もののけ姫のレビュー・感想・評価
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世界の運命は、一人の戦士の勇気にかかっている。
私は『もののけ姫』を特異な視点から評価しています。中世の日本で、差別されていたハンセン病患者の心と体を救ったのは、女頭領のエボシであった。彼女は一見、血も涙もない悪女に見えるが、実は現代日本にはいない女性で、男たちから慕われ、尊敬され、しかも暴力団ともいえる組織全体を支配している。女は汚いものという古い固定観念を彼女は克服している。サンだけが突出しているが、彼女も立派な主役である。
当時観た時にかなりの衝撃だったことを覚えている。がつんと来た感じ。...
古代日本の迸る生命感
日本の神話時代、火を扱い山を焼く大和朝廷の力が、出雲(イズモ)、蝦夷(エミシ)、熊襲(クマソ)といったまつろわぬ民を平定し、各地八百万の神々を殺してまわる、そんな背景の物語。
【ストーリー】
エミシの民である主人公アシタカの村にタタリ神が侵入した。
どうにかこれを鎮めるも、アシタカはその身に呪いを受けてしまう。
巫女が言うにはその呪いは肉体を真っ黒に喰い荒らし、やがて死に至る恐ろしいもの。
宣託をうけ、アシタカはタタリ神が生まれた原因を探るためにその足跡を追う。
たどり着いたのは、人と神とが争う戦乱の地。
犬神モロの君に育てられたサンと、タタラ場を操業するエボシ、互いを殺したいほど憎み合う二人の女の間に入り、アシタカは調停に乗りだした。
だがそれを好まぬ大和勢力が、エボシを裏から支配し、両者の争いに火を注ぐ。
この地には生死をつかさどる神秘的存在・シシガミがおり、夜にはディダラボッチという巨人になる。
その首を持ち帰れば不老不死となるとの言い伝えがあり、大和の手の者たちは、それを帝にへの手土産にしようと不遜な画策をしていた。
朝を待ち、巨人がシシガミに戻る瞬間、エボシの放つ石火矢がその首をもぎ取る。
暴れ、のたうつディダラボッチ。
その体から生と死が噴出し、大きな塊となって山々、そして谷川の全ての生命を飲み込まんとする。
大和朝廷の間者ジコ坊を説得し、シシガミの首を取り戻したアシタカとサンが朝日の中で選ぶ未来。
果たして人と神は共存できるのか。
原生林の山岳地帯に出雲のタタラ、エミシの民、シシガミ、デイダラボッチ、オッコトヌシ、モロの君、みなぎる生命のイメージを横溢させた世界に、人間たちの思惑と陰謀がうずまく、宮崎駿監督が渾身で創り上げた一大叙事詩。
先日、近所で開催された『山本二三展』にゆきました。
その大半が宮崎駿作品で、細田守『時をかける少女』や新海誠『すずめの戸締り』などのヒット作と並べても、存在感はこちらが圧倒的。
「ブック」とか「組背景」という、近景や遠景を別々に描く背景があるのですが、シシガミの森の4〜5段階にわたる組背景は感動の出来で、鳥肌ものでした。
後年は故郷である五島の風景画をたくさん描かれていて、そこらの画家では足元にもおよばない描画力には、ただ感嘆するしかなかったです。
去年の夏、2023年に残念ながら亡くなられてしまわれましたが、その仕事をふり返る意味においても、とてもよい機会になりました。
日本アニメーション映画史上最高傑作!
誰が何と言おうと文句無しに素晴らしい作品。
公開時の1997年、自分は小学校6年生だったが劇場に8回通った。
「スゴいなぁ、カッコいいなぁ、面白いなぁ。」と、いかにも子供の目線で観ていたがあれから23年。
視る視点も理解も感動も、全て今の年齢で観ると本当に深くて、それでいて普遍的な内容だと思う。
自然と文明、人間と獣、対比的な2つは決して交じり合うことは無い。
サンや山犬の一族、乙事主率いるイノシシの群衆、野猿の群、人間がどれだけ森を支配しようが、怒りを抱き続け、森を取り戻す為に戦う。
アシタカは村や村人を守ったにも関わらず、タタリ神の呪いをもらったが為に村を出なければいけない。
おトキやたたら場の住人達は、エボシ御前の獣や神殺しに加担していることになるが、命令に従い鉄や武器を作っている。
「下で暮らすよりずっといいよ...飯はたらふく食えるし、男達は威張らないしさ。」
全ては「生きる」為。
争いが続けば、土地は荒れ、生命は傷付き、死に、いずれは絶えてしまう。
しかし、お互いが折り合いを付け、理解することが出来ればどれだけ不平不満があっても共に「生きる」ことが出来る。
美しい映像、壮大な音楽、台詞、そしてそれを読む演者の芝居、物語の始まりから終わりに至るまでの展開が数あるジブリ作品のなかで別格に素晴らしく、米アカデミー賞外国語アニメ賞はこちらの方が相応しいくらい。
(日本的・アメリカ的な映画の価値観の違いか。)
押しも押されもせぬ、日本アニメーション映画の傑作!
