ミツバチのささやきのレビュー・感想・評価
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名作の系譜を辿るかのように
本日、この映画を映画館で鑑賞したのですが、政治的な検閲が厳しい中、様々な思いを暗号のように潜ませて撮られたという説明が、上映の前後に語られました。それを知らなければ理解しにくいということで、成る程とは思いましたが、それほど、そのことを意識する程でも無かったと思います。
劇中、この映画のテーマである「フランケンシュタイン」の名シーンが上映されます。少女が恐ろしい様相をしたフランケンシュタインと花遊びをするシーンです。そのシーンからして自分にはもうすっかり名作確定です。実はそれまでよく知らなかったのですが、有名なシーンなのでしょう。あの押井守監督の「うる星やつら ビューティフルドリーマー」でもパロディとして演じられていましたね。古い名作「フランケンシュタイン」から継承された作品であるのだろうと思いました。
学校では人体を、命を学び、父親から生死を学び、少女はその映画を通して優しさを学ぶ。そして脱走兵?らしき相手と出会い、様々なものを施し、父親のコートや時計までも与えてしまう。父親は怒りを覚えたかもしれないけど、少女の幼くも純粋な優しさに感動。
上映前後の解説は不要と思ったけれど、具体的な説明がないシーンがあるということを知った上で見れたのはよかったと思う。同じ場所で食事しているはずが、一人ずつバラバラのカット割りで撮影され、家族バラバラの心情を表しているのでしょうか。そんなふうに考えながら鑑賞出来たことに、ひとつの面白さを感じました。
あと、少女アナの美しい瞳と、耳に輝くピアスが印象的でした。幼いながら、女性としての美しさが輝いていた。
少女の純粋さと心許なさ
小さな町の上映会に子供達が次々と集まって来る。薄暗い中、スクリーンを見つめる眼差しや表情がいい。
主人公アナ( アナ・トレント )は、フランケンシュタインの無垢な心に惹かれたのでしょうか。
蒸気に包まれ、再び姿を現す蒸気機関車の映像が美しい。
あの年頃の姉妹の関係性は、案外あのようなものかも知れない。
映画館での鑑賞
願い=ささやき
戦争がおとす影。
その時間を生きていくということ。
人の思いをこれほどにも静かに深く表した背景。
涙が出ないほどの衝撃が胸を刻む。
………
〝皆一緒に幸福だったあの時代は戻りません
…人生を本当に感じる力も消えた様に思います 〟
やさしいフルートの音色と真逆の
苦しみの底で枯れ果てそうな気持ちを
したためた手紙を運ぶ汽車の窓
うつろな乗客たちに
彼女は何をみて
うつろな彼女に
乗客たちは何を感じたのか
戦火が裂いた日常が
あとからあとから殺していく人の心とからだを
お互いに抱きしめたのだろうか
六角の枠の黄色い窓ガラスが
どんなにやさしく甘い蜂蜜色の光を
その部屋に送りこもうと
大人同士には
笑顔も会話もなく
無邪気なこどもが微笑むと
未来を願うことをふと思い出すのだ
一瞬で危険に触れる隣り合わせの世界で
目を輝かせ今を信じる澄んだ目の横だけで
〝唯一の休憩たる死もこの巣から遠く離れねば得られない…その目には悲しみと恐怖があった〟
かわいいミツバチたちの安らかな寝顔をみつめる父は
今夜も眠りにつけずに
書斎で書き溜める本音をあわてて消す
おそらく物凄く大切な手紙を焼く母の姿も
何かを断ち切るように
同じころ
汽車を飛び降り廃墟にしのび込んだ男性が
手紙の相手であり
アナの実父だったのではないだろうか
母にこっそり会いにきて
アナを驚かしたイサベルのように
出くわしてしまったイサベルの口を塞いだ
犬が吠え
アナが見たのは
精霊が去る姿
イサベル
あの人は行ったから
もう大丈夫
起きて
廃虚の納屋の小さな秘密が
あの銃音で終わった
アナが差し入れる林檎やパン
結んでやる靴紐
懐中時計の音と手品
みんなが忘れていた
優しい平和なやりとりが
そこにあったのに
アナはまた
答えのなかった問いを続けるのだ
〝なぜ、殺したの?
