「生きる環境を自分で選べぬ子どもたち」マイライフ・アズ・ア・ドッグ とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)
生きる環境を自分で選べぬ子どもたち
自分の意思を無視されて、一人思わぬ場所に放り出された犬(ライカ犬やシッカン)のような僕の人生。
それでも、ここで生きていくしかない。そんな子どもの物語。
児相のような機関職員が、この家庭をフォローしていたのは、母の病気だけが理由ではあるまい。
自分の意思に反して、チックのような奇異な行動が出現してしまうイングマル。
母がヒステリックに喚き散らし、鬼の形相でイングマルを追いかけまわし、打擲が始まると、幼馴染は、その声が外に漏れぬように窓を閉める。またイングマルが、”どこか”にいかぬように。
はっきりと不在の理由が示されぬ父。イングマルは「遠くで仕事をしている」とはいうものの…。
兄はかばってくれるどころか、イングマルにとって一番のいじめっ子。
ただ、母と笑って過ごしたいだけなのに。その為なら何だってやる気でいるのに、ことごとく裏目に出てしまう…。
ただ、シッカンと暮らしたいだけなのに。それすらも叶わぬ夢。それもあろうことにか…。
家族とは、一番のセーフティ基地で、温かくて良いもの。そう望んでいるだけなのに…。
せめて、焚火の暖かさが…。けれど…。
結婚を考えるような幼馴染はいるけれど、大人には理解されない。幼馴染も、大人の意向次第…。
それでも、与えられたこの場で、やるしかない。選択の余地のなかったライカ犬やシッカンのように。
まぁ、死んではいないから…。
繰り返されるモノローグ。「〇〇よりはマシ」。
そんなふうに、それなりに受け入れ、適応しようと努力はしていた場所から、またまたイングマルの意志とは関係なしに、叔父の元へ…。
個性あふれた大人たちが住む村での日々。
新しくできた友人たち。
ちょっとした冒険談のようなものもありつつ、でもさりげないエピソードの積み重ね。
それなりになじんで楽しかったものの、母は、母は…。
ここにも、イングマルには選択の余地はない。
シッカンさえも…。
別れなければ、シッカンを失うことはなかった?母とも別れなければ、母を失うことはなかった?
周りの思いやりと、イングマルの想いのすれ違い…。
胸がかきむしられる。
それでも…。
一見、起承転結がないような日々の描写。
そんな人々の変わらない日常が過ぎていく中で、鮮やかな脱皮を見せるイングマルとサガ。
繰り返し挟まれる、ライカ犬のエピソードと、主人公と同じ名の選手のボクシングの試合
(ライカ犬もボクシングの試合も映画のフィクションではなくて史実)。
「恥さらし」とまで言われたボクシング選手が、すべてを挽回しようとしている逆転劇の瞬間。
心地よい風に吹かれながら、二人は午睡…。
少年・少女の表情が繊細で豊か。
一番目立つのはイングマルとサガだが、緑色の髪の少年、体の大きい少年、イングマルに恋をする少女。最初の街でのイングマルの幼馴染…。みんな自然な表情を見せる。兄の意地悪な、それでいて寂しそうな表情もいい。
そして、その少年・少女をとりかこむ大人たち。
村の大人は戸惑いながら、失敗をしながら、自分のこだわりを大切にしつつ、子どもの傍らに寄り添い、一緒に笑う。
初見では、物足りない部分もある。
『ギルバートブレイク』と比べると、緩急の差が甘く、カタルシスが感じにくい。ボクシングに思い入れのない身には特に…。
でも、宇宙に思いを馳せる孤独な感覚が、そよ風が額を撫でてくれるような感覚に変わる。
ファンタジーのような大人たちの元で育つ、リアルな少年少女。
見返す度に、愛おしくなる。