2001年宇宙の旅のレビュー・感想・評価
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洗練された無機質と隠し切れない感情。
◯作品全体
モノリスや宇宙船とその内装、そしてHAL。複雑な機能や能力を持ちながらシンプルな形や色合いをしていて、着飾っていない「無機質」が公開されて60年近くたった今でも色褪せずに近未来を映し出す。FIXの多いカメラワークもその無機質さにより一層磨きをかけていて、自分たちと同じ人類が過ごす景色でありながら、全く別の世界として感じられた。宇宙船の航行を映すシーンは、暗闇と宇宙船、たまに星が映る程度のシンプルな構成の画面だが、そのスケール感が素晴らしい。影の落とし方やカメラ位置によるものだろうか、広大な宇宙空間を巨大な宇宙船が進んでいく様子が記録映像と見まがうほどに存在の説得力に満ちていた。そしてその説得力は、宇宙船が黙々と進んでいく様から感じる「無機質さ」の表現でもあった。
木星探査へ向かうクルーの表情も「無機質さ」の演出に一役買っている。月でモノリスを発見する第1章ではフロイド博士が楽しそうに娘とビデオ通話するシーンがあるが、第2章でボーマンが家族からのビデオレターを見るシーンではほとんど表情を変えない。後者は通話ではないから、という理由もあるだろうが、二人の表情や声のトーンに大きな差異があり、ボーマンの無機質さを強調しているように感じた。さらに突出したシーンとしてはHALの暴走に対抗するボーマンのシーンだろう。同僚を宇宙へ放り出され、自らも作業船から動けなくなってしまったときのボーマンの表情はあまりにも無表情で、怒っている表情を見せるよりも恐ろしく感じた。
ボーマンの無表情のカット以外にも、無機質の裏に強い感情が存在する。一番印象に残ったのはHALの暴走シーンだ。HALが船員を突き放すとき、赤い光を映す。ポン寄りでその光にカメラが寄っていくだけだが、HALの負の感情が強く降り注ぐような気がした。乱れた感情を映すのであればいろいろと手段はあるように思う。作業船のアームを勢いよく振り下ろしたりして動的なカットで演出するのはショッキングなシーンの常套手段だ。本作ではただHALの象徴のように赤く光るランプだけを映す。それだけなのにその裏にある憎悪が感じ取れるのは、ここまで無機質な画面に意味を積み重ねてきた本作だからこそ、繊細に感じ取れるのだと思う。
ラストシーンではボーマンが自らの肉体から解放され、イメージのような赤子の姿で地球を見つめる。人間の進化や宇宙にいる未知の生命体、というようなSF要素を強く感じるラストだ。ただ、個人的には無機質であれど、肉体から離れるのであれど、核にあるのは精神なのだというキューブリックの情感に溢れたラストだと感じた。
〇カメラワークとか
・無重力を演出するシーンは確かに凄いんだけど、すごいのを見せつけられてる感が強い。カメラワークのカラクリみたいなのは動画サイトで飽和してしまっているからか、2024年に見ると1カットが長すぎる気がした。これはそういうのに慣れてしまっている自分がなんとなく悪い気がする。
・月面に着陸する宇宙船のカットはすごかった。直線的な影、宇宙の黒と宇宙船の白のコントラスト、吸い込むように開く月面基地の大きな入り口。BGMも使わずにあそこまで息を呑む画面を作れるのが凄い。
・異次元を表現するイメージ演出もどっちが上か下か、そもそも上や下の概念があるのかわからなくなるような感覚が良かった。良かったけど後半に色だけ変えた陸地のカットがあって、そこは元がなんなのかわかりやすくて気持ちが下がった。
〇その他
・原始的なサルの世界から始まるのはタイトルから全く想像ができなくて面白かった。不安とか怒りをそのまま表情に出している姿は中盤以降の無機質さと対比的でもあった。
・サルが骨を使ってマンモス(?)の頭蓋骨をたたき割るカットも印象的。原始的な世界からの脱却を表す演出。
・終盤で異次元を見るボーマンの表情は少し『恐怖と欲望』で発狂する新米兵士っぽい感じがした。キューブリックは狂った表情を作らせるのが巧いなあと思う。異常であることはすぐに気付けるけど、やりすぎと感じる一歩手前、みたいな表情。
ゴリラとニーチェ
この作品が1968年につくられたのが驚き。
宇宙船とかリアルでめちゃくちゃすごい。
ただ最初のゴリラは人間だし、砂漠にいるならあんなに毛深くはないだろう。あと宇宙船内のシーンでは、無重力であるべきなんだけど、普通に歩いているし、逆に無重力を表現するような歩き方が馬鹿っぽくてちょっと集中できなかった。
これは制作年における映像表現の限界であるし、そこを批判してもどうにもならないのだが。
最後ボーマンが幼児になるのは、ニーチェの「超人=幼児」を表現しているのだろう。「幼児は無垢であり、忘却である。新たな開始であり、遊戯である。自分自身で回転する車輪、始原の運動、聖なる肯定」(ニーチェ1973、39)
なにはともあれSF映画の古典だろうし、みれてよかった。
One of the Best Films Ever--I've Seen Many Films
A triptych story across the ages, with a kaleidoscope epilogue that falls off the edge of the universe. Supercomputer HAL presents a dual villain who is working to survive like everybody else. We don't know if somebody programmed him to be that way or... Also what is the monolith's motive? The film's philosophy is an optimistic conclusion to the beast of monkey to man. Infinitely stones unturned.