なぜ怪物も殺されたの?〟
得体の知れぬ恐怖体験を
現実に重ね合わせて顔を歪める大人と
好奇心と未知の疑問に目をみはるこどもが
違う世界を観ていたあの巡回映画の日のように
アナが出会った精霊は
大きな足跡をつけ
けがをしていた
お腹をすかせて
隠れていた
林檎を受け取り
かじってくれた
懐中時計の音をきいたとき
不安になったけど
手品をして
すぐに
笑わせてくれた
なのに
パパはなにをしたの?
私の優しいともだちに
だからアナは
願いをこめてささやく
〝わたしはアナです〟
精霊やイサベルに
またすぐに会えますようにと
平和なようで
スペイン内戦がようやく終結した翌年1940年
スペイン北部に巡回映画が来た。
タイトルは『フランケンシュタイン』
イサベル、アナ姉妹は、
喜び勇んで椅子を持って駆けつける。
作中で、
アナと同年齢の女の子がフランケンと
楽しく仲良く遊ぶシーンが映し出されていた。
アナの父は養蜂業を営む。
アナの家の窓ガラスも巣の模様の六角形。
アナは蜜?を運ぶミツバチ🐝、
母は、だいぶ若く父とは年が離れている様子。
後妻らしい。母は誰かに熱心に手紙を書いている。
内戦で、別れて来た人に向けて。
荒地の真ん中にポツンと経つ農業用の小屋。
数日前、列車から飛び降りた男が傷を癒やすべく身体を横たえていた。
どこかから逃げて来たようだ。
野原を走り回っていたアナ
小屋に辿り着き男を見つける。
誰?私のフランケン❓
鞄からりんご🍎を取り出し
男に渡す。
次の日、家からパパの上着を持ち出してきて
男に着せてあげる。ポケットにはオルゴール付きの懐中時計。
数日後、小屋に立ち寄ると
誰も居なくて、
床に血痕が落ちているのを見つける。
アナは想像する、
かくまっていたフランケンおじさん、
パパに殺されたんだ。
母は、届いた封書の中を読み直ぐ燃やす。
かっての恋人からだったのか。
恋人は、一目会いたいと書いて来て
実際、会いに来るところだったのでは⁉️
夢の中だけで会えるフランケンおじさん。
思いっきりおしゃべりしたり遊んだり‥‥。
男は、あっけなく殺されてしまった。
かっての恋人に会いたいと、必死の思いで
やっと辿り着いたのに。反体制派に見つかったために。
パパは思う。自分の上着を届けたのは、
妻ではなく娘のアナだったと。
イザベルが死んだ真似?をしていたが、
本当に亡くなったのかどうか⁉️
後の場面で、衰弱したアナを見舞いに来たが、
その横のイサベルのベッドの寝具は片付けてあり、
アナを診察したドクターも、意味深な発言。
「アナは生きているから。」と。
もし、そうならなぜ⁉️となる。
と勝手に書いてからwiki見たら、当時恐怖的な独裁政治で、反対意見など恐ろしくて言えない時代。
反フランコ政権派の監督は、
冷え切った夫婦仲を、内戦による分裂。
荒涼とした荒野を孤立したスペイン政権。
ミツバチを統率は取れているが想像力のない魅力にかけると揶揄している、‥‥難しい。
けっこうよかった
大学で上京して見たと思ったら、85年の公開なのでそれだと高校生だからシネウインドで見たのかな。東京で名画座で見たのかもしれない。73年の映画だったことも初めて知った。当時はとても退屈でちっともいいと思えなくて、頑張って背伸びして見ていた。
30年越しで、淡々とした映画であることは分かってますよ、退屈かもしれないですよ、という気持ちで臨んだら、けっこうサスペンスな展開もちょっとあってつまらなくなかった。何より同年代の子どもがうちにいるのでところどころ、やめてーと思う。小屋で危険人物と交流したり、本当にやめて欲しい。ナウシカが子どもの王蟲を飼っていた場面を思い出す。ベッドをぴょんぴょん跳ねて遊ぶとか、木の枠が壊れかかっている。うちのベッドは長年子どもが跳ねて遊んだせいで留め具が砕けた。
