許されざる者(1992)のレビュー・感想・評価
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タイトルの意味を考える
元殺し屋、女子供も殺す残虐な男が
娼婦にキズを負わした漢を賞金のために殺しに行く。
シンプルなストーリー、シンプルな展開に、
何でこれがアカデミー賞獲れたんだ?
と疑問が湧いていた。
ジーンハックマンは嫌なヤツではあるが、
謂わゆるガンマンではなく暴力的な男。
何故コイツが西部劇の敵役なのか?
銃を撃てない黒人ガンマン
殺した事のない若いガンマン。
そして賞金のために殺しに来た下殺し屋。
キッドが初めて人を殺した後のやり取り、
殺されるモーガンフリーマン
ラストの銃撃戦で全ての疑問が吹き飛んで、
物語はひっくり返った。
許されざる者とは主人公の事だと思った。
良い殺しなどない。
と言うメッセージなんじゃないかと思う。
顔に傷をつけられた娼婦がいつの間にか
性器以外剥ぎ取られたみたいな噂話がもうフリになっていた
のだと思う。殺しにヒーローなどいないという
斬新な西部劇だったんだとラストに分かった。
だけど、この感想が正しいのか分からない。
傑作と言われる所以が分かるにはもう少し時間がかかりそうだ。
完全にイーストウッド西部劇のファン向け
今まで観た映画の中で1、2を争うほど好きです。
しかし本作の肝は、昔ながらの西部劇の根底を覆しているところにあるので、”そもそも西部劇の伝統やお約束を知らない”という人にはおすすめしにくいです。
できれば、ハワードホークス的な伝統的な西部劇、イーストウッドがブレイクさせたマカロニウエスタン、さらにイーストウッド監督西部劇を一通り観たあとに集大成として観るのが断然おすすめです!まさに終着点なので。
監督の功績を歴史に残すという意味でも、本作のアカデミー賞受賞はとても意義のあるものだと思います。
ちなみに、最近の映画でいうとスリービルボードが近いテーマを扱ってると思うので、同作のファンなら西部劇好きじゃなくても楽しめるかもしれません。(あれも現代舞台の擬似西部劇的ではありますが)
複数回鑑賞して見えてくることがある、さすがの名作
Best of イーストウッド作品として必ず名前のあがる、アカデミー受賞作。運び屋含め、直近のイーストウッド作品を先に観てから遡り、満を持しての鑑賞だと、一度観ただけでは、このシンプルなストーリーのどの部分が名作と呼ばれるポイントなのか、見えなかったのが正直なところ。
グラントリノやアメリカンスナイパーで受けた衝撃のせいで、マニーは自ら殺されに酒場に行くんじゃないか?と勝手に予測した結末。予測は全くお門違い。この作品以前の一般的な西部劇のセオリーや、イーストウッド出演作のパターンを知っていれば、異色の西部劇であるということがすぐわかったのでしょうが。
あれ?悪い奴殺しちゃうんだ?あれ?しかも、宿の主人から殺っちゃうんだ?と、別の衝撃を受けたラスト。
見終わって、しばらくしてから理解したのは、これが、以降に氏が生み出す名作のスタンダードを示唆しているということ。
人を殺すとはどんなことか、のリアル。
過去の過ち、または、昔取った杵柄に捉われる主人公。
正義と罪の境界線。
二度観て、やっと、名作と言われる所以、シンプルなストーリーの中に散りばめられた細かな演出の伝える意義が少しわかった気がします。
一つ気になっているのは、モーガンフリーマンを起用した意義。南北戦争直後に、あの立ち位置での黒人のガンマンの存在がどれだけ一般的だったのか、知りませんが、ネッド役は意図的に、黒人起用したように思えてなりません。見せしめの暴力の後に生きて返されたイングリッシュボブに対して、あっけなく殺されたネッド。1880年代を描きながら現代社会の闇に対する批判やメッセージが、そこには込められているのかも。作品が公開されたのは、LA警察によるアフリカ系アメリカ人への暴行事件の直後。ジーンハックマン演じる保安官のモデルは、その問題の警察官だとか。
などなど考えると、何度か鑑賞を重ねてこそ見えてくるものがある、深い作品なのだと納得させられます。
昔懐かしい感じの西部劇。ラストの撃ち合いの迫力はさすがだった。保安...
