パリ、テキサスのレビュー・感想・評価
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心から良い映画
映画
『パリ、テキサス』
の感想をブログに上げました。
監督:ヴィム・ヴェンダース
制作年:1984年
制作国:フランス、西ドイツ、イギリス
カンヌ国際映画祭 パルム・ドール(最高賞)
【あらすじ】
テキサス州の砂漠で倒れた言葉をしゃべらない男。
迎えに来た弟と徐々に会話を始めるものの、妻と息子と不通になってから4年間の記憶や、行方不明になった原因は判らないまま。
やがて弟夫婦と暮らす息子と再会し、徐々に父子の関係を取り戻していくが。。。
【感想】
心から良い映画でした。
心地良い家族の再構築の流れと並行して、徐々に明らかになる男の謎。
ラストに向けて夫婦の思いが明かされていく、切なく悲しい映画でした。
心の通い合いを優しく描きながら、観客との距離感をしっかりと持った脚本も素晴らしい作品です。
ブログの方では、ネタバレありで個人感想の詳細とネット上での評判等を纏めています。
興味を持って頂けたら、プロフィールから見て頂けると嬉しいです。
子役が可愛すぎる
多分、私のレビューで子供が可愛いとタイトルに書いたのは初めてかもしれない。「ホームアローン」とか子供が主役あるいは準主役の映画なら不思議では無いかもしれないが、この映画で子供の可愛さをタイトルにするのは私ぐらいだろう。ただ、この映画を見ればこのことに納得していただけると思う。そのことがわかると、この映画の2人の行動が理解できないのである。つまりこの映画自体を理解できないのである。
最後、なぜ主人公は妻と子供と一緒にならなかったのか甚だ疑問である。それに、ホテルの部屋で妻が子供と会えて感動的な抱擁シーンで終わるが、考えてみれば、妻のほうは子供が弟夫婦に育てられているのを知っているし、住所も知っているので会おうと思えばいつでも会えるはずだったのではないか。それとも風俗店での鏡越しでの夫との会話で、自分の過ちに気づいたということだったのだろうか?
あと、そもそも主人公と妻があんな可愛い子供を置き去りにして出て行った理由がわからない。8ミリビデオでは幸福の絶頂のように仲が良かったではないか。
ナスターシャ・キンスキーの美しさだけが非常に印象に残る映画であった。ただ、それだけでも見る価値はある。あと、あの子供も。
<その他>
あの子役はハンター・カーソンと言って、カレン・ブラックの息子だということがネットで分かった
映像は雰囲気抜群、内容は当時の悪しきもの
映像は素晴らしい、80年代初頭の古き良きアメリカ臭がプンプン。雰囲気も抜群。音楽もよい。あと、ファッションもよい。何気に店で買って、以後履いてるリーバイスはシルエット的に501のヴィンテージ物か?足の長い外人の着こなし。素晴らしい。
そして、内容は
子供がいなければまあ、男のロマン的な内容でよいが、これだけ子供を振り回して最後はまた、らという、
こういうのがかっこよい、みたいな風潮があったとしたら子供が可愛そうだわ。
本作でいえば、ヒューストンでこれから母子はどうやって生きていくのか?絶対グレるよね。などと、賛同はできない。
しかし映像は素晴らしい。
初めて観たのは30年も前かもしれません。 8ミリビデオのシーンとマ...
