「何度見ても圧倒される美しいリズム」ヤンヤン 夏の想い出 文字読みさんの映画レビュー(感想・評価)
何度見ても圧倒される美しいリズム
2000年。エドワード・ヤン監督。4Kになって再度劇場公開。15年前に初めて見た時のレビューを後から読んでほとんど加えることがないのでそのままこちらに。
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あー、すばらしい。こういう映画をまだ見ていなかったことの幸せ。3時間がちっとも長くない。結婚式で始まり葬式で終わる、明確な人生の主題をもった映画。身につまされます。
岩井俊二監督がつくった予告編でもとりあげられた「雷」つながりの編集がやはり一番印象的。小学生のヤンヤンが、いつもいじめられている背の高い女の子にほのかな思いを抱くシーン。自然現象の教育映画の稲妻を背景に少女のアップ。圧倒されるヤンヤン。すばらしい!(直前で少女のパンツを見てしまったことも)。そしてカットすると、今度は本当の雷雨のなか、ヤンヤンの高校生の姉が友人の元彼と出会う交差点シーンへ。すばらしい。稲妻と雷で始まる恋。
たったひと夏の話なのに、ヤンヤンのお父さんは初恋の女性と東京で再会してやり直そうとしてやり直せないし、お母さんは人生の無意味さを取り戻そうと山籠りして取り戻せない。お父さんの弟(結婚式の人・できちゃった婚)は適当な人生を適当に進む。てんこもりの話が錯綜して進むのにまったく無駄がなく、とても気持ちがいい。
お父さんが美しい初恋の人と再開したってむやみに盛り上がらなかったり、高校生のお姉ちゃんの初恋が好きだか嫌いだか微妙だったりする感覚がうますぎます。恋一筋みたいにならない。っていうか逆に、ゆっくり生きましょうよ、みたいな空気。貪らない。欲をかかない。仕事と人間関係を分けられないお父さんのような人は苦しいだろうけれど「やり直す必要がない一度きりを生きている」という矜持。
衣ずれや靴音、声を出す時のくちびるの音(声じゃなくて)まで、すべての音を細かく録ること。光の変化を意識して、交差点の信号さえも美しくとること。そういう意味でも稲妻(=光)と雷(=音)の映画でした。最後にヤンヤンが「もうそろそろ年だ」というセリフの、これこそポストモダンな(歴史が終わった後の)感覚がたまらなく切なくなりました。
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ちょっとだけ新たな感想として
①ヤンヤンのお姉ちゃんの初恋(未遂)について、その相手の高校生の、自責の念を攻撃に変形して相手に投影することの切なさに初めて気づいたこと。初見ではただ嫌な奴だと思っただけだったが、罪の意識に耐えられない未熟な男の子だったのだ。だからこそあの事件を起こしてしまうわけだ。なるほど。そういえば、なんども交差点で所在投げに立ち尽くしていたっけ。
②ヤンヤンの実験精神。ヤンヤンは初恋の衝撃を受けるだけではない。まっとうな疑問を抱き、社会の理不尽に直面しながらも、自分でそれを確かめようとする旺盛な実験精神をもっているのだ。見えてないものをつかもうとして人々の後頭部を写真に撮ったり、服のままプールに飛び込んだり。それは「人生のすべての出来事は一度きりの初体験」という映画の主題にも通じている。
③ヤンヤンとそのお姉ちゃんに訪れる出来事とお父さんが思い出をたどることがシンクロしている。あたかもお父さんの思い出と同じような出来事がヤンヤンとお姉ちゃんの身に起こる。結婚式から葬式までのひと夏のなかに、いろいろなサイクル(一回り)が描かれている。うまいとしかいいようがない。
とにかくすばらしい映画だ。
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