ただそんなサスペンスフルな場面は短い。アナが小屋で男の血痕を触っているとお父さんに見つかる。アナはその場から小走りで逃げだす。お父さんは黙ってそれを見送る。なんで捕まえたり追いかけたりしないのだろうと思っていたら、夜になって捜索隊が出動する。お父さんは放置したまま帰宅したのか。お母さんは捜索をそっちのけで物思いに耽り、手紙を燃やす。アナが見つかってもお医者さんとちょっと話すだけでそれほど興奮せず、落ち着いている。
主人公の両親の関係があまりよくないことや、お父さんは養蜂が本業ではなく、なにか儲かる商売をしていることなどがうかがえる。農家にしては金持ちだ。
言葉でなく絵面や音での表現が格調高い。何より子どもが、子どもらしくて自然だ。子どもが余計なことしかしない様子が描かれている。
終盤、終わりそうでなかなか終わらない。
そんなに面白いわけでもなくて、面白がるような作りでもない。しかしとても印象深い。すごく面白がろうと思って見たらとてもつまらないだろう。淡々とした流れに身を任せるような気持ちで見るといい。
無垢
スペインの巨匠ビクトル・エリセ監督の傑作!長編映画デビュー作品。
1969年のデビュー作から(長編は)
3作品しか発表していない
「寡作な監督」として知られていますよね。
先日のスペインのサンセバスチャン国際映画祭で「ドノスティア賞」
(生涯功労賞)を授与された監督。
(宮崎駿監督も!)
そして!
今年のカンヌ国際映画祭で31年振りの新作!!!4作目の長編になる
「Close Your Eyes」
の正式出品が決定したとの記事を読みました!(怒ってたけどw)
31年振りって!!Σ('◉⌓◉’)
寡作にも程がある。。
↑新作では何と!あのアナ!が50年の時を経て出演しているそう!!
公開が待ち遠しいです!
さて、
映画マニアの方々から名作としてよく名前が挙がる本作。
私は監督のお名前と作風、本作のあらすじは知っていましたが、ずっとスルーしていました。
映画には、映画の方から色々教えて欲しい自分がいたので、その作風や内容で敬遠していました。
今じゃないな。。とずっと先送りに。
そんな中、今回の
「午前十時の映画祭13 」で、
本作が掛かるというじゃないですか!
これはもう今なんだな、と。
行って参りました。少し緊張。
舞台は1940年、内戦終結後のスペイン中部の小さな村。
6歳のアナと姉イザベルは、養蜂場で蜂の研究をする父フェルナンド、手紙を書き続けている母テレサと暮らしていた。
そんな中、村に巡回して来た映画
「フランケンシュタイン」を観たアナはそれに魅了され、イザベルの嘘を信じ、フランケンシュタインが住むという小屋に通う。
ある日、列車から飛び降りて、小屋に逃げ込んでいた負傷兵と出会う。
怖がる事もなく、看病するアナ。
りんごを差し出し、父のコートや時計まであげてしまう。
そして。。
シンプルな見かたとしてはアナの成長物語りなのか?
感度の高いアナが世界の向こう側や異形のもの達と交信する様が描かれているのか?
背景にはスペイン内戦や独裁政権の空気感が漂っており、常に「死」の匂いがつきまとう。。。
もう「子供」ではないイザベル、テレサが書く手紙、毒キノコを踏みつけるフェルナンド。
汽車の走る線路や井戸の周りで遊ぶ様子、焚き火の描写などが差し込まれる度に、嫌な予感がして冷や汗が出そうな緊張感に包まれた。
加えて、猫、血、その血を唇に。。
絵画の骸骨など、様々なモチーフが死を連想させる。
そして数々の違和感。。。
イザベルのベットは?
イザベルは死体ごっこをしていただけ?
もしかしてイザベルはアナにだけ見える存在になった?!!
そして、
行方不明になったアナに何があった?
アナの受けた衝撃とは?
脱走した負傷兵は実はアナの。。。?!
だからテレサは手紙を燃やした?!!