向いてなかった。
昔から名前は知ってたし、すごく高く評価されてるのも知ってたけど好みじゃなさそうだと感じて今まで未鑑賞でした。
ふとキューブリックが気になって「時計仕掛けのオレンジ」と併せて観ました。が、、やはり私にはキューブリック作品は向いてなかった!
すごい作品なのはわかる。
作られた時代を考えるとこんな映像どうやって作ったの?とかあの作品のあの場面はここからオマージュされてたのか!なんて発見もあったり。
でもね、こういうアートな作品は私には理解できない。
とにかく起きてる事象の説明が一切ない。
セリフも少ない。
観て理解できないやつはお呼びじゃないよ!って言われてる感じ。
映像綺麗だし、音楽もいいし、美術も素晴らしいんだけど、私には向いてない。
キューブリックの「予言」
まず驚いたことは、1968年にこれだけの特撮ができていたことです。木星に向けた宇宙船のアームが動き繊細な操作をおこなう。スターウォーズ誕生9年前にキューブリックはやってのけたのです。ルーカスほどのスピードや動きはありませんが、機械類や操作盤など当時見た人は驚愕したでしょう。2001年まで33年前です。2025年の今見ても1968年にこの映画を作ったという驚きしかありません。
難解な映画といわれています。そうですあの「黒壁」が何を意味するのか。この映画は人類の祖先、サルの時代から始まります。サルが群れをなして縄張り争いをしています。そこに「黒壁」が出現します。サルたちは何をしたか。「武器」を発明し敵対する群れを駆逐します。
シーンは切り替わり月に向けた宇宙船の中の描写になります。月に行くことが日常茶飯事になっている状況です。異常な事態がおこります。月になにか不明な物体がある、人類に危機を及ぼす恐れがあると研究者は危惧します。月のその場に行ってみると、あったのは「黒壁」でした。またしても黒壁です。
それから8カ月後、木星に向けた宇宙船の船内の描写に切り替わります。乗組員は5人ですが3人はいわゆる冬眠中で船内では2名が仕事に従事しています。しかも宇宙船を実質動かしているのは人工知能であるHALです。このHALが宇宙船すべてをコントルールしています。
しかしある日HALは暴走します。人間の命令に背くのです。そこで乗組員2名はどうなったか。ラストシーンにあらわれるのはまた「黒壁」です。
「黒壁」はなにを意味するのか。そこにこの映画最大のテーマが隠されています。
サルの時代「武器」を持った時点で「進化」しているのです。「進化」はなぜ必要か、それは生存のためです。生存するためには、戦いに勝たねばならない。つまり人類の「進化」は戦い、戦争の繰り返しを意味するのです。まさに人類は戦争を繰り返し「進化」していきましたよね。それをキューブリックは描写しているのでしょう。
次に月にあらわれた「黒壁」です。人類に危機をおよぼす恐れがあるもの。キューブリックの「予言」を解釈するのならまさに「コロナウイルス」の発生です。人類が「進化」し人間が創りだしてはいけないことに手をだした。この警告は数年前に全世界で人類が経験したことに直結します。
そして最後のHALの暴走。キューブリックはAIの誕生を1968年には「予言」していたのです。それも人間の知能をはるかに超えるAIの出現を。
その結果どうなったか。最後にまたしても「黒壁」です。人類の「進化」のために作りだしたAIに人間がコントールされる。はたして人類の「進化」はこれほど必要であったのか。今、2025年に再度見て深く考えさせられました。
キューブリックが1968年に「予言」した2001年。その「予言」は戦争の繰り返しはあたりまえのように続き、2001年まで人類は「進化」を止めませんでした。そして2025年。2020年コロナウイルスが世界を席巻し今まさにAIの開発に投資、研究戦争が進められています。
人類はまだ「進化」と「黒壁」が必要でしょうか。充分人類は進化してきたのに。まさにサブタイトルの「a space odyssey」「長い冒険旅行」をしてきたのです。キューブリックが「予言」したHALの暴走だけは止めないといけません。
