵が面白かった。 ストーリーは一つの事件を三つの視点で繰り広げられる。 誰を信じて良いのか、この世は地獄かと 嘆く僧なのだけど、そこまでの事か? と思ってしまったのは、 今の時代が地獄なのかもしれないと思った。 最後の赤ちゃんを連れて行ったアイツは本当に善意の行動なのか?…
羅生門
斬新とされるカメラワークとか、正直よくわかりませんでした。68年前斬新でも今多用されているならわからないのも無理ないですよね😅素人ですから。 ということで、特に前半、退屈だったことは否定できません。 女優さんが自分には魅力的に感じられなかったのも痛いですね……あとでググってみたら綺麗な感じだったので他の作品を観てみたいと思いました。 しかし後半、ぬえのような人間の本性を突きつけられたかのようで考えさせられました。
裁判員制度で裁判員に選ばれたらどうしよう
大前提:人間の証言から心理的要素を100%排除するのは不可能である。 どんなにフェアであろうと心掛けている人であっても、見た目の印象によるフィルター効果(プラス・マイナスともに)、他人に良く思われたい、とか、自分の証言が決定的なものだった場合のヒーロー的気分の高揚感、逆に責任を負いたくないので曖昧にしてしまう、などの心理的要素を100%排除するのは出来ないと思います。 目撃者の証言についても、証言者の性格などによって信憑性や客観性が違ってくるということを踏まえていないと迂闊に判断出来ないということになる。 一見、ぶざまにすら見えるほどリアルな格闘シーンも、人間なんてこんなもんだよ、ということを効果的に悟らせる。 1950年に作られた映画というのだから凄すぎる。
芥川龍之介原作。内容はほぼ小説「藪の中」、ほんの少し「羅生門」。映...
芥川龍之介原作。内容はほぼ小説「藪の中」、ほんの少し「羅生門」。映画タイトルは「羅生門」なのにね(笑)両小説とも人間のエゴイズムに鋭く切り込んだ名作です。 小説「藪の中」では真実は語られないままに終わったはずだが、映画では真実が明らかとなっている。賛否が分かれるところか。 エンディングもまた小説「羅生門」とは違う独自のもの。黒澤監督の人間性がなんとはなく感じられます。 二つの小説を独自の解釈を交えつつ、上手く繋ぎ合わせた素晴らしい作品だと思います。私は内容的には小説の方が好きですが(笑) 三船敏郎と京マチ子がうるさい映画です(笑)
原作の羅城門及び芥川版の羅生門との違い
この映画は 内容こそ別物であれども そのメッセージ、またはその本質はやはり羅生門であるでしょう。 しかし羅城門、羅生門とは決定的に違う点がひとつ。 それはこの映画が人間への希望をもって終わることでしょう。 ラストで ある人物が赤子を抱え立ち去るシーンのあとに映る 羅生門 と書かれた看板には 冒頭のカットとは 全く違う解釈が生まれるのではないでしょうか。 というのは解釈のひとつに過ぎず、例えば、ラストの羅生門のカットは その人物が 生きるために ウソをついて赤子を我が物としたことを意味しているとも捉えることもできるでしょう。 シンプルなストーリーながら多面的な解釈ができるのがこの作品の魅力です。
人の心
字幕なしでは全く聞き取れず断念…。
字幕付きで恐る恐るリトライ。
何より芥川龍之介の原作が素晴らしいからなのだと思いますが、アレンジしたにしても流石の名作です。感動しました。
ある殺人事件に関わる3人の証言。
そして目撃者の証言。
全ての証言が食い違う事件を、善人の僧は理解出来ませんが、人間の本質を知る下人は見抜いています。
最後には僧ですら一瞬人間不信に陥らせてしまうこの物語。
僧「人間は弱いからこそ嘘もつく。己さえ偽る。」
下人「一体正しい人間なんているのかい?みんな自分でそう思ってるだけじゃねぇのか。人間っていうやつぁ自分に都合の悪いことは忘れちまって、都合のいい嘘を本当だと思ってやがんだ。その方が楽だからな。」
「人の気持ちを考えてたら切りがねぇ。手前勝手でねぇやつが生きていかれる世の中じゃねぇや。」
