ミツバチのささやきのレビュー・感想・評価
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スペイン内戦 終了後 子どもたちはそんな状況下でも成長して行く
ミツバチのささやき
神戸市内にある映画館「シネ・リーブル神戸」にて鑑賞 2024年2月4日(日)
スペイン内戦により分断された夫婦と若き後妻それぞれの抱える問題、子どもたちはそんな状況下でも成長して行く
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1940年頃、スペイン中部のカスティーリャ高原の小さな村オジュエロスに一台のトラックが入っていく。
移動巡回映写のトラックで、映画「フランケンシュタイン」。
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喜ぶ子供たちの中にアナ(アナ・トレント)と姉のイザベル(イザベル・テリェリア)がいた。
その頃父のフェルナンド(フェルナンド・フェルナン・ゴメス)は、養蜂場で、ミツバチの巣箱を点検する作業をしている。
母のテレサ(テレサ・ジンペラ)は、室内にこもって、内戦で荒れはてた家や人々の様子を手紙に書き綴っている。
いったい誰に宛てている手紙なのか、毎週のように、駅に向かい、列車に投函する。
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公民館のスクリーンには、少女メアリーが怪物フランケンシュタインと水辺で出会う美しいシーンが展開している。
そのシーンに魅入られたアナは姉からフランケンシュタインが怪物ではなく精霊で、村のはずれの一軒家に隠れていると聞いた。
学校の帰りにアナはイサベルに村のはずれの一軒家に誘われた。そこに精霊が住んでいるというのだ。
別な日に一人でそこを訪れるアナ。夕方、イサベルは黒猫と遊んでいる。アナは父母のアルバムを見る。父あての母のポートレートには、“私が愛する、人間ぎらいさんへ”とある。網の中のミツバチにささやきかけるアナ。
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夜ふけに一人起き上ったアナは外に出る。列車から兵士が飛び降り井戸のある家に入って行く。彼はアナに拳銃を向けるが、子供だと知るとやさしくなる。
足をけがした兵士は動けない様子だ。大きなリンゴを差し出すアナ。二人はアナが持って来た父のオルゴール時計で遊ぶ。
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その夜、井戸のある一軒家に銃声が響いた。
翌朝、フェルナンドが警察に呼ばれる。オルゴール時計のせいだ。
公民館に横たえられた兵士の死骸。
食事の席でオルゴール時計をならすフェルナンド。
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アナにはすべてが分かった。
井戸のある家に行き血の跡を見つめるアナ。その日、夜になってもアナは帰らなかった。心配する家族。
そのころ、森の中のアナの前に、映画で見た怪物フランケンシュタインそっくりの精霊が姿をあらわした。
発見されたアナは昏睡状態に陥っていた。家族のみんなが見守る。深夜一人起き上がったアナは夜空を見つめるのだった。
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ビクトル・エリセ監督 1940年スペイン生まれ
映画館から上映前に女の子の写真が入ったハガキ大のカードをいただきました。ここでは「アナ」
ムーチャス・グラシアス!大岸弦
眠たくならず最後まで美しい描写飽きずに楽しめた自分の中で色々想像し...
眠たくならず最後まで美しい描写飽きずに楽しめた自分の中で色々想像し連想しながら 珍しい感覚を呼び起こされた 今までの映画にないタイプ
1945年以前のスペイン 産業革命が起こってなさそう不毛な土地
近世の暗さ絵画ベラスケスピカソダリやはり住んでいる館や調度品が美しくて飽きない(西洋文化は建物が素晴らしい)
インド人的な風貌
音主題歌 オープニングクレジット 人物の思考を映す時に流れる
登場人物の立場 男自分の仕事に 男の妻不倫?興味が家庭外へ
背景 カトリック 戦争中?汽車で移動する兵士逃亡する兵士撃たれる
映画フランケンシュタインが契機となって
姉死んでしまうヒロインへの憧れ血ナルシスト的 妹フランケンシュタインへの恋妻的な味方になりたい欲望
不穏な雰囲気が徐々に 死と隣り合わせ危険 ミツバチや幼い妹が一人で遠くへ行方不明毒キノコ井戸を覗く機関車レールに耳をつける
ビクトル・エリセの奇跡の長編デビュー作 難解だが、映像美に惹かれる
午前十時の映画祭13にて。
(町山智浩解説つき)
難しい映画だ。
