ユリシーズの瞳のレビュー・感想・評価
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間違いを繰り返さないためには、過去と現在を鋭く見つめる瞳が必要なのだ
バルカン半島の歴史、過去と現在
馴染みのない地名、歴史と成り立ち
その物語に付き合うのに、本作は正直あまりにも長く苦痛だ
監督はそれを強制的に観客に見せようとする
ハリウッドの有名俳優カイテルを使ってまで、この物語を最後まで見せようとする
目を逸らすな、バルカンの現状を直視しろと
そしてなぜそうなったかを考えてくれと
ヨーロッパの20世紀はサラエボの一発の銃声により始まった第一世界大戦で幕を開け、サラエボヘルツェゴビナの紛争で終わった
3巻のフィルムはどこにもない理想の寓意
20世紀初めの理想は失われ、100年近く過ぎて今一度その夢を見ようとしたのだ
物語は現在と過去の記憶が混乱して進行する
第一次世界大戦でロシア帝国は傾きレーニンの指導するソ連に取って替わられ、第二次大戦が終わればバルカンの各王国は倒れ人民委員会の支配する共産国にかわった
そして現在、そのレーニンは人民を支配し睥睨して見下ろしていた石の巨像は取り壊されて、頭をギロチンのように斬首されドナウ川をドイツに向けて帰されて行くのだ
はしけに乗せられ川を進むその姿は、さしずめ棺が進む葬列だ
20世紀を翻弄した共産主義の葬式なのだ
あれほど熱狂的に迎えられ、人民を解放する神であったレーニンは最早人民を抑圧した大悪党として打ち倒され頭を切断されたのだ
その葬列を川辺の人々にはザマを見ろとの好奇の瞳でついて歩き見送るのだ
主人公とその友人たちも、若かりし青春の日々は革命を夢見て左翼活動に勤しんでいたことは、劇中の台詞で容易に知れる
その虚しさはどれ程に巨大なのだろうか
きっとあのレーニン像の様に大きかったのだ
そして共産主義の夢と理想が崩壊した後のバルカン半島は結局第一次世界大戦の振り出しに戻ってしまったのだ
3巻の未現像のフィルムは、そのバルカンの夢と理想
各民族が霧の中の民族混合交響楽団の奏でる美しい音色の様に平和で共存できる社会であったはずだ
それを探し求めて現在のサラエボに舞台は移る
なぜ3巻なのか?
それは三位一体のキリスト教からきている
神と子と聖霊
すなわち神の救いを求めての探求なのだ
果たしてフィルムはあった
しかし、神は無慈悲にも、たまには間違って作ったものもある、それは返してもらうとばかりに悲劇の結末となるのだ
あまりにも救いのない物語だろう
監督はバルカンの過去と現在のその救いのなさ、果てしのない虚無を共に見つめろ、そして共感すべきだと3時間をかけて我々にその瞳を強制してみせたのだ
これはバルカンだけのことではない
世界のどこでも繰り返されることなのだと
ユリシーズとは、ギリシャ神話のオデュッセウスのこと
長い旅から戻った時、妻は彼を覚えているだろうかという物語
ユリシーズの瞳に写ったのは、100年と同じ戦火に荒廃する同じサラエボだったのだ
つまり覚えていて繰り返されたのだ
闇の中の光
戦火の混沌と狂乱の中での芸術の役割。闇の中の光。闇に葬り去られる光。闇の中の闇。またとんでもない大傑作に出会ってしまった。生涯ベスト級。真冬のバルカン半島各地の驚くべきローケーションを背景に、卓越されたカメラアングルと、神がかり的なカメラワーク、その"まなざし"が、戦火の混沌と狂乱を掻き分けて時代に葬り去られつつある光を取り戻しに向かうひとりの男を追い続ける。自然と人間が一体化するような圧倒的に美しい長回しの連続。いや美しいという表現すらも陳腐に聞こえてしまうような、言葉では言い表すことの出来ない、神聖ささえ感じる映像の数々。衝撃的。映像の極限。究極とはこういうことをいうのだろう。もはや仮に映像だけを見ていたとしても心が高らかと浮き立つほどの芸術力。そして画面越しに伝わってくる極寒。映像を見ているだけで超過酷なロケを容易に想像することが出来る。画面の先まで凍えてくるような臨場感。制作陣の苦労と努力が伺える。気が遠くなるような過酷な過程の繰り返しの結晶。これぞ芸術というような感じ。主演のハーヴェイ・カイテルはつくづく凄い俳優だと思う。スコセッシ監督との出会いに始まり、「地獄の黙示録」の一件でハリウッドから一時干されたにも関わらず、あらゆる種類の傑作達に足跡を残した。傑作という点においては「レザボア・ドックス」や「スモーク」とは同じでも温度の違いが面白いほどに凄い。彼の多方面での活躍は近代の映画史にかなり貢献しているような気がする。そしてスウェーデンの名優エルランド・ヨセフソンの気がついたら引き込まれているような円熟味に満ちた演技。どの作品で出会っても本当に素晴らしい存在感。このヨセフソンが演じたイヴォ・レヴィを当初演じるはずだったのが「ドル箱三部作」でお馴染みのジャン・マリア・ヴォロンテ。しかし、本作の撮影中に倒れ亡き人となってしまった。冒頭の追悼が悲しさに満ちている。しかし、そのような悲しさの中でこそようやく芸術というものの本領が発揮されると改めて思わされた。やはりネガティブの中でこその芸術。そして映画。多くの悲しみに光を与えてきた過去の傑作達。そんな傑作達やそれらを産んだ芸術家達へのリスペクトにも溢れた、映画愛そして芸術愛溢れる大傑作だった。現代も新型コロナのパンデミックという混乱の真っ只中で戦時中と同じく「余裕がなく芸術どころではない」と言われそうな疲弊した時代だけれども、そんな暗い時代だからこそ芸術が真の役割を果たす時なのかもしれない。闇に葬り去られ、闇の中を真っ暗闇にしてはならないと改めて感じさせられた。
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