「My Own Private Idaho」マイ・プライベート・アイダホ 重金属製の男さんの映画レビュー(感想・評価)
My Own Private Idaho
希望を感じさせる青空の下で、その果てしなさに絶望を覚えるような道がどこまでも続いている。その中心で「この道はどこまでも続く」と伝うマイクのモノローグは、明らかに救いのない展開を示唆しているようで、冒頭から観ているのが辛かった。気絶するように道端で眠ってしまうのを観てしまったら、なおさら。
この映画を単なる「青春映画」とカテゴライズするにはあまりに救いのない重苦しいストーリーだと思った。同性愛、近親相姦、ナルコプレシー、ドラッグ、売春、ホームレス…これでもかと普段目を逸らしてしまいがちな人間社会の側面が詰め込まれていて、不健全な若者たちを直視する恐ろしさを感じた。
端から出自や身分に差がありながらも、親友として時間を共にしてきたマイクとスコット。マイクはスコットへ「君が好きだ」と告げるも、スコットが「セックスはお金のためであり、お金のため以外で男同士が愛し合っちゃいけない」と言い放つシーンはとてもやるせない。その後もマイクの父親は実の兄であることがわかったり、母親を訪ねて来たローマにはもう母親はいないどころか、その農場の娘であるカルミラと恋に落ちたスコットは二人でアメリカへ帰ってしまうなど、マイクはどんどん孤独へ追いやられていく。
ポートランドへ戻ったマイクは、不良行為から足を洗ったスコットと再会する。葬儀のシーンで二人が交わす冷ややかな視線が痛い。いつでも市長の息子として真っ当な道に戻ることができたスコットと、終わりのない道を歩き続けるしかないマイク。二人の生きる道が全く違うものだと如実に表現されているシーンだった。スコットがあまりに身勝手で残酷な人間に思えたが、これがある意味ひとつの現実なのかもしれない。
最後は再びアイダホの道路のシーンで眠り込んでしまうマイク。スコットと過ごした時間は「道の途中」で起きたことであり、マイクの人生はこれからもどこかへ続いていくのである。一台の車が彼を乗せて走っていく。それがこの映画の唯一の救いなのかもしれない。