「生きろ」宮崎駿監督からのメッセージ
鑑賞後にう〜んと考えさせられる映画。
山を荒らされ怒り狂う神々の気持ちも分かるし、生きていくために山を切り開くタタラ場の人たちの気持ちも分かる。
まさに今、私たちが置かれている現実と同じ。
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自然を失えば、私たち人間も生きてはいけない。山や森、自然とどう共存すべきか。
人と神々の中間に立つサンやアシタカの姿を通じ、問題を突きつけられる。
アシタカが何度も訴えるのは「共存」そして、どんなになってでも「生きろ」監督が伝えたいテーマはシンプルだ。
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映画そのものに目を向ければ、風景の素晴らしさは、さすがはジブリ✨なだらかな山々に豊かで深い森。美しき大和。
古き神々に精霊。
神話好きには、原始日本の世界観がたまらない。
シシ神は何を考えてるのか分からないが(めっちゃ空気読んでない振る舞いが面白い😂)そもそも神とはああしたもの。人智の及ぶところではない。
神殺しにより、私たちは闇を、畏れを、信仰を失う。
これは、かつて日本で起こったこと。技術が進み、闇を払拭したことで、日本から神や妖怪が消えた。
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映画にさらなる奥深さや広がりを与える久石譲の音楽も素晴らしい。
(今回は特に音響のよい映画館を選んで見た)
声優もとても良かった。凛々しいアシタカ、歳を経た山犬のモロ、短い出演でありながら、森光子演じる巫人は映画の導入部分で強いインパクトを残した。
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観客はアシタカと共に、古き神々が、大和が滅ぶのを目の当たりにし、これからどう生きるべきか、自然と共存できるのか、
投げかけられて終わる。
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自分の見た衝撃を、どうにも上手く伝えられないことが歯がゆい。
公開当時は映画館に通い、3回観た。もう見られないと思っていたのに、まさかの4回目。
この映画を初めて見た時に、非常にナウシカと似てると思った。
蟲が古き神々であり、ナウシカがアシタカ。
宮崎駿の原点回帰というか、彼が人生を賭けて伝えたいテーマなんだろうな。
人間対自然の動物では語りきれない
この世界では動物対人間というナウシカのような世界が描かれているが、そこに現れるのはやはり、共存する難しさだと思う。動物の中でも対立があり、人間の中でも対立がある。それはまさに動物と戦うことを放棄するアシタカの村の人々と、タタラ村の人人。そしていののししとサンたちである。この中でサンは時折いのししの側に着く。しかし、そこにあるのは死んで欲しくない、人間が嫌いだと言う純粋な気持ちである。それは否定できない感情である。しかし、アシタカと話し、感じ、心の中にどちらの味方でもないアシタカの姿を理想図する。しかし、それは難しい。
よくよく考えると、動物も自然に住み、自然を少しは壊す。しかしそれは元来猿だった人間にとっても変わらなかったはずである。
世界に誇るべき作品
神殺しの罪
松永久秀という武人がいます。主家を裏切り、時の将軍を死に追いやり、大仏の首を焼き落としました。こういうと、人間性の欠片もない野獣ですが、実は彼、一流の教養人であり、完全合理主義者だったそうです。神を殺してでも、ヒトは何を得るつもりなんですかね。
かつてヒトは自然を畏れ、共生の道を探りました。現在ヒトは自然をコントロールし、支配しようとしています。結果、何が起こりました?。何が流行りました?。何に祟られています?。
今さら原始時代に還れとは、言いません。ただ合理主義と神秘主義、正しいのはひとつだけかな。
ヒトは世界と共生しません。寄生するのみ。しかも、お互いを傷つけ合う宿業を持つ。仮にそうだとしても…ね。
おそらく誰しも心の裡に、エボシ姐さんとサン姫が、棲んでいるはず。皆様の裡にいるアシタカは、どの道を歩みますか。
『だまれ!小僧!』のお告げは届きましたか。
皆様の歩む道に、木霊(こだま)多からんことを願います。
おまけ
件の松永おじさんですが、織田信長に従臣するも、謀反。ところが信長、彼の所有する名物茶器、平蜘蛛を渡せば許すと伝えます。これを聞いた松永おじさん、平蜘蛛に火薬を詰めて爆死します。
ここで問題です。
問1)そこまでして、松永おじさん、何を遺そうとしたの?。
問2)松永おじさんの前に、シシ神様が現れました。シシ神様、何しに来た?。三択です。
a)松永おじさんに、首を差し出す
b)松永おじさんの命を吸い上げる
c)その他
夏の終わりの自由研究にどうぞ。皆様の、心のレポート用紙にご記入ください。私に提出されても採点しかねますので、悪しからず。
【それぞれの理由】