初めて観たのは30年も前かもしれません。
8ミリビデオのシーンとマジックミラーで話すシーンがとても心に残ってました。
再びみて
それ以外にもシーンの美しさに圧倒されます。
愛に狂った男の悲しい話
覗き部屋の巧みとパリ、テキサス
傑作。前半は主人公と弟との長いドライブ、後半は息子とのドライ
ブ、その道中のやりとりや日本ではいられない荒れ地を通る高速道
路も見ごたえがあるが、固唾をのむのは何といっても、深く愛しあ
い傷付け、4年間音信不通で別れていた男女の再会の場面を覗き
部屋に設定したアイディアの迫力だ。
女は相手の男のすがたが見えず、自分の姿しか映らないマジック
ミラーの「鏡」を見続ける。男には女が見えるが相手には自分が見
えていないことを知っていて通話機を通じてしか話せない。もちろ
んたがいに触れあうことは全くできない。男女関係についての実に
巧みな設定だ。覗き部屋の場面で女が一人で画面いっぱいに延々と
映し出される。これはナスターシャ・キンスキーの「濃い顔」じゃ
ないともたないだろう。
ヴェンダースは、この場面をはじめ、八ミリに映し出された団
欒のシーン、息子を学校に迎えに来た真っ新なスーツ姿のトラヴィ
スと息子が道路を挟んで下校するシーンなど巧みな映像で我々の
目を魅了する。だが、ただ写真とトラヴィスの思い出話にしか出て
こないパリ、テキサスがなぜ題名なのか?それは自分を失ったトラ
ヴィスが自分を取りもどすためのかけがえのない唯一の場所だから。
彼はその場所で誕生し、その場所での再生を目指す。
ナスターシャ・キンスキー見たさに
雑誌で映画特集が組まれるたび必ずといっていいほど紹介される『パリ、テキサス。』 コロナウィルスで自粛期間中に鑑賞しました。
冒頭から、カンカン照りの真昼間のテキサスを汗もかかずにスタスタ歩く主人公、4年近く声を発していないわりには、しゃがれ声にもならずに突然ペラペラ話し出す、一銭も持たずに水だけで旅を続ける・・・いったいどうなってるの?と突っ込みたくなるのはさておき、80年代の映画の色褪せたようなカラー映像の美しさには納得です。
テキサスのハイウェイ沿いの荒涼とした風景、ガソリンスタンドや安モーテル、はては怪しげな覗き部屋など、本来なら殺風景といってよいものが、一枚の絵や写真のように美しく切り取られていました。
BGMはほとんどなく、たまにギターを掻き鳴らす音が聞こえてくるだけ、尺は2時間以上あって、眠気との闘いになったところもあります。
終盤にようやく登場するナスターシャ・キンスキーがとにかくかわいい。ブロンドのボブヘア、赤くてぽってりとした唇、赤や黒のふわふわしたニット、除き部屋の青いカーテンや赤い電話機などど相まってポストカードにしたくなるような画でした。
主人公が4年もの放浪の旅に出た理由は、彼女を愛しすぎていたからということになるでしょうが、彼女を愛するあまり、あらぬ嫉妬や妄想をするようになり、彼女を責め立て、結局は失ってしまう・・・というくだりは、彼女のように美しくはない私ですが、経験したことがあり、思い出してぞっとしたのでした。もしこの映画のように若くして妊娠していたら、自由を奪われた、束縛から逃れたいと私も思ったかもしれません。
彼女と子どもを引き合わせて自分は去る、というラストですが、これもちょっと理解しかねます。男のロマンなのでしょうか。子どもを育てるのにはお金が必要なのですが・・・、経済的支援も資金繰りもしないまま、また旅立ってしまいました。
【一人の女を愛しすぎて”心が裂けた”男の、再生と贖罪の放浪の旅。】
ーこの作品は、何度観ても、鑑賞後の余韻が長く残る・・。ー
1.作品の随所の映像の”赤”の使い方が実に巧みで、脳内に各シーン毎の印象として刻み込まれるためなのか・・
・冒頭、テキサスの平原を歩くトラヴィスが被っている野球帽の汗でくすんだ”赤”であったり、
・ウォルトがトラヴィスを自らの家に2日掛けて、車で連れて行く途中、休憩するモーテルの周囲の看板の電飾の”赤”であったり、
・トラヴィスとハンターが”妻、母”の車ではないか?と追跡するシボレーの
”赤”であったり、
・トラヴィスが”覗き部屋”で鏡越しに向き合った女性(ナスターシャ・キンスキー)が着ていたセーターの”赤”であったり、
・”妻、母”を探す、トラヴィスとハンターのシャツが”赤”であったり・・
2.トラヴィスの表情の変化が微妙且つ絶妙に表現されるためなのか・・
・冒頭から暫く、トラヴィスは“黙りんぼう”と医者から言われるほど、何も言葉を発しない。表情も無機質である。
・ウォルトがトラヴィスに対し一方的に喋るうちに、トラヴィスが徐々に話し出す”テキサスのパリ”に土地を買った理由。
”僕の人生はあそこで始まった・・”
ーウォルトが兄、トラヴィスをさり気無く思い遣る気持ちが、乾いてしまった彼の心を徐々に潤していく。-
3.ウォルトの家で”身勝手にも勝手に家を出た”トラヴィスが4年振りに会った息子、ハンターと少しづつ会話を始め、学校の迎えに何度か行き、漸く一緒に二人で並んで坂道を歩いて帰って来るシーンなのか・・
ートラヴィスは徐々に服装にも気を配るようになり、表情も少しずつ豊かになって来る。-
4.妻、ジェーンの居所がウォルトの妻アンの言葉により、朧げに分かったトラヴィスがハンターに”旅に出る・・”と言った後のハンターの口から出た”僕もママに・・・”と言うシーンのためなのか・・
ーハンターが自分の幼き姿と”両親”の幸せそうな8ミリビデオを見る表情と、アンの”息子がいなくなってしまう・・”という哀しみ、心配する切ない表情の対比・・。-
5.追跡した赤いシボレーが停まっている場所の脇で働く女性の”職場”に行き、女性と鏡越しに話すシーン。
そして、ホテルに残したハンターに”メッセージ”を残して、再び女性に会いに行くシーンのためなのか・・
■”女性”に対し、トラヴィスが”二人の男女は愛し合っていた・・” ”トレーラーで暮らしていた・・”と話を始め、
”電気を消せば、俺が見えるのか・・”
”女性”は、鏡に身体を寄せ、”ハンターのいるホテルへ行くわ・・”
<ライ・クーダーが奏でる、”旅愁を誘うスライド・ギター”の音色も心に沁み入るロードムービーの傑作である。>
<1990年代 映画館で鑑賞。その後、幾度か様々な媒体で鑑賞>
ダメなことが判って良かった
荒涼とした砂漠と
何か訳ありで肝心なことを何も話さない
むさいジジイのアップが続く中、
全体の三分の一を我慢して観ていると
DVDパッケージの
若い頃のナスターシャ・キンスキーの
超鮮やかな登場でやっと何とか持ち直す作品。
若い女の子と良い仲になりたい!