しかし、お話しはシーンごとの繋がりもなく進む。。直接的には描かれない。
シンプルだし難解だし、全てが内包されていて開けるのに時間がかかる。
(今もまだ開けきれない)
アナのあの無垢な幼女時期の、
あの「期間限定」な幼い眼差しから見る世界はどう見えたのだろう。。。
絵画のような、詩のような、アナのような、幻想的で美しい作品でした。
◎町山智浩さんの解説がありました。
政治的な検閲が厳しい中、様々な思いを潜ませたとのこと。
解説付きとは面白い試みだが、、
私は鑑賞後の余韻に浸りたいタイプで、その後も頭の中で反芻し、自分なりに考えたい。
解説(ネタバレ?)は自分のタイミングで知りたかったです。話した内容を冊子にしてプレゼント!の方がうれしかったよ。
いや、解説ありがたい!って人も多いですよね。
素人が生意気言ってすみませんm(_ _)m
本作は素晴らしい映画です。
是非機会を作って観て欲しいです。
隠すことは美しきこと
『午前十時の映画祭』で鑑賞。
上映の前後に映画評論家の町山さんの解説があった。
全体的にストーリーが謎めいていて、それが素朴な村の画面の美しさとあいまって神秘的な魅力がある。特に主役の女の子は本当に魅力的で、幼児特有の真っ白で真っ黒でまっすぐな瞳。これって演技というより、物心つく前の年齢だからこそできるふるまいなのかな?
しかし町山さんの解説で、この映画がスペインが独裁政権により厳しく映画などの表現を検閲された状況で作られたこと、謎めいたストーリーの1つ1つに現体制を糾弾するための象徴的な意味があること、などが分かった。
制限された状況下の方が、むしろ名作が生まれる、ということの代表のような話だと思った。ソ連の映画監督タルコフスキーとかね。
アナがストライクすぎる
最初に観たのは15年以上前。
アートの趣味が合う友人に、「主人公の女の子がむちゃくちゃかわいくて好きだと思う」と、オススメされました。
友人の言う通り、アナがむちゃくちゃかわいいけど、なんて暗いお話…という印象でした。
今回は、すっかりお気に入りの目黒シネマで、劇場上映3日間(短い!)とのことで、スケジュールにねじ込んで観てきました。
ほんとに子供たちが描いたであろうマジックのイラストと共にオープニングが進んでいきます。このイラストから既に、かわいいのに暗いです。
最後までずっと、明度も彩度も低いです。
アナの真っ直ぐすぎる瞳。
今回の二本立てのテーマが"幼いまなざし"それまさに。
時折笑顔を見せるも、真っ黒で大きな瞳で、ただただ真顔で見つめるのですよね。
よーーく物事を見る子で、疑問を問う。そういう年頃ってのもあるのでしょうが、真実を見ようとするキャラクターも好みです。
佇まいも表情もなんて刹那的。当時7歳!(もっと幼く見える)
イサベルの知ったかぶりもいい比較。なんでなんで攻撃されるお姉ちゃんも大変よね。
アナもイサベルも本名だそうです。かわいい。
スペインという土地や、1940年代という時代が、この"哀愁"を感じさせるのでしょうか。
テレサが自転車で走る道は果てしなく見え、広大な荒れた平野の中に幼い2人がポツリ。
拓けた何もない風景の中に、現代都市を脳内で比較してしまいます。
そんな、子供たちの足では遠いやろーー、というところを駆けていくシーンも好き。
ずっと"かわいいなぁ"と語彙力崩壊状態で見ていました。ずっと変な顔してたと思います。
アナとイサベルはもちろん、犬もネコもかわいいです。父親が人嫌いながら、犬の異常なまでの懐き方で、根の人の良さが伺えます。
●かわいいの例
・『フランケンシュタイン』の映画を観ている姿。
・↑観た後、家にキャーキャー飛び込む2人。
・布団でのささやきトーク。
・ネグリジェ姿
・↑で、はしゃぐ2人。
・学校のお揃いの制服とシャツコート。
・アナのポンチョコート。
・父に見つかって無言で逃げるアナ
・・・
そして、
「デン」 リンゴ
もうね、声から何から何までドストライクすぎて、吹き出してしまいました。ここ、大好きで、よく真似してたの思い出しました。
この最高のシーンを忘れていた自分よ。
あー、観にきてよかった。
●その他の感想
象徴的に登場する、ハチの巣模様の窓。どこか牢獄とも重なります。朽ちたアンティークなベッドやピアノも建物も暗い。ドクロの絵といい、"死"の香りがそこかしこに。
母の手紙は訳アリな様子。自分の年齢的に、父母の方に思い入れが出てきてもいいのに、がっつりアナにときめいてばかりで、15年前と成長してません。
フランケンと見合ってるアナは息が白くてほんとに顎がガクガク震えているように見えました。大丈夫ーー?