この「もののけ姫」の物語はちょっと複雑だ。
単純な二元論では語れない、現代にも通じるテーマを内包しているからだ。
そして、それが物語に深さを持たせているようにも思う。
また、”今”を踏まえて、やり直すことは可能だとするエンディングの示唆も含めて、僕は、ジブリ作品のなかでも、この物語がかなり好きだ。
可能な限り、外との交流を避けて暮らす集落。
しかし、外の影響を完全に排除することなど出来ない。
大勢の人々が住み、商業も発達して、豊かな地域。
しかし、格差はあり、人の持ち物をつけ狙うような罪深い人間も多い。
男女の格差なく、醜いものにも差別なく、役割が与えられている集落。
しかし、武器製造を生業とし、別の地域からは常につけ狙われ、自らも森を侵食し、環境を損なっている。
森。
人間によって木々が伐採され、住む動物達は憎悪を募らせる。
そして、シシ神の支配するシシ神の森。
森の侵してはならないコアな領域。
それぞれ欲するものや、守るべきものが異なり、相互に理解するより、争いで解決しようとする者達。
そして、本来は神の領域と考えられた場所まで足を踏み入れて破壊してしまう。
憎しむべきは対峙する相手なのか。
決定的な判断材料を与えずにストーリーが進んでいく。
これは、今の僕達の生きる世界そのものであり、本来は神の領域とされた場所で失われてしまったところも少なくないはずだ。
シシ神の切り取られた頭を返したのは、まだ、やり直せるという、残り少ない希望を意味しているのだ。
そして、生まれ変わる山々の草木。
元々の森ではないかもしれないが、人間の知恵によって、豊かな自然を再び取り戻すことが出来るのではないかという希望を意味しているのだ。
単純な二元論では、片側の憎悪や正義などに焦点が当たりがちなところを、アシタカ、サン、イヌ、イノシシ、様々な背景を有する人間と、様々な場所を物語に配置することによって、僕達の世界を覆う複雑な問題を、どう考えるべきか、思考を促した秀作だと思う。
神も生まれ変わる
公開時は映画館で見て、その後何回も見ている。久しぶりに日テレが金曜ロードショーで放送してたので、また見た。アシタカ役の松田洋治が、ここでは爽やかでまっすぐな少年なのに、20数年後「キャラクター」で変質者になることを想像できただろうか。いや、できない。人間の幅が広がったっちゅうことで。
人間と自然、動物、神、産業、戦い、破壊。これだけ材料をぶっ込んで、見た目も整って味もいい料理にできるって、やはりすごい。シシ神の造形なんて、よくこんなこと思いつくなあって感じ。水の上をペタペタと歩く姿、撃たれて一瞬沈むところ、その後ニっと笑って平然と元のように歩くとか、どうやって考えつくのだろう。あと、コダマ、不気味ながらかわいい。頭がカラカラ回るのもグッドアイデア。ヤックル大好き。顔は愛らしいし走るの早いし、じっと水の中でアシタカを守ってるところもけなげ。ラスト近くで、タタラの人達と一緒に筏に乗っていて、さすが細部まで手抜きしないな、宮崎駿。と感心した。
一番好きなのは、デイダラボッチが朝の光に倒れて、すごい風が吹いて、その後に枯れた山が徐々に青くなってくるところ。ここに流れるピアノと合わさって、生命讃歌や赦し、祝祭、など、さまざまなことを感じられる。最高でございます。
共に生きる道はないのか
子供の頃初めてこの映画を観た時は、冒頭のタタリ神のシーンが怖くて手で顔を覆い、身構えながら、“ジブリってこんなんだったっけ?”と思っていました。人間と自然の闘いの物語ですが、当初はアシタカが自然を守るため、エボシ御前をやっつける話だと思っていたのですが、どうやらそうではなさそう。闘いモノといえばヒーローVS悪者のスタイルしか知らなかった私には新鮮でしたし、物事ってそんなに単純ではないのだなと子供ながらに考えさせられた作品です。
他のジブリ作品と比べると、重いというか、観る時にエネルギーを要しそうで、テレビで何回か放送されていたのに、いつも躊躇していましたが、先日の金曜ロードショーで放送されていたのを何となく観始めたら、最後まで夢中になっていました。
大人になって久々に観たもののけ姫ですが、まずその重厚感に圧倒されました。大自然の偉大さ、動物達の躍動感、タタリ神の得体の知れぬ怖さ、シシ神の存在感。自然は人間の闘う相手ではない。神とされる彼らを殺そうとする人間のあさましさ。武器や資源を巡る人間同士の争いの愚かしいこと。
モロも乙事主もエボシも自分の種族を守る為なら死など怖くない。動物も人間も関係なく、闘うことによって皆次々と命を落としていく。そんな彼らに投げかけられた“共に生きていく道はないのか”というアシタカの問い。
誰が良くて誰が悪いとかでは無く、皆ただ生きるのに必死なだけ。仲間を守る為に必死なだけ。生き方や考え方の異なる者同士がいればそこに利害が生じるのは仕方の無い事。互いがどれだけ歩み寄れるか。その先に問いの答えが待っているのだと思いました。
石田ゆり子が上手
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