「世相の写し絵」ミツバチのささやき odeonzaさんの映画レビュー(感想・評価)
世相の写し絵
これだけ説明のない子供の話も珍しい、観る人によってさまざまな解釈が生まれても不思議ではないでしょう。セリフではなく心象は肉筆を通じた文として語られ、靴音やドアのきしむ擬音が立ち、陰影の多い絵画的描写、映像が淡々と続いてゆく。
感傷的に見れば廃屋でアナが出会ったのはスペイン内戦で出兵し消息不明の実の父、母テレサが手紙を送り続けた前夫と理解した、戦争で引き裂かれた家族の不幸に、帰郷を遂げようとした父に死と言う追い打ちをかけるという残酷な悲話でしょう。おそらくフェルナンドは亡骸を見て察し、テレサには告げたと思います、だからアナを責めず、テレサが手紙を燃やすシーンに至ったのでしょう・・。
ただ、後に映画祭で来日した監督の話では寓話の形を借りたフランコ政権の検閲逃れ、悲嘆にくれる庶民の心情のメタファーとして登場人物が描かれているようだ。死ぬまで安息の無い働き蜂の生態に憐憫の情を示しながらも傍観者的スタンスを取りつづけるフェルナンド、家族を見る目も飼育者に近い。夫婦とは名ばかりに思える描写、幼子をかかえ選択の余地は無かったのだろう、当時のまして異国のスペイン人の心情は知る由もないのだが、蜜蜂も登場人物も内戦後の庶民の実態の象徴だったのかも知れませんね。
キノコにも食用と毒キノコがあるとフェルナンドは子に教える、人もまたそうなのだろう。
フランケンシュタインを持ち出したのは寓話性の為の借景なのだろうが、怪物を創りだしたのも人間、犯罪者の脳が犯す残虐性と未発達な幼児性の同居する怪物は姉には猫の首を絞める衝動、無垢なアナには理解を超えた存在として受け止められる、これもまた世相の写し絵なのだろう。フランケンシュタインも最期は村人に殺されるのだが何故か非業の死を遂げた父とダブって見えたのだがあまりにも不釣り合い、父に描かれなかった何かがあったのだろうか・・。
>廃屋でアナが出会ったのはスペイン内戦で出兵し消息不明の実の父、母テレサが手紙を送り続けた前夫と理解した
これは新たな切り口です!
いろんな解釈ができる映画ですね。