毒キノコの見分け方をお父さんから学ぶのも印象的。毒キノコ、いい匂いなんですね。全然見分けられる気がしません。
イサベルが猫に執拗に首絞め?子供ってああいうことするよなーって思うけど、それを撮った監督の感覚すごい。
指から血が出ても、派手に騒がないのとか、唇に塗るのもリアル。イサベルが肝座ってるのかもしれませんが、子供ってそゆとこあるある。
アナとイザベル姉妹の魅力につきる
私は特にロリコンではないが、アナとイザベル姉妹に魅了されてしまった。
アナと逃亡者のシーン、「シベールの日曜日」を思い出した。アナが逃亡者にりんごを与えるシーンがあるが、冒頭で上映されるフランケンシュタインの映画で、少女がフランケンシュタインに花を差し上げるシーンがあり、その後フランケンシュタインが少女を殺してしまうので、アナにも何か悲劇が起きるのではないかと想像してしまったが、それは考えすぎだった。この後の展開は「シベールの日曜日」のほうに近かった。そういえば、私もなぜフランケンシュタインが少女を殺してしまった理由が思い出せない。
いずれにしても、この映画の魅力は天使のようなアナとちょっと大人びたイザベルの姉妹の魅力である。スペイン内乱が背景にあるらしいが、映画を見る限りそれはあまり感じられなかった。
もう一度見たい!
6歳になる内気なアナ(トレント)は高齢な父フェルナンド(ゴメス)、母テレサ(テレサ・ジンベラ)、姉イサベル(テリュリア)と共に暮らしている。父親は養蜂家でミツバチを研究して書に記しているが・・・
『フランケンシュタイン』(1931)の映画が強烈だったらしく、アナはイサベルに尋ねる。「なぜ怪物は少女を殺したの?なぜ怪物も殺されたの?」と。イサベルはかなり適当に答え、村外れにある無人の小屋で夜になると怪物が現れるのだと教える。さらに怪物は精霊なのだと教え込まれ、親に聞くと、いい人間にはいい精霊が、悪い人間には悪い精霊が・・・などと教えられる。そして、怪物に会うため(?)アナとイサベルは廃墟となった家畜小屋を探検するのだ。
ある日、列車から一人の男が飛び降り、逃げるように家畜小屋に身を隠す。翌日には何度も一人で来るようになっていたアナが彼を見つけ、恐れもせずリンゴを差し出したり、父親のコートをこっそり持っていたりした。しかし、その夜銃声がなり、逃亡者は射殺された。残されていたコートと懐中時計はフェルナンドのもの。警官は彼を呼び、その事実を告げる。家族での食卓、懐中時計のオルゴールがなると、バツの悪そうな顔をするアナ。そしてアナは家を抜け出し捜索隊が出る・・・。無事に見つかったアナ。身体は衰弱していたし、食事もとらないし口もきかないようになってしまった。やさしく見守る両親。ラストシーンではアナが精霊に呼びかける。「わたしよ、アナよ」と。
“死”まつわる純粋な少女の想い。村人たちはクリスチャンであると思われ、死についてもちゃんとした宗教観があるようだし、まだ幼いアナには宗教色もない純粋さで死を考えているようだ。学校での授業、父から受けた毒キノコの説明、死んだフリをするイサベル、そして線路脇での列車を眺める態度など、精霊は信じても、死の存在を受け入れない様子。ましてや逃亡者を全く恐れないのも生命の尊厳を子どもなりに解釈していたと思われる。
牧歌的で絵画的な映像と、台詞も少ないのに感情表現が非常に豊か。さらに、カット割やモンタージュなども絶妙であり、無駄のない構成。ミツバチの生態なども人間社会に置き換えて考えられるし、その研究家である父が人間嫌いであることも象徴的。そして冒頭では母親はスペイン内戦のために生き別れた家族(もしくはかつての恋人か?)に手紙を送っている。届いた手紙を燃やしていたところを見ると、戦死したとの連絡が来ていたのだろうか、今の家族と生き長らえることを幸福の糧とするしかない現実。
こんなに素晴らしい完成度の高い映画を今まで見ていなかったことが悔やまれる・・・
世相の写し絵
これだけ説明のない子供の話も珍しい、観る人によってさまざまな解釈が生まれても不思議ではないでしょう。セリフではなく心象は肉筆を通じた文として語られ、靴音やドアのきしむ擬音が立ち、陰影の多い絵画的描写、映像が淡々と続いてゆく。
感傷的に見れば廃屋でアナが出会ったのはスペイン内戦で出兵し消息不明の実の父、母テレサが手紙を送り続けた前夫と理解した、戦争で引き裂かれた家族の不幸に、帰郷を遂げようとした父に死と言う追い打ちをかけるという残酷な悲話でしょう。おそらくフェルナンドは亡骸を見て察し、テレサには告げたと思います、だからアナを責めず、テレサが手紙を燃やすシーンに至ったのでしょう・・。
