劇場公開日 1996年3月23日

「間違いを繰り返さないためには、過去と現在を鋭く見つめる瞳が必要なのだ」ユリシーズの瞳 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5間違いを繰り返さないためには、過去と現在を鋭く見つめる瞳が必要なのだ

2018年11月15日
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鑑賞方法:DVD/BD

バルカン半島の歴史、過去と現在
馴染みのない地名、歴史と成り立ち
その物語に付き合うのに、本作は正直あまりにも長く苦痛だ
監督はそれを強制的に観客に見せようとする
ハリウッドの有名俳優カイテルを使ってまで、この物語を最後まで見せようとする
目を逸らすな、バルカンの現状を直視しろと
そしてなぜそうなったかを考えてくれと

ヨーロッパの20世紀はサラエボの一発の銃声により始まった第一世界大戦で幕を開け、サラエボヘルツェゴビナの紛争で終わった

3巻のフィルムはどこにもない理想の寓意
20世紀初めの理想は失われ、100年近く過ぎて今一度その夢を見ようとしたのだ

物語は現在と過去の記憶が混乱して進行する

第一次世界大戦でロシア帝国は傾きレーニンの指導するソ連に取って替わられ、第二次大戦が終わればバルカンの各王国は倒れ人民委員会の支配する共産国にかわった

そして現在、そのレーニンは人民を支配し睥睨して見下ろしていた石の巨像は取り壊されて、頭をギロチンのように斬首されドナウ川をドイツに向けて帰されて行くのだ
はしけに乗せられ川を進むその姿は、さしずめ棺が進む葬列だ
20世紀を翻弄した共産主義の葬式なのだ
あれほど熱狂的に迎えられ、人民を解放する神であったレーニンは最早人民を抑圧した大悪党として打ち倒され頭を切断されたのだ
その葬列を川辺の人々にはザマを見ろとの好奇の瞳でついて歩き見送るのだ

主人公とその友人たちも、若かりし青春の日々は革命を夢見て左翼活動に勤しんでいたことは、劇中の台詞で容易に知れる
その虚しさはどれ程に巨大なのだろうか
きっとあのレーニン像の様に大きかったのだ

そして共産主義の夢と理想が崩壊した後のバルカン半島は結局第一次世界大戦の振り出しに戻ってしまったのだ

3巻の未現像のフィルムは、そのバルカンの夢と理想
各民族が霧の中の民族混合交響楽団の奏でる美しい音色の様に平和で共存できる社会であったはずだ
それを探し求めて現在のサラエボに舞台は移る

なぜ3巻なのか?
それは三位一体のキリスト教からきている
神と子と聖霊
すなわち神の救いを求めての探求なのだ

果たしてフィルムはあった
しかし、神は無慈悲にも、たまには間違って作ったものもある、それは返してもらうとばかりに悲劇の結末となるのだ

あまりにも救いのない物語だろう
監督はバルカンの過去と現在のその救いのなさ、果てしのない虚無を共に見つめろ、そして共感すべきだと3時間をかけて我々にその瞳を強制してみせたのだ

これはバルカンだけのことではない
世界のどこでも繰り返されることなのだと

ユリシーズとは、ギリシャ神話のオデュッセウスのこと
長い旅から戻った時、妻は彼を覚えているだろうかという物語

ユリシーズの瞳に写ったのは、100年と同じ戦火に荒廃する同じサラエボだったのだ
つまり覚えていて繰り返されたのだ

あき240