キューブリックは人類とはいつまでも「進化」し続ける存在であり、その「進化」に人類が人間をみずから失うことを「長い冒険旅行」と捉えたのです。
1968年のキューブリックの「予言」とおりに人類は生きている。HALが支配する宇宙船の中にあらわれた最後の「黒壁」は人類の「死」を「予言」しています。それでいいのか、今改めて考える最後の時ではないでしょうか。
考えるな感じろ
ボーマン船長が見たものは全人類が見たいもの
先に続編の2010年を見てしまいました。
おそらく、完全に順番を間違えましたが、2010年がとてもよかったため、こちらの2001年も楽しみに鑑賞しました。
ストーリーはもちろん、同系列なものなのですが、監督が違うせいなのか、そもそも原作レベルでも趣向が違うのか、かなり違う雰囲気の作品でした。
こちらはとても芸術的で、説明が少なく、とかく映像で世界観を伝えてきます。
設定が細すぎて、いちいち伝えていては映画として説明的になりすぎてつまらなくなってしまうから、映像の壮大さを駆使して重大なことだけを伝えようとしているのかもと思いました。
そういうわけで、いまいち明確な答えや結論やオチみたいなものは分かりません。が、続編を先に見ているからこその、分かっちゃう部分はどうしてもあるので、やはり先にこちらの2001年を見た方が感銘を受けたのだろうなとは思いました。
ただ、あくまでストーリー的にはかなり短いという印象です。
宇宙船の中でのシーンを、見せる場面も多いです。
おそらく、この作品が作られた時代なら、色々想像しながら楽しむことができたのかしれませんが、今は実際の宇宙空間にある宇宙船からの映像が届く時代なので、それだけでの感動や新しさがないのは仕方ないです。
続編から見たため、わたしは最後のボーマン船長がどうなるのか楽しみで仕方ありませんでした。だから彼方とも言える空間にたどり着いた彼に、一番感動しました。
心して鑑賞
猿がモノリスに出会って、道具を使い始める。400万年後、月でモノリスが発見される。2001年、その調査でデビッド・ボーマン船長とフランク・プールら五人は、ディスカバリー号で木星に向かうが。
久しぶりの鑑賞。「インターステラー」の終盤(事象の地平線の向こうにある5次元の世界)を見て、「2001年宇宙の旅」の最後を理解できるかも、と心して鑑賞。モノリスは地球外知的生命体によるもの、と言うのが一般的な解釈です。でも時空を超えた人間によるもの、という解釈でも良いのではと思いました。
後の作品にオマージュがたくさん。「インターステラー」では、TAGの形がモノリスからかな。終盤の本棚のシーンは、HALの機能を止めるシーンに似ている。「エイリアン」で旅の目的を知っていたのがアンドロイドだけというところが、同じくHALだけ知っていたのと似ている。「ガンダム」のボールは、ディスカバリー号のポッド。「エヴァンゲリオン」ではモノリスみたいなのが出てくる。正八面体の使徒は、終盤のスターゲイトのシーンいくつも出てくる。
特撮技術の成果をゆったりと見せつける演出に、60年代の人々はさぞ驚いたんだろうと思いました。今見ると、まるで監督が自慢げに見せつけているとよう、そう考えると面白いです。でも船内をランニングできるような空間は、ポッドの大きさからディスカバリー号にないような気がします。
「ツァラトゥストラかく語りき」と「美しく青きドナウ」が、とても印象に残ります。
「すごい降るような星だ」という台詞が印象に残っていました。しかし、これは「2010年」の中でボーマン船長が残した言葉、ということで勘違いしていました。
アポロ8号の船長の名前が、フランク・ボーマンでややこしくて混乱してしまう。
わからない、わかろうとしない、態度で観ればすごく面白いですよ
いつの世も難解のものを有難がって、わかったようなフリをする人間が如何に多いことか。
つい数十年前まで、この作品について難しい顔して難しい話をするのが「賢いオレ」「映画通なオレ」の踏み絵でしたが、昨今のSNSの普及によって単純に「何これ?わからん、アホくさ」という至極まっとうな評価が席巻して全くご同慶の至りです。