ただ、後に映画祭で来日した監督の話では寓話の形を借りたフランコ政権の検閲逃れ、悲嘆にくれる庶民の心情のメタファーとして登場人物が描かれているようだ。死ぬまで安息の無い働き蜂の生態に憐憫の情を示しながらも傍観者的スタンスを取りつづけるフェルナンド、家族を見る目も飼育者に近い。夫婦とは名ばかりに思える描写、幼子をかかえ選択の余地は無かったのだろう、当時のまして異国のスペイン人の心情は知る由もないのだが、蜜蜂も登場人物も内戦後の庶民の実態の象徴だったのかも知れませんね。
キノコにも食用と毒キノコがあるとフェルナンドは子に教える、人もまたそうなのだろう。
フランケンシュタインを持ち出したのは寓話性の為の借景なのだろうが、怪物を創りだしたのも人間、犯罪者の脳が犯す残虐性と未発達な幼児性の同居する怪物は姉には猫の首を絞める衝動、無垢なアナには理解を超えた存在として受け止められる、これもまた世相の写し絵なのだろう。フランケンシュタインも最期は村人に殺されるのだが何故か非業の死を遂げた父とダブって見えたのだがあまりにも不釣り合い、父に描かれなかった何かがあったのだろうか・・。
ストーリーは考えず・・・
若い頃、スバル座で鑑賞したがさっぱり、わからず
何故かもう一度観たくなりレンタルして観た
これも「エル・スール」の監督作品で
幼い子の目線で描かれていく
家族の話や
内戦で別れてしまった男性や
脱走兵や
子どもたちの何気ない暮らしの中に
戦争の匂いがただよう作品
この作品も映像での表現が多いので
こちらはありのままを観て感じ
想像して鑑賞した
少女によりそって鑑賞したら
私も少女の中に入り込み
驚いたり
夢見たり
作品の中に入り込んだ
この女の子の瞳がまんまるで、かわいかった
荒涼とした世界とお友だち
静かで繊細、繰り返し鑑賞することで作品の真髄に近づけるような、そんな映画でした。
難しいことをあれこれ考察できそうな作品ですが、深く考えなくても楽しめると思います。
何より主人公・アナちゃんの可愛らしさがどキャッチーです。お目目がクリクリしてたいへん可愛い!子役にありがちなウソ臭さもなく、素に近い演技も好感が持てました。あんまり笑わないでジッと見つめる表情が感受性の豊かさ表しているようにも思います。アナちゃんの画面支配力はハンパではないですね〜。
傑作として語り継がれている本作ですが、なんだかんだとキャスティングの勝利だと思います。アナちゃんあっての映画です。
また、本作は語り口が渋いです。日常描写が大半を占めており、アナを取り巻く世界がリアルに伝わります。
荒涼として息苦しい村、どこか心がつながっていない両親、早くもスレはじめているイザベル、姉以外に友だちがいなそうなアナ。父親が語るミツバチの労働への見解は、人間の生を全否定するような厭世観に溢れています。あと、冒頭のフランケンシュタインから始まり、イザベルの死人ごっこ等、やたらと死の匂いが漂っているのも印象に残ります。
アナの目に映る世界は、モノクロで重苦しい。ただ、母親とのスキンシップは豊かであり、決して絶望の世界には生きていない。
本作では、フランケンシュタインが重要な役割を果たします。フランケンシュタインとは何か。
アナは初めからフランケンに好感を抱いていました。異形の存在だが、映画のフランケンはどこか優しげ。アナはフランケンの内面に感じるものがあったのでしょう。
アナは友だちが欲しかったのだと思います。息苦しい世界を生きるためには、誰かが必要です。イザベルも死んだふりとかするので、なんかついていけないし。小屋の脱走兵との出会いは、アナにとってとても大切なものだったのでしょう。
そんなアナの心情を想像すると、より切なさが増します。
本作はスペイン内戦とその後のフランコの独裁政権への批判が描かれているとのことです。スペインの近代史を勉強していくとさらに映画を楽しめそうです。象徴を用いて間接的に独裁政権や内戦を批判しているようですし(wiki参照)。内戦時代、舞台となったカスティーリャ地方の様子や立場がわかると、父親の厭世や母親の苦悩、村の事情等をより想像しやすくなりそうです。
"秘密と嘘 死への誘い"
とにかく初公開の時に観た印象が忘れられない、
その神秘的で純粋無垢かつ、幻想的な作風に多くの映画青年達がKOされたものです。
何と言ってもまずはアナ・トレントでしよう。全てを見抜いているかの様なあの眼、愛らしさ、まさに‘奇跡’と呼ぶに相応しい傑作だ!!