盗賊、疫病、飢饉、火事、戦より恐ろしいのは人の心。
サスペンスとして観ても面白いです。
【多襄丸】
*悪名高い盗賊としての見栄
●隠したいこと
真砂に惚れてプロポーズしたこと。夫に見放されるような女にプロポーズして格好悪くなったこと。実は大したことのない戦の腕前と武弘を殺すのが怖かったこと。そして決闘で勝っても真砂に逃げられたこと。
○正直に話していること
真砂の気性の激しさに惹かれたこと。真砂に武弘と戦うよう仕向けられたこと。武弘の殺害。
【真砂】
*辱められたが同情を買って世間体を保ちたい
*女の意地
●隠したいこと
激しい気性。男達に決闘をけしかけたこと。夫の死の原因を作ったこと。
○正直に話していること
夫に蔑まれて傷付いたこと。
巫女=武弘の前提で。
【武弘】
*夫としてのプライド
*男の見栄
●隠したいこと
妻を寝取られた悔しさ。決闘で負けて殺されたこと。
○正直に話していること
多襄丸が妻にプロポーズ。妻を軽蔑。妻の言動に傷付いたこと。刺さった刀を誰かが抜いたこと。
【杣売】
*正直な部外者でありたい
●隠したいこと
短刀を盗んだこと
○正直に話していること
多襄丸のプロポーズ。真砂による決闘の提案。多襄丸が武弘を殺害。
多襄丸が本当に短刀の行方を知らないのなら、武弘から太刀を抜いたのは多襄丸。実は多襄丸が短刀で殺していた、もしくは真砂が戻って来て、死んだ夫を(見て気絶したかは不明だが)改めて短刀で刺したのなら、抜いたのは杣売。不明点はここだけ?
誰も暴行と殺人(自死)については隠さない…(°_°)。
そもそも詐欺がいけないでしょう…。
死んだ人間まで嘘をつくのか??
死人に口なしどころか…。
本当、あの世に逝ってまで見栄は張りたくないかな…。
本作以降、登場人物の数名は「七人の侍」メンバーに!
「人間」を描く。
昔の作品であってか、所々でセリフが聞き取れなかったし、雨音と笑い声がデカすぎるのがかなり気になった。しかし、内容をみると、さすが現代の作品にも劣らない名作といわれるものだなと思った。 何が嘘でどれが真実かなどはどうでもいい(自分なりに考察するのは面白いと思うが)。この映画が描きたかったのは人間の本質だと思う。人間の心は欲にまみれ、偽善に汚れ、何を信じればいいのか分からなくなる。しかし人間の本性は善であるように(性善説)、どんなに偽善に汚れようが、同時に善の心も持ち合わせている。だから、信じていくことができるのだ。そんなことを、この映画・黒澤監督は伝えたかったのだと思う。最後のシーンでその事がよくわかる。
異なる証言
ある殺人事件を巡って当事者3人の証言が三様に異なる。事件を客観的に見ていた人物が語る真相により、何故3人が異なった証言をする事になったのかが見えてくる。
プライド、意地、見栄、世間体、罪悪感、人間の持つ色々な感情を想像させられる。
そして、最後に客観的に見ていた人物ですら、事実を隠している事が明らかになる。
人は生きていく為、他の誰かの為にも嘘をつく事がある。人を信頼し信じる事は、嘘もひっくるめて信じられるかどうかなのかもしれない。
噓をつく人がいても、それでも正しく生きる。
黒澤明監督の映画である。盗賊が夫婦を襲って奥さんをおかして夫を殺してしまうという性暴力の話なのだが、その経緯が当時者3人によって証言が食い違い、何が本当なのかという事になる。捕まえられた裁判のような場で、まずは盗賊が証言する。次に奥さんが証言する。盗賊と奥さんの言い分が、夫の死に至る経緯がまるで違っている。次が現実的でないと言ってはおしまいだが、巫女の口をかりて死んだ夫が証言するのである。これもまた二人の証言と違っている。これで何が本当なのかとすると推理になってしまうのだが、私が最初みた限りでは、なぜか、巫女の口からではあるが夫が妻の事を悪者にしているのが不自然であった。とすれば、わざわざ妻を悪者にしてまでの話だから死んだ夫の証言(変だが)が事実だろうかとも思えてしまう。そこからなぜ妻と盗賊がそれぞれ違う証言だったかを推理したほうが良いだろうか。これは現代人としては巫女には失礼だが、そうすると変になるか。
