「【”誰にでも忘れられない先生がいるだろう・・。”偏屈でユーモア溢れる愛すべき内田百閒先生と教え子たちとの20年以上にも亘る交流を温かい視点で描き出した作品。】」まあだだよ NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【”誰にでも忘れられない先生がいるだろう・・。”偏屈でユーモア溢れる愛すべき内田百閒先生と教え子たちとの20年以上にも亘る交流を温かい視点で描き出した作品。】
ー内田百閒の作品が好きである。”冥途”は今でも時折、各掌編の幾つかを読み返す・・。-
■昭和18年春、30数年勤めあげた大学を辞め、文筆に専念するという百閒先生にひとりの教え子は言った。
”学校の先生を辞めても、先生はいつまでも僕らの先生です。先生は金無垢だ。混ぜ物のない金の塊。本当の先生だ、という意味です。先生はドイツ語以外に、僕らに何だかとても大切な事を教えてくれた気がします・・。”
そして、先生(松村達雄)と教え子たちとの長きに亘る交流が始まった・・。
■印象的なシーン
・先生が”泥棒がどうしても、わが家に入れない方法を編み出した・・”と自信満々である日教え子たちに宣う。教え子の高山(井川比佐志)と甘木(所ジョージ)はある晩、こっそりと先生の家へ。
すると、風呂場の戸が半開き。中を見ると”泥棒入り口”と書かれた立て札が。その先には”泥棒通路”、そして”泥棒休憩室”まであり、タバコに座布団まで置いてある。
高山と甘木は、嬉しそうな顔で”やっぱり、先生は金無垢だ・・”
ーもう、二人とも良い大人なのに・・・、とても好きなシーンである。ー
・先生が60歳の誕生日。皆で”馬鹿鍋”をつつき、どんちゃん騒ぎ。良い大人になった教え子たちが多数集合し、皆楽しそうである。
ー先生が、教え子たちに如何に慕われていたかが良く分かる。-
・先生の誕生日会である”魔阿陀会”を高山と甘木と沢村(寺尾聡)、桐山(油井昌由樹)が開くシーン。教え子たちは皆それぞれの道を歩んでいるが、先生の前に出ると、学生時代に戻ったようだ・・。
・愛猫、ノラが居なくなって狼狽する先生の姿・・
<最後の”魔阿陀会”で先生が教え子たちに言った言葉。
”自分にとって本当に大切なモノ、好きなモノを見つけてください。そして、そのもののために努力しなさい。それはきっと、心のこもった立派な仕事になるでしょう・・。”
やっぱり、内田百閒先生は”金無垢”だ・・。>
<1993年4月25日 劇場にて鑑賞>
<その後、複数回、他媒体で鑑賞>