汚れた血

ALLTIME BEST

劇場公開日:1988年2月6日

解説・あらすじ

レオス・カラックスの、アレックスという青年を主人公にした3部作の2作目。愛のないセックスで伝染する死の病、STBOが蔓延する近未来のパリ。父を亡くしたアレックスは、父と同じく借金を抱える父の友人マルクから、ある製薬会社が開発したSTBOの特効薬を盗む話を持ちかけられる。マルクの愛人アンナをジュリエット・ビノシュが、アレックスのガールフレンドのリーズをジュリー・デルピーが演じている。

1986年製作/125分/フランス
原題または英題:Mauvais Sang
劇場公開日:1988年2月6日

スタッフ・キャスト

全てのスタッフ・キャストを見る

関連ニュース

関連ニュースをもっと読む

フォトギャラリー

  • 画像1

写真提供:アマナイメージズ

映画レビュー

5.0 飛べない生

2024年4月19日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD
ネタバレ! クリックして本文を読む
コメントする (0件)
共感した! 0件)
まぬままおま

4.5 「干渉されることへの抵抗と、そこからの逃亡」

2025年11月9日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

この映画を一言で表すなら、「干渉されることへの抵抗と、そこからの逃亡の詩」です。
同時に、愛の不在と若者たちの孤独、そして大人の世界から受け継いだ“汚れた血”に抗う者たちの物語でもあります。

まず映像の第一印象は圧倒的でした。ブルーレイなのに桁違いに美しく、青とグレーを基調としたフィルムの質感が独特です。特に女性たちが身にまとう赤は強烈で、時に青に転じる。その色彩の変化が登場人物の心理を繊細に表現していました。
アンナが赤を脱ぎ、青い服を着る場面は象徴的です。彼女が精神的に揺れ動く瞬間――恋人マルコとの安定した関係から、アレックスとのわずかな心の交流へ踏み出す。その青は、彼女がほんの少しだけ「自由」や「冷静さ」を取り戻した時間の象徴だったように感じました。

映画全体の撮り方はまさにヌーベルバーグの系譜で、引きの絵が少なく、顔のアップが非常に多い。
神の視点ではなく、あくまで主観的。人物の感情を正面から見つめるレオス・カラックスの姿勢が感じられます。
それでいて、感情を直接揺さぶってこない――そこがこの監督の独特なところです。泣かせようとも、感動を押しつけようともせず、あくまで冷静に、しかし強烈な主観で撮っている。
この「冷たい主観」はカラックスの本質だと思います。観客に感情移入を求めず、ただ生のままの人間の感情の構造を見せてくる。距離をとって世界を観察する感覚です。

物語は一見、犯罪劇のように見えますが、実際には若者たちの内面の逃避を描いたものです。
登場人物はみな「どこかへ出たい」「この場所にはいられない」と言い続けます。
彼らを縛っているのは、愛でも倫理でもなく、“干渉”と“依存”です。
アンナは年上のマルコに守られながら支配され、アレックスは父の知的な檻の中で育てられ、元恋人は母親に監視されている。
彼らは過保護な愛に守られながら、自我を失っていく。
飛行機や滑走路のモチーフは、そうした「依存の殻」から抜け出したいという願望の象徴でしょう。
最後にアンナが滑走路を走り、まるで飛び立つように早送りで動くシーン――あれは現実から逃げることではなく、「自分の輪郭を取り戻そうとする衝動」そのものだと感じました。

「アメリカ女」というキャラクターも強烈でした。なぜイギリスでもドイツでもなく、アメリカなのか。
それはカラックスにとって、アメリカが“文化的な干渉者”だからだと思います。
フランスにおけるアメリカとは、自由と豊かさの象徴であると同時に、精神を侵食する存在。
甘い言葉で人を依存させ、文化を奪い、心を管理する“母性的な帝国”の象徴。
つまりカラックスは、アメリカを「干渉する母」として描き、自分の世界(=フランス)を守ろうとしている。

また、レストランで「ジャン・コクトーだ」と言う男が登場する場面があります。
アレックスは「もう死んでるよ」と返しますが、あのやり取りは偶然ではありません。
コクトーは詩的映画の創始者であり、“死者の芸術家が映画の中で生き続ける”という象徴そのもの。
カラックスにとってコクトーは映画的な父親であり、亡霊。
つまりあの会話は「芸術の血脈は死なない」「亡霊として現代に生きている」というメタ的な告白だったのだと思います。
映画の中で死んだはずの詩人が生きている――それはまさに、映画というメディアの本質(死者を蘇らせる装置)を示していました。

