ナイト・オン・ザ・プラネットのレビュー・感想・評価
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珠玉のタクシーオムニバス!
ロサンゼルス、ニューヨーク、パリ、ローマ、ヘルシンキを舞台に タクシー車内外(主に車内)での会話劇が繰り広げられるオムニバス作品。 とにかく会話劇だけで成り立たせる手腕に脱帽ですし、 脚本も本当に面白いです。 そして映像もフィルムならでは夜の風景は本当に美しい。これだけでも一見の価値があります。 私としてはロサンゼルス編が最も気に入りました。 主演のウィノナ・ライダーの若干やさぐれ感のある若い女性ドライバー自身が語る キャリアビジョンに好感が持てますし(それ以前にキャリアビジョンを描いていることにリスペクトします) 目の前の美味しい話を自分のビジョンに沿わないという“判断軸”で即答で断るところは、 世のビジネスマンも見習うべき思考・行動だと思います。 ローマ編が私は気に入りませんでした。 というのも、ほぼロベルト・ベニーニがひとりでしゃべりまくるんですよね。 『ライフ・イズ・ビューティフル』ばりのしゃべくり方ですから、ちょっと単調だし、ストーリーとしても いただけない感じで、映画としてはよくできていると思うものの、フェイバリットではないという一編でした。 あと気に入っているのは邦題ですね。 『ナイト・オン・ザ・プラネット』。原題のアースをザ・プラネットに置き換えているところが何とも好きなんです。 アースと敢えて言わないところや語感が好きですね。 映画のイメージはこちらのタイトルの方が私としてはマッチしていると思いました。 劇場には若い男性客がそこそこ居て、なんかうれしかったです。 私も92年にリアルタイムで観たかったです。
鑑賞動機:ウィノナさん6割、ジャームッシュ4割
ロス。まだ夕方。導入でそれぞれの状況をコンパクトに提示しつつ、自然に合流させる手際が好き。そこまで事細かに説明しなくても、ちゃんとわかるし、この着地点になるのが納得できる。 ニューヨーク。意外な展開に笑ってしまうが、語られないところで色々想像できる所もあり、一番好き。時期的にベルリンの壁崩壊直後かな。 パリ。ベアトリス・ダルに圧倒される。コートジボワール…。隣国同士ってやっぱり色々あるのかね。 ローマ。ベニーニのコテコテ感を許容できないと辛い。人物も話もかなり苦手だった。 ヘルシンキ。もう明け方です。うーん、これ運転手さん側にもう一捻り必要だった気がする。 後半がちょっと物足りないものの、こういう単独監督によるオムニバス物も面白いかも。
ロサンゼルスの出だしはとても良くて引き込まれる映画だなと思った。ロ...
ロサンゼルスの出だしはとても良くて引き込まれる映画だなと思った。ローマは見てるこっちもだいぶやられたけど、見ていて落ち着ける感じと演技の真実味が全体としてあった。
夜のタクシーで繰り広げられる五者五様の「素敵なマウント合戦」。個人的にはNY編推しです。
ちょっと、深夜ラジオを聴いているような感覚のする映画だ。 冒頭とエンディングの印象的な音楽。 19時から聴き始めて、朝の日の出で終わる。 このラジオでは、局の代わりに国を乗り換えていく。 時間帯ごとに、チャンネルごとに、テイストが変わる。 サーフィンしながら、眠れない夜を夜明けまで。 深夜特有の、なにかわくわくすることが起きそうな感覚。 狭いところに相手と二人きりの、インティメットな空気感。 マシンガントーク、猥談、酔いどれ節など「話芸」を愉しむ。 ゲストによって、パーソナリティのトークにも変化が生じる。 やっぱり、『ナイト・オン・ザ・プラネット』はラジオっぽい。 地球儀の同じ映像が毎回挟まるのも、なんだかジングルみたいだしね。 ― ― ― 僕は基本的にポリコレ系の映画を大変苦手としているが、これだけ人種問題や階級格差や障碍者差別や移民問題にズバッと切り込みながら、ちっとも嫌味を感じさせない映画というのも、なかなかないのではないか。 