劇場公開日 2001年3月17日

「今でも文句がつけられない」羊たちの沈黙 R41さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0今でも文句がつけられない

2025年2月26日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

2000年当時はサスペンスとサイコの組み合わせがなかったのだろうか?
あの「サイコ」は1960年のホラーだったようだ。
つまり当時は、すでに使われた型として考えられていたのか、誰かが使った「モノ」を使わないようにするのが流儀だったのかもしれない。
しかし、ネタが尽き、そして掛け合わせという手法が盛んになった。
これはすべての分野で発生し、少し前には一つのカップ麺の中に別の味を足すことまで起きていた。
映画の世界でも新しい物語作りに四苦八苦で、最近は漫画を映画化にするとヒットするという神話さえ生まれているようだ。
この作品は当時から今でも語られるほどの名作だが、いったい何がそれほどまで人を惹きつけるのだろう?
そのことは、実際数多あるまだ見ていない作品を脇へ追いやり、この作品をチョイスした私自身に問いかけたい。
今までも何度か見てきた。今回目に留まったのはそのタイトルの意味を考えたかったからだ。
この作品のタイトルは意味深だ。
クラリスの幼い頃の体験に登場する羊たち 彼女のトラウマ ビルとの格闘によってそのトラウマが払拭されたようだ。
沈黙する羊は恐怖の象徴 順番に殺されていくにもかかわらず声さえ出せない。父を失ったクラリスの不安と預かり先の牧場で見た光景が重なるのだろう。
不安と恐怖の象徴が羊 しかしタイトルは「羊たちの沈黙」
まるで羊たちが意識的に沈黙しているようだ。
クラリスが幼少期に経験した羊の悲鳴とその後の沈黙は、彼女の心に深い傷を残した。
羊たちが順番に殺されていくにもかかわらず、何もできずにただ見守るしかなかった彼女の無力感と恐怖が、犯人バッファロー・ビルの犠牲者たちに重なったのだろう。
ビルとの対決を通じて、クラリスは自分の恐怖と向き合い、それを乗り越えることで「沈黙する羊たち」を救おうとした。
つまり、彼女のトラウマを克服し、過去の傷を癒すための象徴的な戦い。
タイトルの「羊たちの沈黙」は、クラリスが自分の内なる恐怖を克服し、沈黙を破ることを意味しているとも解釈できるだろう。
彼女がバッファロー・ビルを倒すことで、過去のトラウマから解放される瞬間を象徴していると解釈した。
さて、
この作品には2つの軸がある。
メインである連続猟奇殺人鬼を追う物語と、レクター博士というサイコ精神科医という人物像そして彼の脱走事件だ。
連続殺人鬼を追うのはクラリスの物語だが、どうしてもよりウエイトを感じてしまうのがレクター博士だろう。
FBIが訓練生をレクター博士へと送り込んだことは、レクター博士自身の興味を誘うことに成功した。
この設定は見事だと思った。そこまでの過程を省いているのもよかった。それによって視聴者に考えさせているのだろう。
そして見返りを求めた彼に対し、「嘘だ」とのたもうた精神病院の院長
院長はクラリスの話を盗聴して手柄を横取りした。
更に約束とは違う待遇に、レクターはキレたのだろう。
キレる前に院長のすべてを読み取っていた。
途中から連続殺人犯のことよりもレクター博士の方が気になって仕方なくなる。
ここがこの作品の見せ方というのか、視聴者の嵌め方だろうか。
頭の中にはビルのことはサブになってしまって、あとから「あれって、どうしたんだっけ?」となる。
2度見ても注目はレクター博士へ注がれてしまう。
3度くらい見てようやく理解できた。
なるほど~ そういうことでしたか~
「レクター博士、夕食はいかがでしたでしょうか?」

R41
talismanさんのコメント
2025年2月26日

よくできた素晴らしい映画ですね。キャスティングもいい!

talisman