フェイシズ(1968)のレビュー・感想・評価
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戸惑いの顔たちが浮かぶ
ジョン・カサヴェテス監督作品。
関係の破綻した中年夫婦の一夜を描いた物語。
タイトルにもある通り、顔のクローズアップが多用されており、それによって登場人物の戸惑いや気の抜けた表情が見事にすくい取られている。
パーティーで乱痴気騒ぎをしている人を目撃している時、好きな人が自分以外の誰かと情事をしている時、あの表情は私の表情で頭から離れない。
終わりもまたいい。マリアは浮気相手の側で死ぬことに失敗するし、浮気相手の逃走の様子は滑稽だ。夫も浮気をしているのに彼女を叱責しているのはどうかしている。
破綻した夫婦仲は破綻したままこれからも営まれ、甘美な別々の夜へ向かっていくのだろう。このままでいいのだろうか。戸惑いの顔たちが浮かぶ。
特集二作目は
1時間近く尺が増えた。題名の通り瞬間、瞬間の表情の変化が観物なのだが・・とにかくいたたまれない。酒が大分回ってるのか、始終ハイテンションで、ジョークを飛ばす有様には目を背けたくなる。カメラがドキュメントタッチで、ふと我に帰ったり、眉をひそめたりする瞬間を逃さないのもキツイ、旦那のしわやたるみも。演劇的と言えるのはラストの階段シーン位。
まあ才気は凄く感じるが、まだ実験的な感じがする、次は「こわれゆく女」か。
ジーナのオハコは封印。
高級娼婦と社会的地位のある男どものクソどーでもいい話と、満たされない有閑マダムのフレッシュな男狂いという、特に変わり映えのないネタだけど、自殺未遂明けでどことなくひと皮剥けた妻と、浮かれ気分から一気に目が覚めた夫の所在なさげなシーンでエンディングを構築する。このあたりがカサヴェテス作品がワイドショー的下世話感で終わらない面白さな気がする。
リチャードとマリアが住む高級住宅は、16年後に映画「ラヴ・ストリームス」のカサヴェテス演じる独身貴族ロバートの家と同じ家。いずれも愛を求め、愛に救われ、愛を確かめることになる。
タイトルなし
有吉佐和子『夕陽ケ丘三号館』的なブルジョワ有閑マダムの退屈もの。ここでの「退屈」は國分功一郎が言うような「退屈」。ここから、シャンタル・アケルマンに繋がっていくのかなー、など。
/なんか字幕が、と思ったら…。
ステキな大人とは…
これは1968年に作られた映画。その頃としては凄く斬新だったのかな、と思う。
顔をじっと覗き込むような視点、そして、中年の大人たちの正直な心情がえぐり出されてしまっているあたり。
大人たち、正直になれよ、皮を剥げ、ほんとうは問題だらけなんでしょ?と語っているように思える。
映画の中のジョン・マレイは素敵だった。トシをとっても素敵な人はすてき。でも奥さまに離婚を切り出さないほうがもっと素敵だった。分別や思いやりは年相応にあってほしい。
ディスコで知り合ったイケメン青年が、軽そうに見えて実は意外によかった。
世間や人間を良く知っている彼は、思いやりがあり、情が豊かで…
彼の登場で映画の深みがグッと増したと思う。そして彼を通してこの映画のスタンスが理解できるような気がした。
"喜・怒・哀・楽"
どの登場人物も機嫌よく会話していると思いきや突然に怒り、泣き、笑い、態度が突如に急変し情緒不安定な大人たちの会話を永遠に、、、、!?
出会い、家庭、再会、奥さんの情事、夫婦の破綻と多分この五つのシーンからなる長い会話とやりとりを入念に描写しているような。
普段の自分の生活を思い返せば、本作のように"喜怒哀楽"を表現して他人と接し関わっている日常がある訳で、そんな人間=男女をリアルに演出するカサヴェテスに魅了されてしまう。
物語どうより、演じる役者の"顔"の演技が素晴らしい。
ジーナ・ローランズは何を言ってもかっこいい!
缶詰だらけの朝食に「たくさん食べないとね。母に言われたの。痩せているハッピーに見えないって」まさにまさに。容赦なく役者の顔をアップで切っていくカメラワークには役者も緊張しっ放しだったろうなぁ…。
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