本作公開時の日本はミニシアターブームの真っ只中で、“シネマスクエアとうきゅう” “ユーロスペース”などと並んでブームを牽引した“シネヴィヴァン六本木”で上映された。チケット購入も、購入後の劇場入りも長蛇の列だった。(※)
公開当時は、主演の女の子(アナ・トレント)が神秘的なほど可愛いかったことと、幻の傑作『フランケンシュタイン』(’31 監督:ジェームズ・ホエール)の映像が引用されていることが注目のマトだった。
実際、アナちゃんが大きな眼で『フランケンシュタイン』に見入る表情は、パブリシティに使われていたスチールを予め見ていても、映像として強いインパクトがあった。
この映画が独裁政権下スペインの隠喩であることを知ったのはずっと後なので、それを意識して鑑賞したのは今回が初めて。
製作されたのは日本公開の10年以上前で、製作当時のスペインはまだフランコ独裁政権下だった…ということすら初鑑賞時は知らなかった。
公開当時はファンタジックでアーティスティックな映画という印象だったが、難解で一種異様な雰囲気も感じていた。そういうハリウッド映画とは異質なところをオシャレに感じる周囲の空気はあったが、自分は映画の意味することが理解できず難しい映画だと思っていた。
アナと父・母・姉がスペインのどういう人達のメタファーであるかは、町山氏の解説のとおり監督や関係者が公表しているのだから、余談を挟めない。
しかし、よほどスペイン内戦前後の社会的背景や映画製作時のスペイン情勢を知っていないと、この的確だと評される隠喩を理解できないのではないだろうか。
少なくとも私には難しい。
スペインに全く詳しくない自分は、寒々しい村の風景と和やかさのない両親、意地悪な姉に囲まれた少女アナが可哀想で、映画で見たフランケンシュタインの怪物と空き家で出合った脱走兵を重ねてしまうのは、彼女の現実逃避なのだと解釈していた。
勿論、ラスト近くでアナの前に現れる怪物は幻だ。それは、彼女が現実(父)から逃げて幻想(脱走兵=精霊)を追い、遂に幻想世界に堕ちていったのだ…という理解だった。
今回30余年ぶりに鑑賞して(ほぼストーリーを忘れていたので初観と変わらないのだが)、時間軸を操作しているのではないかと感じた。
姉のイサベル(イサベル・テリェリア)に誘導されて野原の空き家に始めて行ったとき、アナは井戸の周りに靴跡を見つけている。
が、脱走兵が列車を飛び降りる場面はこの後に描かれていて、時系列だと脱走兵はまだそこにはいない。
また、姉妹で寝ている寝室をアナがこっそり抜け出すシーンがあるが、これもアナが空き家で脱走兵に出会う場面より前なのだ。
もしあの空き家に行ったのだとすると、そこにいる脱走兵=精霊がいるからではないかと思うのだ。
この映画全体の構成から、これらの部分だけ時間軸を前後させるのは違和感があるから、靴跡は脱走兵とは無関係で、それを精霊の足跡だとアナが確信し、夜なら出会えるかもしれないと寝室を抜け出していた…ともとれなくはない。
父のミツバチ生態観察、母の文通については、解説があったお陰で理解したとして、理解し難いのがイサベルの死んだふりのイタズラだ。
あれはイタズラではなくイサベルは本当に死んでいた説もある。
家族の食事のシーンで父親の言葉に母親がいっさい反応しないことから、母親はすでに死んでいたという説もあった。
最後に怪物が現れたりするので、そもそもアナが見ている幻影が挿入された映画なのだと解釈したこれらの説は、それなりに説得力がある。
だが、監督たちが後に明かした隠喩のロジックとは合致しないのだ。
いずれにせよ、神秘的で寂し気で、しかしサスペンスフルで、そして美しい映画である。
ピカソの「ゲルニカ」で知られる都市無差別攻撃は、フランコ軍と結託したドイツ軍によって行われた。子供の頃、「絨毯爆撃」という恐ろしい攻撃方法の代表例としてよく聞いたものだ。
このような非人道的な恐ろしい所業が、軍事クーデーターを起こした反乱軍によるもので、その反乱軍が勝利して実効支配する国に暮らす国民たちの気持は想像もできない。
今なお、侵略戦争や民族紛争、領土紛争の戦争が止まないのは、恐ろしくも悲しい。
※私の記憶が確かなら……
ミニシアターが都内各所に出現し始めた80年代、一般の映画館はまだ“入替え制”ではなかった。席は全席自由で、映画の途中でも構わず入ることができ、最終回の終映まで何時まででもいられた。一回の料金で何回も同じ映画を見ることが可能だったのだ。(大型劇場は中央の2〜3列が指定席で、上映回毎に別料金で指定券を買う方式だった)
ところがミニシアターは、一本の作品の上映開始までに入り、終了とともに出なければならない”入替え“方式を採っていた。と言っても、全席指定ではないので良い席に座りたい人は早くから並ばなければならなかった。入場整理券が配られ、その番号順に(10番刻みとかで)入場して好きな席を選ぶ方式が多かったと思う。
“シネヴィヴァン六本木”の入替え制は、終映後に部屋から出されるが、劇場の外に出ないで次の回に並び直して入ることができた(初期だけだったかも知れないが)。