10年に一本しか撮らないビクトル・エリセ、もう『マルメロの陽光』から10年過ぎてしまったぞ…‥。
※↓以下改訂らしき感想(纏まりきれていない)
"秘密と嘘 死への誘い"
少女は成長するに従い無垢なる心を失って行く。
母親には誰にも言えない秘密が有る。
姉イザベルは妹のアナに軽い嘘を付いたり、自分でも気付かない間に、少女から女へと変わって行く兆候が見られるのだが、本人はその事にはまだ気が付いてはいない。
『エル・スール』は何度も観ているのだが、今回久し振りに再見した事で、本編と『エルスール』との間には多くの接点が見いだせたのは大きな収穫でした。
『エルスール』での父親オメロ・アントネッテイのイレーネ・レオスへの想いは、この本編に於ける母親のエピソードを発展させたもので有るし。
少女アナの秘密がバレる懐中時計の使い方は『エルスール』での父親と娘との《沈黙の戦い》へ。
懐中時計は“ダウジング”へ。更に細部まで細かく観ていると「あ?これはあの場面に繋がっているのでは?」と思える場面が沢山ありますね。
今回新たに感じたのは、全編で《死》に対するイメージが数多く観られた事です。
父親が教える毒キノコの見分け方。しかし、少女アナは思わず「いい匂い」と本音を口にする。
すぐさまその毒キノコを踏み潰す父親。
姉イザベルが黒猫に指を引っかかれ怪我をする。指先からは血が出ている。その血を口紅変わりに使うイザベル。
鏡越しだけに何だか画面が異様な雰囲気で、どこか退廃的な死のイメージに包まれている。
その直後の場面では、アナがタイプライターを叩いて遊んでいるのだが、彼女の背景にある絵画には骸骨が描かれており、画面もその部分を強調している。
姉イザベルは更に自ら死体となってみせる。
返事をしない姉のイザベル。
だからこそ少女アナは仲間外れになりたくない思いからなのか、この後知らず知らずの内に死への妄想を膨らませて行く。
映画の中では父親にその秘密を見透かされる事となり、現実的な描かれ方をされているこの場面は、映画の冒頭にアナが経験する世界中で知られている有名な“死からの生還者”へ、アナがダイレクトに感じた想いへと繋がって行く。
果たしてこのアナの想いは妄想なのか?
それとも現実なのか?
最後の汽笛は死への誘いなのか?
それとも…。
そんな思いを持って観ているからか、火を飛び越える遊びをする姉達の場面すらもそんなイメージを持って観てしまう。
だから、姉と2人で機関車の行方を見つめる有名な場面すらもそんな思いで観てしまっていた。
この機関車の汽笛はラストシーンに於ける“ささやき”に対して再度聞かれるのだが、単なる汽笛が恐ろしい“返答”にすら思えてしまった。
ある意味《死への囁き》なのだろうか?
今改めてアナは祈る。
魂と肉体の復活を信じて。
「わたしはアナよ」
(2009年5月21日 下高井戸京王)
(1985年2月10日シネヴィヴァン六本木)
(1986年5月18日下高井戸京王)
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