マイライフ・アズ・ア・ドッグのレビュー・感想・評価
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新しい場所に旅立つ、そんなハルストレム監督の原点
総合65点 ( ストーリー:60点|キャスト:75点|演出:70点|ビジュアル:70点|音楽:65点 )
家庭の事情で家を離れる少年が、新たな場所で子供らしく様々なことを経験して新鮮に受け止めていく。でもこういうのってよくある話で、とりとめもなく描かれる日常の小さな出来事の連続に、当初はそれがどうしたといった印象で退屈でもあった。母親のことや他の家族のこともはっきりと描かれず、物語のいきあたりばったりの展開に明瞭性がない。
でも家族とばらばらで知らない人だらけの場所で生活をせざる得ない少年が、遠くで昔の生活や母親と犬のことを思いながら地域に溶け込んで新しい生活をおくる様子には温かさがある。それは「僕は宇宙に無理やり送られて死んだライカ犬よりまだまし」と自分の不幸を肯定的に捉える少年の天真爛漫さに加えて、周囲の人々も滑稽に温かく描かれているからだろうか。実際、少年の場所は、兄の住む冷えた場所よりもはるかに温かくてましだ。いくつかの不幸を越えて、最後には安らぎと希望もかすかに見れる。物語よりも、登場人物たちの性格と振る舞い、不幸を包み込む暖かな雰囲気を楽しめた。
本作品のハルストレム監督、「ショコラ」「ギルバート・グレイプ」「サイダーハウス・ルール」の監督でもある。これらの作品は、見知らぬ場所に旅立ち、自分を発見して成長していく物語でもある。特に「ギルバート・グレイプ」と似ている。彼のそのような旅立ちの作品の原点なのかもしれない。
心の中に温かいものが
どうしてラッセ・ハルストレムの作品を観ると心の奥底に温かいものが残るのだろうか。あまり恵まれはいない境遇の主人公と、彼を取り囲む頑固で変わり者の人々。そして、居住地が定まらず流浪をしている人物の存在。こうした構成は他の作品にも共通している。本作や「ショコラ」では、主人公が放浪しているのだが、「ギルバート・グレイプ」では主人公の前に現れる恋の相手が放浪している。そして、物語の最後には主人公のギルバート自身も放浪の生活を選択するのだった。
カメラワークをとっても共通している特徴を上げることができる。まず、屋内のシーンに出てくる連続したドア。隣の部屋へと続くドアが解放されていて、その奥にもう一つのドアが見える。狭い屋内だが奥行きを意識したショットで、深く印象に残る。
次に、登場人物の人生の転機につきものの大きな炎。火事はハルストレムの作品では重要な要素である。グレイプ家が燃えるのも、自ら火を付けたとはいえ、結果としては火事である。火事をきっかけに登場人物たちの生活には大きな変化が起きる。大きな炎は物語を前へ進める強力なエンジンの役割をしている。
そして、高みにいる子供を見上げる大人たち。給水塔、ロープウェイを下から見上げるのは大人たちなのである。子供の自由な意志と、それを見上げているしかない大人たち。大人の生活には様々な制約がついてまわり、その中でおとなしく暮しているはずの子供たちは、機会さえ得られれば手の届かないところへと行ってしまう。子供に対する不安と羨望と頼もしさ。ラジオ中継でスウェーデンのボクサーが勝ったことに町中が喜んでいるラストのシーンは、いみじくもその子供の未来や可能性への大人の感情を表してはいないだろうか。
My Life as a Dog
ろくな食料も積まずに宇宙へ飛ばされたライカ犬と主人公イングマルが自身と比較しながら物語が進んでいく。
田舎の暖かい人々、男の子のふりした女の子、少年が大切にしていた飼い犬のシッカン・・みんなとのふれあいの中での楽しさ、悲しみ、孤独、愛を感じながら成長していくイングマルの姿を描く。
そっと心に寄り添って語りかける作品。
こういうのが映画なんだ
なじみのない国の子供主役の日常的な物語らしいけど、予告や批評が良かったからか、当時観に行き、映画が与えてくれる心の充足感って、かなりのものだと教えられました。
もっと言えば、生きる希望くらいに影響力があり、こいういうものを得るために映画館に通ったり、レンタルするのは良いと思いました。
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