そして、タイトルの『汚れた血(Mauvais Sang)』。
これは直訳で「悪い血」ですが、フランス語では単なる病気のことではなく、「宿命」「遺伝した腐敗」「社会の呪い」を意味します。
この映画での“汚れた血”とは、
親や大人の世界から受け継いだ腐敗、
愛のない社会の病理、
そして現代を生きる若者たちの宿命です。
劇中の「愛のないセックスで死ぬ病気」もその比喩であり、
愛を失った社会の象徴です。
つまりタイトルは、「汚れた世界に生まれた若者たちの宿命」そのものを指している。
アレックスが流す血は、むしろその“汚れ”に抗うための純粋な血です。
彼の怪我は、汚れた時代に抵抗する者の代償として描かれています。

『汚れた血』は、詩的でありながら現代的、冷静でありながら情熱的な作品です。
感情を煽ることなく、映像そのものの構造で観る者に訴えかけてくる。
まるで監督自身が「干渉されずに、ただ見つめてほしい」と言っているように感じました。
レオス・カラックスは、自分自身の内面と映画史の亡霊を正面から受け止め、
その“血”を自らの作品に流し込んだ詩人だと思います。

評価: 92点

鑑賞方法: Blu-ray

コメントする (0件)
共感した! 0件)
neonrg

4.0 赤や青のビビッドな色彩のドレスが一段と映える映像美が印象的

2024年10月8日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

興奮

知的

早稲田松竹さんにて「クレール・ドゥニ×レオス・カラックス×ハーマン・メルヴィル」特集上映中(24年10月5日~10月11日)。本日はアレックス3部作の第2弾『汚れた血』(1986)を初鑑賞。

同年代にデビューし、ともに「恐るべき子供たち」と称されたリュック・ベッソン監督はずっとフォローしておりましたが、カラックス監督は観念的で難解なのでずっと避け続けてましたが、知天命の年を過ぎ、食わず嫌い克服を目的に鑑賞。

“愛情を伴わない性交渉で感染するウイルス”が蔓延、ハレー彗星も近づき異常気象の近未来のパリ。閉塞的な日常に嫌気がさしたアレックス(演:ドニ・ラヴァン)が自殺した父親の多大な借金を返済するため、父親の旧友マルクたちとワクチンを盗み密売する計画に参加、そのなかでマルクの恋人アンナ(演:ジュリエット・ビノシュ)に出会い運命を感じる…と近未来SF、クライムアクション、そしてラブストーリーが混在するストーリー。

ゴダールの再来といわれるカラックス監督だけにセリフ回しが観念的で個人的には難解でしたが、寒々とした色調の統一とフィルムの質感のなかに、アンナの赤や青のビビッドな色彩のドレスが一段と映える映像美が印象的でしたね。

場内には公開当時まだ生まれてないだろう若いお客さんが多くて驚きました。
わたしも20代前後の若いときに本作を鑑賞したら、主人公に共感して全く違う感想だったでしょう。
本作同様、第3部作最後の『ポンヌフの恋人』(1991)も未配信で観れる機会がないのは残念ですね。

コメントする (0件)
共感した! 1件)
矢萩久登

4.0 ドニ・ラヴァンの腹話術や疾走ダンスと人間飛行機が好き

2023年9月23日
Androidアプリから投稿

立命館大学映像学部企画 さよなら京都みなみ会館 -35mmフィルム上映オールナイトで3番目に上映。
1986年、18歳の時に観た作品。レオス・カラックスにハマっていた頃だ。
これがみなみ会館でもう一度観たくて行ったようなもの。
本当はポンヌフの恋人であればなお良かったけど。
ドニ・ラヴァンもジュリエット・ビノシュも若い!
これを観た頃のレオス・カラックスにハマっていたわたしも若かった!青かった!と思い知る。
パラシュートの2人、滑走するジュリエット・ビノシュの人間飛行機、バイクに乗った天使ちゃんがやはり素晴らしい。
ジュリエット・ビノシュは赤が似合うよなあ!

コメントする (0件)
共感した! 1件)
momo

「アレックス3部作」シリーズ関連作品