別に難解ではありません。原作者が解説用のナレーション台本まで用意したのに、キューブ親分が「ネタばれカッコ悪いし」って削除しちゃっただけです。要するに理解できないのが正常、わかったような顔してる人は、錯覚しているか、事前にヒントを知っていたか、大嘘つきかのどれかです。
WIKIに原作の解説の要約が載っているので興味があれば観る前でも後でもどうぞ。
というわけで理解できないのが当然なので、それをわからん、けしからん、と言ってオミットしてもそれはそれで正しい評価ですが、理解することは諦めて、つまり理解しようなんて考えず(考えても無駄だし)純粋に前衛的な映像美として鑑賞すれば、なるほどこの時代に何と革新的な「カッコイイ」作品であるか、なかなかのものであります。
本日、20年ぶりくらいに3-4回目ですが、何といっても未来を題材にしたSF作品は製作から数十年経過すると野暮で時代遅れな代物になり下がりますが、これに限って言えば全く現代でも通用する驚異的なデザインセンスです。
音楽の使い方がこれほどハマった作品も空前絶後、オープニングとエンディングは「鳥肌」っていう言葉の説明にこれほど適した用例はないでしょう。
追伸 途中のブラックアウトとかTVの砂画面みたようなシーンは早送りすればいいです。別に意味ないし。
映像は素晴らしいがストーリーは難解
1968年公開という事実にただただ驚嘆し、製作に関わった人々に敬意を感じる。
いま観てもほとんど古さを感じない。どうやって撮影してるんだろうと思う。SF映画の金字塔と言われる所以がわかる。
ストーリーは難解だ(特にラスト)。全体的にセリフが極端に少なく説明もない。これは敢えての演出だと思う。説明したら途端に陳腐になってしまう気がするから。故に登場人物と一緒に不思議な体験をしている気になる。
音楽はSFらしくないが一周回ってそれっぽく聴こえてくるから不思議だ。作品の世界観をよく表現できているように感じた。
1回観ただけではストーリーが理解できなかったので、鑑賞後に解説しているサイトを熟読してもう1回観ました。
シュールやね
あり得ない素晴らしさの再発見
不朽の傑作と評されるに値し、さらにその上の評価が必要な作品
日本での公開が1968年だったことに驚きを禁じ得ない。
当時のSFXの表現は、いまの日本でもできない。
この世界観の表現の素晴らしさ。
圧倒されてモノが言えない。
この映像美と技術力を全世界に見せつけたのだろうか?
ただ、
逆に圧倒的にセリフのないことで、フロイド博士が月基地に着陸したところからデイブがHALに喚いている場所まで居眠りしてしまった。
しかし、
何度か見てこの作品は、未だに衰えなどなかった。
さて、
モノリス
冒頭サルの前に突如出現したモノリス
それに驚き騒ぐが、やがて骨を道具にした。
知恵
このことでモノリスとは知恵の象徴とされた経緯があるのだろう。
ただ個人的には、気づけばそこにモノリスがあったことに恐れおののくことこそ、サルにとって最初の変化だったのかなと思った。
仮にそんなことが物理的に可能な場所で、様々な動物に同じことを試す場合、実際大騒ぎする動物はいるのだろうか?
天変地異を動物は感じ取って行動する。
当然弱肉強食上捕食者から逃げる。
そこにあるのは恐怖ではなく本能。
仮にいつもの場所にUFOが着陸していたとしても、それが動けば反応するだろうが、動かないものに対する恐怖などはないように思う。
未知に対する恐怖こそ、人間たる所以なのかもしれない。
また、
人工知能HALに起きた自意識の発生
秘密事項を守らなく得てはいけないという指令が最初にあり、クルーたちを木星へと連れて行かなければならないミッションがある。
AIの暴走理論またはシンギュラリティという概念はこの作品が与えた情報かもしれない。
個人的にはこれはないだろうと思っている。
もちろん機械が自意識を持つことだ。
自論の展開は不要なので省く。
さて、
最大の難関 木星圏への到着で起きたこと。
事象の地平面の様な描写
これは宇宙のその先を表現したのだろうか?
