憂鬱な楽園のレビュー・感想・評価
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プロットを追えなかった
画の取り方は面白く,プロットに重要になる会話以外の人々の動きや音声を含める特有のやり方だった. その反面,画面が暗かったり人々が小さく映っているために,移っている人物が誰か,誰が話しているのかが判別しにくい. 自分には結局よくわからないまま終幕してしまった. 集中力の必要な映画だなと. 解説を読み込んでもう一度見たい.
喧騒、音楽、薄闇、街の灯り
アジアの喧騒、人の声街の生活音がちゃがちゃずっと騒がしく誰かの電話が常に鳴りその喧騒を上書きするようなノイズロックが場面にピタリと重なり憂鬱と焦燥を倍増させる。 とどまろうとするものも逃げ出そうとするものも、閉塞社会の中で行きまどう。 素敵なことは何一つない。 ただただ、ホオシャオシャン監督が撮る台湾の鉄道に、駅に、食事のシーンに感動する。 人は皆何かに囚われて自由に生きられない。死後の神格も、今を楽しく生きることもコネと金次第。時代も場所も違いあれど、ふと我が身を振り返れば等しい憂鬱と焦燥。 残念ながら、劇場満席で見られず。泣く泣く配信でみるがホオシャオシャン監督作品をスクリーン以外で見るのはやはりどうしても間違いだ。ちゃんと見た気にはなれない。
ガオジェ
冒頭の電車から、南国な出で立ちの3人が映る瞬間から、いやもう黒画面で音が鳴り出した瞬間から、すでに素晴らしい。ストリートに関するアジアからの報告。(これに拮抗するレポートは山本政志のジャンクフードくらいしか思い浮かばない。)十分を捉えた電車の後尾だったり、gやrを極端に強くしたフィルター掛けた車の主観だったり、章義の夜のネオン街を黒星探して走り回ったり、亜熱帯な緑に囲まれてフラフラ走る2台のバイクのフォローだったり、で当然ガオ&ピィエン&マーホァ兄弟はストリートからはみ出て田んぼにハマる。唐突ではなく、必然的に。輩の声や、携帯の音や、電車や、足音や、箸の音や、カラオケや、ずーっと音が繋いでいて、林強のアグレッシブな音楽が乗る。本当に皆から頼られるガオ兄の携帯使いが、携帯が登場する全ての映画の中で最も効果的なんじゃないかと思う。ラフでガシガシ繋いでるようにも見えるけど、プリモばりのホウ印のスクラッチがこれ以上ないタイミングで入るので、他愛ない会話も弛緩せずにずーっと見ていられる。そう全然弛緩した亜熱帯の楽園映画じゃなくて、黒星は1度も登場しないけどストリート感バキバキのヒリヒリした映画。枕元で女と会話しながら画面の下で黙々とジョイント巻いて、ミレニアムマンボでもやってたバックショットで女に吸わせてあげるガオ兄の心意気。ユニットバスの狭いトイレ、3人の衣装の素晴らしさ、立ちっぱなしの茶碗飯にガオ兄の大好きな可口可楽、引っ越し屋さんのお手製刺青、イカ炒めの鍋さばき。ジョイントや刺青は登場して、黒星が登場しないのは、ここまでは監督が取材中に行き着いたからだと思う。それくらい96年team okuyama印のフレッシュな画面。再見、南国、再見。悲情城市というクラッシックを放ったホウの色褪せない原色のフレッシュなマスタピース。いやぁこれはマイク5本。
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