なんて思ってる中年以上のジジイには
いい薬かもしれないですね。
ダメ男が大丈夫な人はぜひ!
で、月に8回程映画館に通う中途半端な映画好きとしては
名作として、1984年だから36年も前に
カンヌでパルムドールも受賞してる。
けど、時代が求めるものが
あまりにも変わってしまっているので
今、この映画を観て、感動できる人は
どの位いるのでしょうか?
こんなにダメな男とダメな女の
互いの愚かな話なんぞ、クソつまんね〜
同じ監督の「ベルリン・天使の詩」は
同じような淡々とした作風ながら
観ていて最後は希望的に終われるのに
なんだよ、この映画のダメ男のたわごとは!!
こんな風にしか生きられない人もいるよね〜
ってことなんだろうけど、
私が映画に求めるものがそもそも全く違うので
逆に理解なんかしたくない!
名作名作と言われていても、
合わないものは合わないと
ちゃんと決着つけられただけ
観て良かったかもしれません。
@お勧めの鑑賞方法は?
配信で十分ですがうっかりすると寝てしまいます。
余韻がいつにも増して不思議な感覚
物凄く完成度の高い脚本ではないかもしれないし、設定も大まかかもしれない。でもこの監督の作品が愛おしく、いつもは作品の纏う空気感を愉しむために見ている感じだった。けど、この作品中に一つ心に残る(突き刺さる)セリフ「虚しさを埋める代償にしたくなかった」
このセリフを言わせるための作品のように思った。
出てきたファミリー全員、本来愛情に満ち溢れてるのに溢れすぎて別離の道を歩んでしまう。
思ってたより余韻が残る作品。
作家性が強すぎて落胆
テキサスの荒涼とした礫地を行く放浪者、サスペンスを思わせるほどの小出しの状況説明、最後まできて一家離散の心の闇がやっと語られる。ナスターシャ・キンスキーを使ったことからロリコン親父の被害妄想の説得性や放浪という自虐的な現実逃避も分からないではないが身勝手な感傷主義に思えてならない。
脚本途中で製作に入り結末をどうするかは脚本のサムシェパードと監督のビム・ベンダースは電話で話して纏めたがサムは不本意だったらしい、後に組んだ「アメリカ、家族のいる風景」で補ったと言われている。特殊な家族を描くことで平凡な家族の見落としがちな何かを伝えたいという手法は是枝監督も使う手だがベンダースは本作の主人公のように多くを語らない、ドイツ表現主義では万人受けなど端から眼中にないのだろう。
こういうテンションの張り方はタルコフスキーなども用いるが芸術性が高いとも思えない。
作家性が強い映画で製作動機が理解できないがカンヌの批評家には高評価だったようだ。
個人的感想
トラビスの奥さんがきれい
アンハサウェイ見たときの衝撃
奥さんと電話越しに話し、トラビスは過去の過ちを悔い改めたようにみえたが、レビューを見ると、昔3人でいたときのようにまたトラビスが妄想して、家族がめちゃくちゃになるとおそれ、トラビスが身を引いたと考える人が多い。
2回目のマジックミラー越しで、奥さんがトラビスとわかったときにすぐに、抱きつきにいかなかったのは、トラビスにたいする愛はなくなっていたからか?
ハンター宛にお金を振り込み、ハンターを愛していることがうかがえるが、トラビスにたいする気にかけはなかった。やっぱりトラビスにたいする愛は冷めていた?
