橋の上の娘のレビュー・感想・評価
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再見することは重要
劇場公開時に観たような、観てないような。曖昧な記憶をはっきりさせるべく、レンタルで確認。やはり観ていた。
ところが、主人公が最後に訪れる街、イスタンブールの記憶が全く残っていなかったのは不思議だ。ラストシーンは、あの街を訪れたことのある者ならば間違うことのない、ガラタ橋での再会。自分にとって思い出深いイスタンブールが映画に登場していて、それを憶えていないとは。
ヴァネッサ・パラディの好演が光る。周囲から尊重されることない不安を抱えて生きる者の辛さ、寂しさ。彼女はそれらを、出会う男たちとのセックスを通した関係で乗り越えたと思い込む。この思い込みは本人も自覚したもので、これ以外に他人との信頼関係を取り結ぶ方法を知らないだけなのだ。この無垢さと、男とみればすぐにセックスに誘う少女の魔力とを見事に両立させている。
「的とは寝ない。」ダニエル・オートゥイユのナイフ投げが出会いのときに口にした言葉はこの作品の重要なテーマとなっている。つまり、セックスでしか人間関係を築くことの出来ない少女に対する、セックス抜きで命を賭けた信頼関係を作っていく男の挑戦である。
オートゥイユはしかし、パラディが他の男と寝ることに関しては全く頓着しない。ただ、並外れた幸運を持ち合わせた彼女と行動をともにできればそれでいいのだ。地中海上を行く客船から新婚の男と消えるまではそれでよかった。ところが、彼女と離れた途端に、ナイフは新しい的の脚に刺さり、たどり着いたイスタンブールの街で落ちぶれている。
船上から逃げたパラディも、救助された軍の基地で男女の関係のもろさを知り、ギャンブルでのツキも失ってしまう。
お互いがもう一方の存在を不可欠の存在と認め合う状況になり、一緒にいたいと思う感情の横溢。あまり表情が豊かとは言えないオートゥイユの演じる中年男の佇まいが胸に迫る。公開当時にまだ20代だった私にはピンと来なかったとしても不思議ではない。そして、イスタンブールの橋の上のシーンが記憶に残っていないことも同じ理由によるのだろう。
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