昔懐かしい感じの西部劇。ラストの撃ち合いの迫力はさすがだった。保安官も賞金稼ぎも見方によってどちらも許されざる者となっていく。善悪ははっきりつかないが人殺しが罪なのは間違いなく、結局両方とも悪なのだろう。
正義とはなにか・・・。
腰抜けました、凄すぎ
最高にして、最後の西部劇
最後の保安官との対決はこれ以上の西部劇はない
雷鳴轟く中、雨が叩く路面をカメラがなめて遠目にサロンを写すシーンから続く展開は神レベル
イーストウッド、ジーンハックマン、モーガンフリードマン役達者ばかり
相棒の死を知り10年来飲んでない酒をあおってからの、歯止めが吹き飛び冷酷な男に戻ったことを象徴してからの演技の凄み
特にカウンターでまた飲んだあとのシーン
一瞬のためらいをみせるも、結局、許す事をせず止めをさすシーン
彼こそが許すことができなかった男だ
静まりかえり拍車の音だけを響かせサロンを去るシーンに続き、全てが終わり呆然と見送る娼婦たちの表情!
それは本作を観た私達観客の鏡だ
もうまともな西部劇を撮れるのは自分しかいない
その自負をもって、主人公の設定も、時代設定もまた西部劇の最後の時代を描いてみせる
つまり自らハリウッドの西部劇を締めくくってみせたのが本作だ
西部に帰ってきたイーストウッド
真面目に撮った西部劇
銃と暴力が支配する世界。許されざる者とは?
ネットで視聴(英語字幕)
舞台の背景は1881年のアメリカ西部。
アメリカではまだ西部劇の真っ最中だが、ヨーロッパに目を転じると、イギリスはヴィクトリア女王治下の最盛期の時代。
「デビッド・コッパーフィールド」が発表されたのが1850-51年。
作者のチャールズ・ディケンズが亡くなったのが1879年。
ジェーン・オースティンの「高慢と偏見」は、70年あまり遡って1813年。
フランスは第3共和制の時代で、パリ・コンミューンが10年前の1871年の5月。
「ボヴァリー夫人」(1856年)の作者フロベールが1880年に亡くなっている。
ドイツは鉄血宰相ビスマルクの時代。
「資本論」(1867年)のカール・マルクスが亡くなったのが1883年。
ロシアはアレクサンドル2世の時代。
ちょうどこの年、1881年にドストエフスキーが亡くなっている。
代表作の「罪と罰」は1866年、「カラマーゾフの兄弟」は1880年。
日本は1868年の明治維新を経て、立憲運動が盛んになっていた時代。
1881年は国会開設の勅諭が出され、板垣退助が自由党を結成した年。
こういうふうに、1881年は、ヨーロッパでは資本主義・帝国主義の爛熟と国家間の衝突が眼前に現れつつあり、後発国である日本も、列強に追いつこうと国家体制の整備を急ピッチで進めていた時代。
一方、アメリカでは、住民が拳銃を振り回しながらマン・ハントをやっていた。
オースティンやディケンズが描いたイギリス中流社会や、フロベールの田舎風景、ドストエフスキーによるペテルブルグの地下生活に比べると、いかにも野蛮で、文明の遅れが目立つ(今も?)。
映画ではイギリスから来たガンマンが登場するが、アメリカはこの時代、はぐれ者や冒険家たちが、一攫千金を夢見て数多くやってきたのだろう。
かれをはじめ、主人公のマニー(クリント・イーストウッド)も、友人ネッド(モーガン・フリーマン)も、保安官リトル・ビル(ジーン・ハックマン)も、みな荒々しい無法者で、暴力や殺人を意に介さない。
町の人間たちもその点は同じだ。
人を雇って殺そうとする娼婦たちも。(実際にカウボーイが殺されている)
唯一まともそうなのが、ネッドのインディアンの妻とマニーの子供たちだけという世界。
銃と暴力が支配するこの世界で、許されざる者というのは、はたして誰を指すのだろうか。
映画は傑作。
何度見ても見飽きない。
ヒーローか、はたまた
アカデミー賞❗️
あえて言おう、「名作」であると
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