「私は、アルフレードを求めていた」ニュー・シネマ・パラダイス あんのういもさんの映画レビュー(感想・評価)
私は、アルフレードを求めていた
社会は日々変化し、人はその中で生活をしている。文化は社会や生活から生まれ、それらは共に作用し合いながら変化していく。文化の一つである映画は、その時間の社会や生活、そして文化を、文字通り色濃く映し出し、表現されている。それは映画の中で描かれているものから、その映画が作られるに至った経緯や、それに求められていたもの、その頃の流行までもを感じ取ることができる、一種のタイムカプセルのようなものである言える。全く同じ映画でも別の時代の人が見ると、違った見方や感想を持つだろう。それを顕著に感じたのが「ニュー・シネマ・パラダイス」である。
主人公のトトは、幼い頃から小さな映画館の映写室に入り浸り邪魔をしていたが、段々と仕事を覚えていき、映写技師のアルフレードを手伝うようになる。そんなトトが、様々な人たちとふれあいながら、成長していくストーリーである。
この映画の主題は「何かを得るためには。何かを手放さなければならない。」何かを選び、何かを捨てる決断の連続が、人生を形作っていく。」というものである。そしてその痛みと、尊さを鮮明に映し出している。トトは劇中で様々なものを選び、捨てた。その際たるものが故郷である。そして共に時を過ごした、アルフレード、母、妹をおいて、ローマへ渡ったことによって、トトの夢であった、そしてアルフレードの夢であった映画監督への道がひらけた。失う痛みがあるからこそ人は成長し、それが人生の輪郭を形作る。しかし現実世界の人生において、そこまでのものを手放せることは稀であり、そこまでしなくても、人はなんとなく生き続けることができる。様々な点において安定した現代社会においては、輪郭がぼやけたまま時間だけが流れて、何も終わらず、何も始まらない。
そして、トトにそうまでさせたのがアルフレードだ。アルフレードは青年になったトトに「街を出ていけ。2度と帰ってくるな。」と言い、突き放した。アルフレードにとっても、トトが自分の元から離れるのは、きっと寂しかったに違いない。しかし、もう二度と会えなくなるとしても、トトに夢を追わせ叶えさせるために、気持ちを押し殺してトトを突き放した親心には感銘を受けた。感銘を受けたのは私自身が、アルフレードを求めたいたからだと思う。こんな人はなかなかいないだろう。
現代では「失う」ことはあっても、「捨てる」という決断は失われている。「捨てる」と「失う」は似て非なるものであり、一方は能動的であり、他方は受動的である。自ら能動的に動き、決断することが極端に減った。その理由は様々考えられるが、どのみち大きな成長を遂げるには、妨げになることは間違い無いだろう。
と、トトが街を出るところまで話を進めてしまったが、少し戻す。トトは街を出る前に、一人の女性に恋をする。エレナである。二人は長い時間をかけお互いのことを知り、恋人となったが、ある日突然エレナがトトの前から姿を消した。そして、もう二度と、エレナはトトの前に姿を現すことはなかった。私がこの映画で最も評価している点である。現代ではSNSやメール、電話などでいつでも連絡を取ることができる。またインターネットを使えば、最近の動向を調べることだってできる。そういったことが当たり前の文化で生きてきた私にとっては、二度と会うことがなかった二人を思うと、なんと儚く、美しいのだろうと思う。現代では失われてしまった、情緒的なシーンの一つである。
そして、アルフレードの死によって、トトは街へと帰る。街の人々は年老い、トトは「知っている人は誰もいなくなった。」と言った。アルフレードの死と共に、映画館も解体され、一つの時代の終わりを象徴的に描く。30年という月日が流れたことによって、様々なものが変化していた。しかし、一番変化していたのはトト自身だ。街を出る時には、汽車で長い時間をかけて移動していたが、帰ってくる時は乗り慣れた飛行機で30分で帰ってきた。これはトトが日常的に飛行機に乗ることができるほどに大きく変化し、成長したことを現すシーンの一つと言える。
この映画は、決してハッピーエンドではないかもしれないが、人生を描くにはとても美しい。人が人らしく生きている姿への敬意や、尊厳、憧れといったものを抱いた。現代では、様々な意味で繋がっていることが当たり前になりすぎた結果、実際の繋がりが減った。そして、架空の繋がりが強くなりすぎている。繋がりの「軽薄さ」や「多量さ」に対して違和感を感じ、うんざりする。そして架空の繋がりは「別れ」と「喪失」を体験する機会を極端に減らした。曖昧な別れが身近になり、本当の別れと旅立ちは、失われてしまった。
この映画で私の心が揺さぶられるのは、「もう会えない」という断絶が本物だからである。アルフレードは「二度と帰ってくるな」と言い、そしてもう戻っても彼はそこにはいない。私にとってこの映画は、アルフレードと出会うためのものだった。