色の変化 色彩の逆転 木星の表面
これはおそらく、人間の五感では捉えきれない場所を意味しているのだろう。
それがやがて巨大な心臓の様な生命体を思わせる映像になり、何故か自宅に戻ってきた。
マクロからミクロへ
自宅には年老いた「私」=デイブが食事をしていた。
私と「私」が融合したのだろうか? また食事を始める。
ベッドの上の死ぬ直前の「私」
そしてまた出現したモノリス
同時にベッドには丸いカプセルに入った赤ちゃん。
音楽と共にモノリスが宇宙に変わり、地球と同じくらいの大きさのカプセルに入った赤ちゃん。
この描写こそ「インターステラー」の概念になった映像だろう。
さて、
モノリス
これはもしかしたら実在するのではないだろうか?
昨今囁かれる陰謀論 映画で示唆する行為 神=宇宙人
作品では進化の根源が設定されている。
しかし近年、進化論の否定が起きている。
そんなことは初めからわかっていたのではないのかなと思った。
何者かの「存在」の介入
それこそがモノリスとして表現されたのかもしれない。
マジ名作だけど
SFの完成形
10年前に見て意味がわからなくて、最近になって同監督のフルメタル・ジャケットに感動したので、再視聴したがやはり意味不明だった
Wikiの原作情報(映画放映後に完成された)を見てやっとおおよその内容が理解できた
1968年の作品と思えない凄まじい出来で、高次存在からの接触、AIの反乱、宇宙旅行etc…多くの示唆に富んでいる
この時点でSFはほぼ完成されていたのだと思える
ただ、猿人の描写の拙さ(50年前の映画なので多少は目を瞑るとしても何故アフリカにバクがいるのか)、最後の宇宙ワープの長さ(もはや斬新さは無いので長過ぎた)
加えてモノリスの啓示とHALの反乱の話は関連しているが独立の話であることが気になった
そのため少し減点
凄い
現代SFの祖
モノリスの存在、HAL9000の反乱、宇宙の一部になった船長、
メカの造形などなど、1968年当時にこれだけのSF作品がつくられ上映されていることに
あらためて驚きをかくせません。
子どものときに観ていたら、きっと最後まで観ていられなかったと思います。
ある程度、映画の楽しみ方がわかってきた今だからこそ観てよかったです。
いったいどれだけの作品が本作に影響を受けているのか、、、ほとんどかもしれないと感じました、
そのくらい1968年作という古さや歴史を感じさせず新鮮味を失わない作品だと思います。
リアルタイムで観た方はきっと衝撃的だったでしょうね。
今の映画作品でこれほどのインパクトのあるものは観たことがありませんが、
そのような作品に出会えることを楽しみにしていたいと思います。
不屈の名作に触れる喜び
今作の特筆すべきは構図と配色。古いのに斬新。さすがキューブリック作品である。
序盤の猿人達は、いかにも中に人が入っているような動きで愛せる。
幽霊の歌声のような怖いBGMは、あの黒い板モノリスが発信している何かを描写しているのか、人類の進化とモノリスの関係など、いろいろ不思議で面白い。
空に投げた骨の映像から舞台は宇宙になる。
手塚治虫が描くような未来的なデザインは目の保養。
2024年現在は当たり前に使っているテレビ電話も登場。
18ヶ月後、博士たちと人工知能HALのやりとりは先が読めなくて目が離せない。
そのあとに木星付近で起こることも凄い。
人類進化論と、真空の宇宙、それらがあたかも本当であるかのように感じる映画であった。
余談ですが、自宅で Amazon Prime Video の字幕版をテレビモニターで鑑賞しました。
冒頭で真っ暗なままなので何らかのトラブルかと思いましたが演出でした。
途中で冒頭と同じように真っ暗になる時間があり、その時にテレビが黒い板モノリスに見えてテレビ画面に触りだした家族に驚きました。なんて純粋な人なのだとそっちに感動しながら、なんとなく私も一緒にテレビに触ったのは本当の話です。
まあ、そういう楽しみ方も出来る作品でした。
個人的な感想です...
