憂鬱な楽園のレビュー・感想・評価
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【台湾ニューシネマの名匠と謳われた、ホウ・シャオシェン監督の全編に頽廃感が横溢するロードムービー。】
■その日暮らしを続けている中年の台湾のチンピラ・ガオ。
弟分のピィエンはトラブルを起こしてばかりで、彼とその恋人・マーホァの2人がガオの頭を悩ませていた。
そんな3人は,只、毎日を無為に旅しながら過ごしている。
◆感想
・今から30年前の作品で、年代的に台湾ニューシネマという言葉も知らない。流石にホウ・シャオシェン監督は、名作「冬冬の夏休み」で知っているけれど。
・今作は、当時台湾で大ヒットをしたそうである。独特のタイトルにもあるような倦怠感漂う画はナカナカである。
・ホウ・シャオシェン監督は、長廻しを多用した方だそうだが、今作でも多数のシーンが長廻しで映される。
・ストーリー展開はシンプルで、ラストも唐突に終わる。
<今観ると、その古さを感じてしまう作品。
冒頭に”チーム・オクヤマ”の名が出るが、奥山氏が組んだ理由が、何となく分かる作品である。当時はこの作風が、斬新であったのだろう。
もう少し、この監督の「冬冬の夏休み」以外の作品を観てみよう。>
プロットを追えなかった
喧騒、音楽、薄闇、街の灯り
アジアの喧騒、人の声街の生活音がちゃがちゃずっと騒がしく誰かの電話が常に鳴りその喧騒を上書きするようなノイズロックが場面にピタリと重なり憂鬱と焦燥を倍増させる。
とどまろうとするものも逃げ出そうとするものも、閉塞社会の中で行きまどう。
素敵なことは何一つない。
ただただ、ホオシャオシャン監督が撮る台湾の鉄道に、駅に、食事のシーンに感動する。
人は皆何かに囚われて自由に生きられない。死後の神格も、今を楽しく生きることもコネと金次第。時代も場所も違いあれど、ふと我が身を振り返れば等しい憂鬱と焦燥。
残念ながら、劇場満席で見られず。泣く泣く配信でみるがホオシャオシャン監督作品をスクリーン以外で見るのはやはりどうしても間違いだ。ちゃんと見た気にはなれない。
ガオジェ
冒頭の電車から、南国な出で立ちの3人が映る瞬間から、いやもう黒画面で音が鳴り出した瞬間から、すでに素晴らしい。ストリートに関するアジアからの報告。(これに拮抗するレポートは山本政志のジャンクフードくらいしか思い浮かばない。)十分を捉えた電車の後尾だったり、gやrを極端に強くしたフィルター掛けた車の主観だったり、章義の夜のネオン街を黒星探して走り回ったり、亜熱帯な緑に囲まれてフラフラ走る2台のバイクのフォローだったり、で当然ガオ&ピィエン&マーホァ兄弟はストリートからはみ出て田んぼにハマる。唐突ではなく、必然的に。輩の声や、携帯の音や、電車や、足音や、箸の音や、カラオケや、ずーっと音が繋いでいて、林強のアグレッシブな音楽が乗る。本当に皆から頼られるガオ兄の携帯使いが、携帯が登場する全ての映画の中で最も効果的なんじゃないかと思う。ラフでガシガシ繋いでるようにも見えるけど、プリモばりのホウ印のスクラッチがこれ以上ないタイミングで入るので、他愛ない会話も弛緩せずにずーっと見ていられる。そう全然弛緩した亜熱帯の楽園映画じゃなくて、黒星は1度も登場しないけどストリート感バキバキのヒリヒリした映画。枕元で女と会話しながら画面の下で黙々とジョイント巻いて、ミレニアムマンボでもやってたバックショットで女に吸わせてあげるガオ兄の心意気。ユニットバスの狭いトイレ、3人の衣装の素晴らしさ、立ちっぱなしの茶碗飯にガオ兄の大好きな可口可楽、引っ越し屋さんのお手製刺青、イカ炒めの鍋さばき。ジョイントや刺青は登場して、黒星が登場しないのは、ここまでは監督が取材中に行き着いたからだと思う。それくらい96年team okuyama印のフレッシュな画面。再見、南国、再見。悲情城市というクラッシックを放ったホウの色褪せない原色のフレッシュなマスタピース。いやぁこれはマイク5本。
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