「逆説的なアプローチ」2001年宇宙の旅 ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)
逆説的なアプローチ
スタンリーキューブリックの映画は、一筋縄ではいかない。特に、この2001年宇宙の旅は、数百万年も前の未知の物体を月で発見しすることによって、自分たちは何処から来たのかという命題を暗示しながら、コンピュータHALが最も人間らしく描かれるという逆説的なアプローチをとって、観るものを惑わせる。
エンディングに向けて描かれる宇宙空間のガスは、さしずめ女性の胎内のように描かれ、死と生が繰り返されていくという宗教的な場面もある。また、胎児の瞳が宇宙を見透すシーンは、何を意味してるのか、逡巡させられる。
科学的裏付けを元にデザインされた木星探査船やポッドも圧巻だ。
しかし、この中で、もっとも未来科学的で、且つ、もっとも人間らしく描かれるのは、コンピュータのHALだ。HALは、ミスをしない最先端のコンピュータで、人間のように思考し、人間とコミュニケーションを取る人工知能を搭載している。そして、人間のように畏れ、不安にもなる。
HALが「普通とは異なる準備プロセスを、あなた達クルーは、おかしいと感じませんでしたか?」と問いかける。HAL自身がミッションに不安なのだ。そして、おそらく、その不安が高じて判断ミスを犯してしまい、ミスを理由に回路を切断されそうだと感じると反乱を起こし、そして、回路切断を目前に、停止されないことを請い願いながら、HALは、徐々に途絶えて行く。人間そのものだ。
実は、HALだけが、ミッションの本当の目的を知らされていた。それは、地球外生命の、然も、進んだ知性とのコンタクトで、人間の起源に迫るものかもしれないというのだ。HALは何を怖れたのだろうか。危険かどうかというより、目的もはっきり知らされないミッションに、疑問を抱かずに参加する人間に警鐘を鳴らしたかったのではないか、ある意味機械的に描写されるクルーに対して、人間らしく描かれるHALは、人は神の領域を犯してはならないという、畏怖に近い感情を抱いていたのではないか。
自分は何者で何処から来たのかという命題は、人間が創造しプログラミングしたHALにとっての命題でもあり、それを探ることへの疑問はHALを苦しめた。ブレードランナーのレプリカントが苦悩する、自分たちは何者かという哲学的な問いをも想起させる。生に対する切望は、人間のもっとも人間らしい部分だ。
AIの時代、便利さを否定するのは困難だ。だが、過度な便利さを追求する前に、人間が人間らしくあることが、どういうことなのか、もう一度問うても良いのではないかと、改めて考えさせられる作品だった。哲学的、宗教的命題を軽んじるつもりもない。だが、もっと足元を照らしてみても良いのではないだろうか。
恐縮です。まあ、きっと、外形的なレビューが多いと思いますが、是非じっくり観てもらいたい映画ですよね。キューブリック好きなんで(笑)。長い映画で、僕が観たときには、途中の休憩で、キレてる客がいました。「早くやれよー!」って(笑)