劇場公開日 1949年10月17日

「21世紀の現代に於いてもなお、本作は私達にどう生きるべきかメッセージを発しているのです」野良犬 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

5.021世紀の現代に於いてもなお、本作は私達にどう生きるべきかメッセージを発しているのです

2019年8月29日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

恐るべき傑作です
刑事サスペンスとして高いレベルで成立していながら、本当の主題を見事に謳いあげているのです
その二重構造には舌を巻きます

1949年の作品です
同じ敗戦国のイタリアではヴィットリオ・デ・シーカ監督のネオリアリズモの名作「自転車泥棒」が前年に公開されたばかりです
敗戦国の庶民の有り様を活写しているのは、両方の作品とも同じですが、本作はそれを悲哀の絶望の物語ではなく、刑事ものの娯楽映画として成立させつつ、戦後の精神の在り方についてどう生きるべきかを観客である国民へのエールを送っているのです
つまりそれこそが本作の主題なのです

殺人事件まで引き起こしたコルト拳銃を摺られた失態は、実は敗戦の暗喩なのです
そしてアプレゲールの長めのやり取りは何の為のシーンなのか
そこに本作の黒澤監督のメッセージがあるのです
アプレゲールとは、戦後の混乱の中で無軌道に生きる若者達のことです
そのように生きるのは世の中が悪いからだと並木ハルミも本多もそういうのです

アプレゲールの反対語はアバンゲール
本作の中ではアプレゲールは愚連隊、つまり今でいう半グレ的な意味合いで使われています
半グレのグレも愚連隊が言葉の起こりです
アプレゲール談義のすぐあとに佐藤警部は隣室の蚊帳の中に川の字に眠る子供達を見せます
子供達の無心に眠る姿こそ平和な平常の日本人の暮らしです
つまり佐藤警部こそがアバンゲールの象徴なのです
ここで監督は見事な対置を見せるのです

主人公の村上刑事はコルトを無くし、それによって殺人事件まで起こったことでノイローゼになりそうになっています

不運は人間は人間を叩き上げるか、押し潰すかだ、君は押し潰される気か
心の持ち方次第で君の不運は君のチャンスだ
そう上司の係長は村上を叱るのです

そして逮捕シーンでもまた逮捕された犯人と村上刑事は画面の左右に対置され天を仰ぐのです
一方は押し潰された者、一方は傷を負いつつもそれを乗り越え叩き上げられてより強くなった者なのです

犯人と村上は同じように元復員兵で年齢も大差ありません
復員してリュックを列車の中で盗られてしまうところまでは同じなのです

その不運を世の中が悪いとグレるのか、村上のようにそうならないのか

彼は並木ハルミにこう言います
世の中も悪い、しかし何もかも世の中のせいにして悪いことをする奴はもっと悪いと
そして何故そのドレスを着ないのだと
そうなじる村上に反発して彼女はそのドレスで舞い楽しいと心にも無い言葉を発するのですがアバンゲールたる母親から正気に引き戻されるのです
そのドレスの裾を翻して回転するダンスのシーン
その象徴的なシーンを撮る為に彼女はダンサーという設定にされたのだと思います

犯人と村上の二人が倒れている周囲には花が生い茂っています
舞台は夏 、犯人の配給手帳の発行日は昭和23年のものですから、恐らく製作年の1949年の真夏から初秋です
ですから花は秋の花コスモスのように見えます
そこに幼い子供達が春の歌を唱いながら歩いて来るのが聞こえます
何故に秋なのに春の歌を監督は歌わせるのでしょう?
あの子供達は戦後の日本は辛い冬が終わって春が来たと観客に向かって歌っているのです

本作は刑事ものサスペンスの体裁を取りながら、実は黒澤監督からの戦後の国民への強く生きろとのメッセージだったのです

題名の野良犬とは、本編にあるよるようにチンピラのような野良犬が殺人犯たる狂犬にかわることを意味すると同時に、戦後日本の混乱の中で暮らしている日本国民を野良犬だと言っているのです
狂犬になる果てることなく早く正気になれ、強く生きろと言う意味だったのです

舞台は暑い夏に始まります
何故に酷暑の夏なのか、単に撮影時期が夏だから?そうかも知れません
しかし敗戦の暑い夏を想起させる為の設定なのではないでしょうか
逮捕シーンで猛暑は過ぎ去り初秋の花の咲く野原で犯人は咽び泣くのです
敗戦の悲しみを何時までも引きずっているのではないとのメッセージだと思います

そしてラストシーン
佐藤警部は犯人のことを何時までも気に病む村上に諭すのです
そんな感傷なんかなくなるよと
そしてこう言うのです
その腕が治ったらまた忙しくなる
犯人のことなんか自然に忘れるよと
そう、犯人とは戦争の事なのです

これが本作の主題であり黒澤監督の戦後復興にむけたメッセージなのです

だから前半に戦後の混乱の中にある東京の実相をあのように長く撮影して見せているのです

そして21世紀の今
単に昔の傑作だと感嘆するのみの作品でしょうか?
バブルが崩壊し恐慌寸前まで行ってから20年は経過しました
今もその傷は癒えず失われた20年とも30年とも言われています
アプレゲールの人々は街に溢れています
21世紀の現代に於いてもなお、本作は私達にどう生きるべきかメッセージを発しているのです

三船敏郎、志村喬の黒澤映画の二大エンジンが演じるドラマは目が釘付けです
黒澤監督の撮影、演出も何もかもが素晴らしいものです
取り調べ室でのお銀の背中と佐藤警部の表情を捉えたパンフォーカスのショットは見事です
狂犬は一直線との台詞に続く線路の真っ直ぐに伸びるシーンなぞは小手先ぐらいの技です
球場前での容疑者探しの数万の観客で埋まるシーンを見せる、広い東京での捜査の困難さの説明も序の口です
本多を階段に追い詰めるシーンは印象に残るものです
後のキューブリック作品の現金に体を張れを思い出させるような陰影を感じました
本作の方が7年も先にこのような映像を撮っているのです
犯人の顔を逮捕寸前まで見せない演出もサスペンスが盛り上がり効果的でした
独りよがりにメッセージを発するものではなく、娯楽作品としても見事に高いレベルで成立させて見せているのです

黒澤監督作品の凄さに今さらながら圧倒される思いです

あき240
KEIさんのコメント
2021年3月2日

レビューを拝見し、改めてこの映画の深さがわかりました。

KEI