揺れる大地のレビュー・感想・評価
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後味が悪い映画だった。
後味が悪い映画だった。
ルキノ・ヴィスコンティは貴族出身なので、何本か彼の映画を見て、あまり共感できず、この映画でも、あまりに後味の悪さで、全く共感できずにいた。
貴族が漁民から搾取する封建的経済から、この映画の主人公が、単独でキャピタルマネーを投じて、自立しようとしている。しかし、キャピタルマネーの落とし穴に落ち、結局、貴族に搾取される社会に戻らざるを得なくなって、この映画は終わる。何一つ『救い』はない。
イタリアの歴史を振り返って見た。1946年まで王国で、王国の最後はムッソリーニに牛耳られている。
この映画の主人公は『今に俺が言った社会が来る』と言い続ける。それで終わるのだが、この映画は1948年。この主人公の言う社会は、まさにこのあと登場すると僕は見た。そして、形を変えて、古い封建的な経済ばかりか、市場主義経済の枠も飛び越え、計画経済の実行なのだと感じた。つまり、搾取される漁民がコミュニティ(共同体)を作って、計画経済を実行するという事だと思う。壁にソ連の旗のカマが落書きされていた。僕はルキノ・ヴィスコンティの残したサインと見た。更に深読みするならば、国家社会主義(ファシスト)は経験済みなので、国家ではなく、あくまでも、コミュニティが運営する計画経済なのだと思う。イタリア共産党はボルシェビキの影響力が強いが、ルキノ・ヴィスコンティ、はそれにも懸念していたのではないかと感じた。なぜなら、落書きにハンマーの絵は添えられていなかった。
大変に後味の悪い映画だが、今の所、ルキノ・ヴィスコンティの映画の中で一番の傑作だと思う。今は亡き親父は『ルキノ・ヴィスコンティなんて、面白くない』と言っていた。僕もそう思っていた。今日初めて見る。Amazon配信で見た。
リアリズム表現のひとつの境地にある、ヴィスコンティ初期の特異な代表作
イタリアの名監督ルキノ・ヴィスコンティについては、僅かに「異邦人」「ベニスに死す」のTV見学経験を通して、内容と主題の追求が鋭く、真摯に人間の悲劇を描くドラマを創造する厳しい映画作家であると印象を持ったが、この一代の秀作を観て全くそれは確定されたヴィスコンティの真実であると、尊敬を含めた感動を抱く事に至った。それは、少なからずもフランスの巨匠ジャン・ルノワールに仕えて映画芸術を学び、映画監督になる前は舞台演出を手掛けたことの自然で素直な結果であろうが、この作品においては、ミラノの有名な貴族の出自でありながら、イタリア南部シチリアの貧しき漁民の生活の実情をネオレアリズモ映画として創り上げたこと自体に、自己の地位的安住に甘んずることなく芸術家として信念を貫いた意味において、立派であると云える。
一連のネオレアリズモ映画の代表作では、ヴィットリオ・デ・シーカの「自転車泥棒」しか観ていないため、この日本未公開の作品がどのような位置にあるのかは判らない。ただ、出演者全てが現地に生活する素人の人達でキャスティングされ、台詞もシチリアの方言で徹底されているリアリズム表現の拘りは凄いとしか言いようがない。主人公のヴァラストロ家の長男が、搾取する網元への不満と抵抗から独立し、不運にも挫折して、生きるために再び組合に雇われるまでの残酷な物語を冷徹に見詰めるヴィスコンティ。名画「自転車泥棒」にある親子愛の感傷はない。あくまでも貧しき者の打ちひしがれた惨めな姿であり、映像は乾きずっしりと重い。これは、漁民の朝から夜までの実生活を丁寧に克明に描写した記録性の高さと上映時間の長さに起因する。
ただ、「自転車泥棒」のラストで見せた親子愛の繋がりを唯一の”救い”として見比べれば、この作品に全くない訳ではない。負債を背負って低賃金の仕事を受け入れる長男は、朝焼けの大海原で静かに船を漕ぐ。漁師として生まれ育った主人公の宿命であり、彼の先祖と同じく魚を獲り続ける姿で物語は終る。そこにある、海と人間の繋がりが”救い”ではないだろうか。社会的優位を持つ非人間的網元への反感や批判は、その自然と人間の美しさの前では意味を持たないのである。時代と社会の仕組みへのメッセージが、直接語られることはない。リアリズムの本質がある映像美に深く感銘する。
76年 8月27日 フィルムセンター
知性を蓄えるなら文学、感性を磨くなら音楽、そして想像力を豊かにするには映画(美術)であろうと思います。その三つが備わって初めて創造力が生まれるのではと、考えてきました。優れた映画は、その感性と想像力を刺激してくれます。10代の頃に観た映画がいつまでもこころの何処かに残っているのは、無知をさらけ出すようで恥ずかしいですが、それもまた本当の自分なんだと思うようになりました。イタリア・ネオレアリズモ映画では、ロッセリーニの「無防備都市」とデ・シーカの「自転車泥棒」、そしてこの「揺れる大地」が、個人的なベスト3です。日本では、制作されてから42年後の1990年にひっそりと初公開されました。
あの引用元を発見
断崖の海岸での漁師の青年とその恋人との逢瀬のシークエンス。岩場に横たわるキスシーンは、「ニューシネマパラダイス」のラストで流れる、切り落とされた数々のキスシーンの中の一つだ。
女優の顔に不自然なくらいに当てられた光が印象的で、そのショットの背景から海面から照り返しを表現してるのかもと想像していたけど、まさにその通り、このキスシーンが海でのものと分かり嬉しかった。
物語は漁師たちと仲買人たちの階級闘争史観的な軋轢を扱う。
現代的な視点からは、問題は仲買人による「搾取」ではないのだという議論を吹っ掛けることはたやすい。しかし何と言ってもこれはトトとアルフレッドがシチリアの小さな村の教会で映画上映に情熱を傾けていた時代の見方である。今から見れば大時代な問題提起である。
そうした面で、現代の観客の共感を得ることがすでに難しいこととなった作品である。
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