「プロレタリアートの秘かな愉しみ」ブルジョワジーの秘かな愉しみ シューテツさんの映画レビュー(感想・評価)
プロレタリアートの秘かな愉しみ
ルイス・ブニュエル監督作品、キネ旬ベスト1974年度6位
少し前に『自由の幻想』見て「面白い」と感じてから、もっとブニュエル作品を見たくなって購入しましたが、本作はまず「難しいぃ~」というのが鑑賞直後の感想ですかね。
というか「私ごときがブニュエル作品を語ること自体がおこがましいにも程がある」って気になってしまいましたよ(苦笑)
でも分らないと思いながらもつまらないと感じる事もなく、この辺りが私の限界点なのかなぁ~って思いながら見ていました。
しかし、これがフランス流のユーモアなんでしょうかね?大笑いするでもなく、だからと言って真剣に受けとめるのも野暮な様な気にもさせるしで、庶民にとっては分かり難い部類の作品だと思います。
まあ、タイトルからして“ブルジョワジー”の物語ですから、対極である無産階級の私が分かり難いのは当然なのかも知れませんね。
ここまで書き進んでふと思ったのが、今までSNSで何百回も言ってきた私が映画好きになった入り口であるアメリカンニューシネマと本作が同時代の作品であった事と、あの十代の私でも理解出来たニューシネマのメッセージと本作のメッセージとは何が違うのかって事です。そう考えると別の視点で色々なものが見えてきそうな気がしました。
本作で何度か挿入されるシーンで、主人公達男女三組が何故か歩いている一本道がアメリカンニューシネマのロードムービーのシーンと重ね合わさり、ひょっとすると似た様なメッセージが含まれているのかも知れないという(ブニュエルがアメリカンニューシネマを意識していたのがどうかは不明ですが)要するに、逆視点からの社会(有産階級)批判は確実に描かれていて、更に人間考察へのもっと深い部分にまで及んでいたのかも知れないという気がしてきます。
そこに着目すると、私が最近になってブニュエルが気になり始めた理由が何となく見えて来たような気がします。
ここから少し本作から脱線した話になりますが、10代の頃ニューシネマなどに傾倒し自分の社会の中でのポジションの様なものが薄っすらと見えて来て、自分の能力や性格なども考えると、恐らく一生うだつの上がらない労働者階級の中の底辺で生きなければならないのだろうという未来予想が出来上がっていましたが、戦後の日本ではどんな階層であっても、贅沢をせずに酒・煙草・ギャンブル等々の中毒性のある身を亡ぼす恐れのあるモノから遠ざかり堅実に労働力を提供していれれば、衣食住は何とかなるし適度に趣味も持てる位の暮らしが可能な事も分かっていました。
そしてそういう暮らしを続けながらこの歳になり、他のSNSにて他人から見ればとんでもなくショボくしょうもないDVD購入の自己満足話を長文で書いたりと、こういう自分を俯瞰して見ると、この映画に出てくるブルジョワ連中の滑稽なグルメ話とスケール感は全く違えど、結局同じ人種じゃないかと思えるような愉しみ方をしている事に驚いてしまうのですよ。言うなれば“プロレタリアートの秘かな愉しみ”なのでしょう。
そう考えると、この映画の滑稽さがまさに自分に跳ね返ってくるようで、どんな時代のどんな階層の人間であろうと、人間の持つ本質というのはそんなに変わるものではないと、ブニュエルは薄笑いしながら私に向けて言ってるような気がしましたね。