盗賊と奥さんの話だけ比較すべきだろうか。だとすると。メモしていないのでわからなくなってしまった。私の記憶力がそもそも弱すぎた。ところが羅生門でそれを目撃したという男が、裁判のような場ではないからと別の雨宿りの男に語り始める。すると、死んだ夫が冷徹だったと言うことになる。
しかし奥さんの言葉でそれを改めていた。羅生門の男の話が一番女の情念を感じるだろうか。では妻の証言は何だったか。それに、羅生門の男お言い分が正しいなら、どうして奥さんは夫に背後から味方しなかったのか。夫が勝つものと信じたか。男なら闘って女を奪えと啖呵を切ってしまったからか。盗賊はかっこうをみせるためにそう語ったのか。やはりでは奥さんの証言の違いは。
その心理を考えるのがみそなのか。奥さんは盗賊のほうに味方していたような証言だったことになってしまうのか・・・。雨宿りは3人いたのだが、羅生門に残る2人の間の最後への会話が、噓がつける人間をどう信じるかという賭けを考えさせる。戦争後5年の間に作られ上映された映画だ。
戦争からの噓と、それでも人間は信じていかねば社会が成り立たないという意味もあったのだろうか。
解らない
人の心は不可解なもの 真実ではなく思考すること 負の感情が入り乱れ世の人が悪に見える 人とは人間とはどれだけ汚れても 逞しく生きるものだ 優しさや哀れみをなくしても なお生きていかねばならぬ がそれをなくした人間は人間ではなくなるのかも知れない 悪だ鬼だ! だかこそ最後のカットが心を打つのだと思う 修羅の場になってこそ人が人としての本質が出るのだと 誰もがそうであってほしい 人をやっぱり信じたいです
何を喋っているのか聞き取れなかった。残念。 字幕があればなー ーー...
何を喋っているのか聞き取れなかった。残念。 字幕があればなー ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 2018・1・22 追記(VODで字幕付きで再鑑賞) 人間のプライド、恥、欲、優しさ を見事に描いてた思います。 俳優の演技はもちろん、演出もすばらしい。
わからねぇ
印象的な冒頭のセリフ。 食い違う証言、真実は藪の中。人間とは何なのか。 でも実際は真実などどうでもよくて、魔が差しかけた時、人として良心に耳を傾けられるかどうか、人の業の肯定と許しの物語なのかなぁとぼんやり。 ラストの坊主以上にその良心を信じられない辺り、歪んでるなぁと猛省w 一番わからないのは自分の心ですかね。
黒澤映画初心者に
世界が日本映画を認知するきっかけとなった映画史的に極めて重要な黒澤明の代表作のひとつ。 本作は橋本忍が芥川龍之介の「藪の中」を脚本化した「雌雄」という作品に同じ芥川の「羅生門」のエッセンスを加えて成立している。橋本の脚本が映画にするには短かすぎたかららしい。ストーリーはとても観念的で、分かりやすい物語しか理解しないひとには向かない。しかし映画好きなら映画が英語ではmotion pictureとも呼ばれる意味が染み込んでくるはず。 斬新なカメラワークと実験的な殺陣。セリフは簡潔で少ない。むしろ俳優の動きとそれを追うカメラがこの映画の魅力。まさにmotion picture。海外で絶賛された理由のひとつだ。 昨今のひとはモノクロの映画がダメらしい。しかし黒澤映画の多くはモノクロ。それだけの理由で観ないのはもったいない。この映画は短いし、観念的ではあるが小難しいストーリーでもない。黒澤映画を最初に観るにはうってつけ。モノクロ映画も良いとなったら、「生きる」や「七人の侍」も観てください。そして小津安二郎や成瀬巳喜男や山中貞雄の名作も。あなたの映画体験がさらに豊かになります。
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