難解なこの映画。後に、答えを求め読んだアーサークラークの原作には、ある程度のメッセージが込められたラストが描かれていましたので書かせていただきました。(少々ネタばれです)
モーセが神から受け取った2枚の石板を表しているかのような(これは個人の感想です)、2枚の石板モノリスによって導かれるように落ちてゆくボーマン船長。
彼は、さまざまな宇宙をめぐり、再び目覚めた時、「スターチャイルド=地球を意のままにできる汚れなき存在」として地球を見下ろしています。(余談ですが、最初のヒトザルには「ムーンウォッチャー=月を見る者」という名前がついています。人間は知恵を得てから数百万年、いろんな気持ちで月を見続けてきたということでしょうか)
原作の最後の一節には、
「(彼は)手遅れになる前に戻ったのだ…今や、地球は彼の意のままだが(彼はまず地球の軌道上に浮かぶ兵器を、意思を送り出すことで破壊します。)…そして人間たちが考えるような歴史は終わりを告げるのだ…」とあります。
最後の一節は、何を意味するものなのでしょうか。
勝手ながら私には、もう一冊この映画に関して取り上げたい本があります。それは、ニーチェの「ツァラトゥストラ(ゾロアスター)はかく語りき」という本です。
この映画には2つのクラシック音楽が使われています。冒頭のシーンで流れる「ツァラトゥストラはかく語りき」と後半の「美しく青きドナウ」です。
「ツァラトゥストラはかく語りき」という曲は、この本からインスピレーションを受けて作られた曲です。キューブリックがこの曲を使ったのも、ただ単に曲が映像と合っていたというだけでなく、私には何かメッセージがあると感じられるのです。
この本にはこんなことが書かれています。
『かつて貴方がたは猿であった。だが、今もなお人間は、いかなる猿よりも猿である…』
『わたしはあなたがたに超人(人を超える存在)を教えよう。超人は大地の意義なのだ。わたしはあなたがたに切望する。大地(あるがままの自然)に忠実であれ、そして大地を超えた希望などを説く者に信用を置くな…』
『いまや人間みずから目標を定める時がきた。人間がその希望の芽を植え付けるべき時が来た。いまの土壌はまだ十分豊かである。しかしこの土壌もいつかそのうち貧しく瘠せるであろう。そして高い木はもはやそこから成長することはできなくなるであろう…』と。(後半、石板の記述もちょっとですが出てきます。)
「自然が一番上にあり、汚してはいけないもの」と考えると、人間はどんな生き物よりも下の階層にいるのかも(もしかしたら要らない存在なのかも)しれません。(人間が鼻高々に考える価値観とは全く真逆なのかもしれません)
現代の映画を見慣れた方なら「CGを駆使すれば、難なく出来る映像だ」と思われるかもしれません。ですがこの作品は、アポロ11号の月面着陸以前の作品であり、日本でもまだそう少なくない人が白黒テレビを見ていた時代の作品です。そしてこの作品をみれば、10年程もあとの「STAR WARS」以降のSF映画にも多大な影響を与えたことがわかると思います。
「美しく青きドナウ」の表現する地球の青さ、美しさ。それがよく見てみると、人間の欲望やエゴにより汚されていく現状。膨大な量の有害物質を排出し宇宙に飛んだ宇宙飛行士の「地球は青かった」発言。(私も車や電気を使うので偉そうな事は言えないのですが)
人類(とりわけ子供たち)の「夢」に見せかけておいて、その奥にある宇宙技術軍事転用の茶番。それによって実現した核の直接攻撃の脅し。地球が滅亡した時のための火星や月への移住計画。(我々はこの地球の重力でしか生きられないのに、この地球を楽園にしなければいけないのに)
そして 、今も繰り返される対立と殺戮。
冷戦時代、それを感じたキューブリックは、モーセが神から十戒を記した2枚の石板を受け取った時と同じように、現代の十戒を、私たちに映像を通して残したのではと思うのです。
そして人類は、滅亡するその時までに、猿を超えることができるのでしょうか...
えらそうな視点で長々すみません、読んでいただきありがとうございました。
今更、見るべき作品
0013 50年前の映画とは思えない
1968年公開
さんざんぱら評論を聞いたので観た気になっていたが
製作50周年記念アンレストア版70ミリで初鑑賞。
IMAXに負けない画質に驚いた。
あらすじがある程度わかっているので物語もすんなり
頭に入っていったが、当時の公開ではモノリスが何か
赤ん坊が何を意味しているのかなどはさっぱり理解
できなかったと推測する。
モノリスも資料によると人知を超えたものとして
表現するには壮大な試行錯誤があった模様。
しかし名監督としてキューブリックが
あがめられたのは説明をしなかったためであろうか?
キューブリック曰くモナ・リザの絵がすごいのは何故
笑っているのかをダビンチが説明しなかったからだ、
とも。
そういった神秘的なものもふくめて50年後も
鑑賞に耐えうる名作です。
90点
2018年10月29日 東宝シネマズ二条
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