今の六本木ヒルズ辺りにあった「WAVE」という施設の中にあり、「シネWAVE」と呼んでいたはずだ。その記憶が間違いなのか、私が誤った呼び方をしていたのか、定かではないが…。
“シネヴィヴァン六本木”は、特にヨーロッパ系のアート作品を上映していて、本当のシネフリークと、彼らに影響された流行に敏感な若者たちで溢れていた。
日比谷の“シャンテ シネ”はマイナースタジオの邦画も多く上映するなど、各劇場が特色を出していた。
そういえば、「ミニシアター」という呼び名はいつ使われるようになったのだろうか。当時は「単館系」という言い方をしていた気がする。
アナの瞳
傑作。スペインの歴史的背景は置いといて、精霊を信じる純心な少女の物語と、絵画のような美しい映像は見る価値有り。評論家好みの映画が嫌いな人と面白い物語がないと寝てしまう人は確実に寝ます。 ^^
精霊を信じる純真な少女の、幻想とも現実ともつかない世界の物語と、息をのむほど美しい映像の数々を見るだけでもこの映画を見る価値がある。
スペインの歴史的背景と映画での象徴化は後でもよい。しかし、フランコ政権を批判した監督と製作陣の心意気は汲み取るべきだ。僕はネットのWikipedia・考察・解説を見ただけだが、なんとなく分かったような気がする。
最近 再鑑賞した「パンズ・ラビリンス」のフランコ政権下の描写なんて震え上がるほど恐えーゾ。
アナとイザベルが、マジ天使ってぐらい可愛すぎる。姉のイザベルがが、ちょっとお姉ちゃんだからって、アナを意地悪っぽくからかうようなところもヨイ。役名でやるとアナちゃんが混乱しちゃうから、みんな本名でやったとか、フランケンを最初見たとき泣き出しちゃった話とかもう可愛すぎる。
午前10時の映画祭でやらなければ知らなかった作品。午前10時の映画祭ってホントにありがたい。
解説ありで観ると楽しみが広がる
観ないと一生の損ですよ。
フランケンシュタイン
アナが可愛かった。
これこそ映画鑑賞。
私には理解できない映画だったが、他のレビューを読んで理解できた。
名作との評価の定まった映画であるが、いままで観る機会がなかった。たまたま「午前10時の映画祭」で上映されると知り、鑑賞した。正直な感想はタイトルの通りである。
上映後に映画評論家町山智浩氏の解説があるとの掲示があった。しかし、私が観た上映館では解説がなかった。この映画は何が言いたかったのだろうという「もやもや」だけが残った。
レビューを読んで、この映画の舞台はスペイン内戦時代で、映画製作時にはフランコ独裁政権はまだ健在だった。故にあからさまな政権批判はできず、隠喩や暗喩に頼らずを得なくなり、象徴や詩的な物に富んだ直ぐに理解できない作品となってしまったことがわかった。
理解することはできたが、この映画を観ていて楽しかったかと問われれば、「NO」である。主人公の女の子の可愛さだけが印象に残る。私には一度鑑賞すればいい映画に感じた。
10年後或いは20年後にまた鑑賞してもいいが、もしかすると、私はもうこの世にいないかもしれない。この映画が暗喩しているように。そういえば、映画の題名だって意味深ですよね。ミツバチは独裁政権下でのスペイン国民だと思えます。主人公の父が述べる働き蜂の説明からそう感じます。
ちびまる子姉妹とは
となりの"闇"トトロ
不思議な映画だった
Buenos dias !Don Jose
午前十時の映画祭にて
スペインの片田舎風景 何にもない所で木が一本だけの草原、泥濘みとても趣のある懐しいような映像 おとんの職業何?夫婦訳アリ?と思ったけど、裕福そうなお家 学校や映画館等の建物、子供達の服もお洒落だな 授業の様子も面白い 肝心の負傷兵のシーンはそんなにないけど、子供の頃って恐いものとか妙な事信じてたりとかあんな感じだった アナ役の子役さんお目々クリクリでとても可愛らしい
ギレルモ・デル・トロ監督この映画好きなんかな?と思った
定期的にリバイバルして欲しい名作
『午前十時の映画祭』で30年振りにスクリーンで鑑賞。
調律が狂ったピアノで母親が奏でる曲はソロンゴ。詩人ガルシア・ロルカが採譜して有名になった古いスペイン民謡。スペイン人であればこのメロディからスペイン内戦で銃殺されたロルカへ思いが及ぶものと思われます。詩も残されていて、思いの届かぬ恋人のことを歌っているようです 。
その他、スペイン内戦とか独裁政権とか、初回鑑賞時より当時のスペインに関する知識は増えているのですが、残念ながら感性は衰えたのか、初回ほどの衝撃はありません。
しかしながら、初回鑑賞時はアナ一人に持っていかれた心を、今回はイサベルにも向けることが出来ました。どこか死の匂いがする家族の中、ひとり現在進行形で生きてる感じがするイサベル、良いですよね。
絵画のような美しさ
23-105、115
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