ロード・ムービーの基本
記憶喪失、だんまり屋、謎が多い前半。テキサスの中にあるパリという地名。同じく4年前に失踪したトラヴィスの妻ジェーン。そしてジェーン探しに旅をするトラヴィスとハンターの親子。
覗き部屋という風俗は日本でもこの頃に流行ってたような気がする(もちろん行ったことはありません)。ラストに向かって、黙々と喋り続けるトラヴィスから一転して台詞のない対面までがコントラストが効いて絶妙なバランスを保っています。しかもエンディングの夕焼のハイウェイがすごく綺麗。ずるいような気もする。
これは複雑で手短には語れない。 自分勝手で不器用な男が再会した愛す...
これは複雑で手短には語れない。
自分勝手で不器用な男が再会した愛する子供と消息不明の愛する妻の為、償う旅。
記憶を失くして目的を忘れてしまってもなお、何故パリテキサスを目指したのか。
それはその場所で愛する妻と子供と三人で暮らしたかったトラヴィスの想いが心のどこかにあったから。
愛に向かってひたすら歩き続ける男トラヴィス。
トラヴィスの愛の形、それがパリ、テキサス。
なのに涙流して何処に行くんだトラヴィス。
なんとも切ない
切ない映画でした。いや〜、なんとも切ない。
主人公トラヴィス。未熟な男です。しかしこれは非難の意味合いではない。彼はどうしても成長できない、成熟できない悲しさを抱えているように感じられます。愛を切望しても壊してしまう、そんな自分に絶望しているのでしょう。
そして、タイトルにもなった、彼の故郷パリ、テキサスに戻ろうとする姿から、原家族との関係の傷つきが、彼の成長を止めていることが推察されます。父と同じような妄想に取り付かれていると感じるトラヴィスは、息子ハンターにも、自分が体験した傷を負わせてしまうという恐怖を感じていたと思います。ハンターに自分の両親のことを語る姿は、なんか切ない。彼はクライベイビーですよ。
元妻のジェーンとトラヴィス、一見年の差カップルですが、精神的には近い2人だったんでしょうね。ジェーンもおじさんをパートナーに選ぶくらいだから、安心感を必要としていた人なのかな、と思います。しかしパートナーは体はおじさん、心はベイビーだったため、上手くいかなくなるのも宜なるかな、です。
しかし、一番切ないのは弟夫婦、とくに妻のアンだと思います。ハンターを実の子として、本当に愛して育てたことが伝わってくるが故に、辛すぎますね。
ハンターの布団がスターウォーズなんですよね。アンは宇宙好きの彼の嗜好をちゃんとキャッチして選んだのでしょう。きっとあの布団が家にやってきた日にハンターは超喜んだと思うんですよ。そういう、すごく大事な積み重ねが伝わってきたが故に、本当に胸が苦しい。
ハンターが母と別れたのが3歳。愛着対象は確かに母親でしょう。トラヴィスも問題あるけど優しい男だから子どもは見抜いて懐きますしね。
とはいえ、弟夫婦の話は残酷だと感じています。
名作と誉れ高い本作ですが、確かに素晴らしい映画でした。マジックミラー越しのトラヴィスとジェーンのやりとりなどは、すごい説得力で迫ってきました。
しかし、トラヴィスの物語にはがっつり共感できず、むしろ弟夫婦に感情移入していたため、ハマるまでには至りませんでした。
のぞき部屋のスタッフとして、伊達男ジョン・ルーリーがちょこっと顔を出しており、ジャームッシュ初期3部作好きとしては思わすニヤリとしました。
主人公との距離感の取り方が難しい
後半にやっと出てくるナスターシャキンスキーがあって初めて成り立つ作品だと思う。
若いころに観たけど寝落ちしてしまいほとんど記憶がなく、改めてみると、少々寝落ちしても問題なかったことが確認できた。
観る者が主人公に寄り添うことを求められる。この距離感を保つことが案外難しい。距離をとりすぎると映画から遠のいてしまうし、近づくと拒絶される。
観る者に干渉させないような作りになっていて、そこがこの作品のなかなか面白いところ(あるいは凄いところ)なんだと思うが、干渉できないから鑑賞もできないというか。
最後のほうで締めくくってくれてるから満足感はあるんですが、全体を通じて、「どうやったら入り込めるか」と機会を探りつつ結局入りこめなかったという敗北感が残ることになった。
美しく儚い
たくさん素敵なシーンがあります。
好きなのは、昔撮った8ミリの映像をみる場面。
トラヴィスとハンターが一緒に学校から帰って来るシーン、ラストのホテルでの親子の再会の場面。
人生の美しさと儚さ。哀しみと喜び。人はただそれを味わう事しかできない。
そして旅が続く。
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