けっきょくそれは、種々の問題を「キャラクター」にしっかりのっけて「個の問題」として呈示できているからであり、説教臭い「作り手の思想」が顔を出してこないからだろう。 一話目は、ブルーカラーの整備工志望とビヴァリーヒルズのキャスティング・ディレクター。下町と山の手の対比を、白人女性のきれいどころで見せる趣向だが、「理想的ないけてる女性」の「世代差」を体現する組み合わせでもある。 二話目は、いかにものダウンタウン育ちの黒人の若者と、東ドイツから来た初老の白人(ドイツ統一がちょうど1990年)。NYになじみきった移民●世と、まだ初々しい移民一世の対比でもあり、通常の差別被差別の関係性の逆転が面白い。 三話目は、最初は黒人×黒人の取り合わせで意表を突いたあと、「ハンディキャップのある超美人」と「野卑で不躾な黒人男性」の対比に切り替わって、「差別のベクトル」がゆれる。 四話目は、(外国人から見た)イタリア人の典型としての「おしゃべりで無鉄砲で好色な庶民」と「詰襟の僧服で権威を身にまとった聖職者」の階級差の対比。 五話目は、(外国人から見た)北欧人の典型としての「ホモソーシャルな酔っ払い労働者」と「哀しみを背負った無骨なマッチョマン」を並べて、盟友アキ・カウリスマキに敬意を表する。 タクシーはまさに国の縮図であり、街の縮図だ。 それぞれのお国柄と、人種組成と、貧富の問題が、狭い車内にすべて凝縮されている。 ただし、そういった問題は、ここではただ環境として呈示されるだけだ。 そこに社会変革や意識革新を促すような、上から目線の生臭い説教臭はまったくない。 でも、映画内に生きる人々の切実な問題としてリアルに提示されているぶん、観客は「共感」し、登場人物に寄り添って「何かを」考えるように仕向けられる。 タクシーの中という「赤の他人どうしが同一空間をシェアする」「一触即発で何か起きてもおかしくない」少し緊迫したピーキーな場で、人種差が、性差が、階級差が、濃度とテンションを高めて立ち上がる。表面化する。皮膚感覚にひりひりと伝わってくる。 今の下品で押し付けがましいフェミ映画やポリコレ映画の何十倍も、ちゃんと映画で社会の問題を物語っている。 どうせ社会派ネタをやるなら、こういう感じでうまくやらないとね。 ― ― ― フェイス・トゥ・フェイスの会話劇に、「差別」を落とし込むとどうなるのか。 それは結局のところ、「マウント合戦」の様相を呈することになるだろう。 誰かは誰かを差別せざるを得ない。 =誰かは誰かにマウントを取らざるを得ない。 一話目で、ビヴァリーヒルズのハリウッドセレブ(仕事にも男女関係にも煮詰まっている)は、タクシー運転手の美少女(夢も希望もいっぱいで自己肯定感高し)に、「上から」芸能界に入らないかと声をかけて、容赦なく断られる(笑)。モノホンの大御所だが、かつてはハンサム・ウーマンの象徴的存在であり、非ハリウッド系インディーズの象徴的存在でもあったジーナ・ローランズと、当時もっとも輝いていた期待の新星ウィノナ・ライダーという配役の妙が素晴らしい。 二話目で、他のタクシーには止まってすらもらえない最下層の黒人であるヨーヨーでも、英語もろくに話せず、街の地理にも疎く、オートマ車も運転できない白人のヘルムートになら「気持ちよくマウントをかます」ことができる。ヘルムートのほうも、要所要所では相手に逆襲をかましながらも、気のいいヨーヨーにほのかな友情を感じて、あえて「マウントをとらせてやっている」きらいがある。 いつもはきっとサンドバッグとして生きているだろうヨーヨーは、義理の妹に対してもマウントをとりたがり、義妹からは猛烈にウザがられているが、お互い丁々発止とFワードを連発するなかでも、しっかり「家族としての愛情」は感じているようだ。 「マウント」は「思いやり」の押し付けがましい一形態でもあるわけだ。 三話目で、主人公のタクシー運転手は、客の「インテリ」黒人組の揶揄に耐えかねて夜の街に放り出す。彼は思い切り外交官たちから蔑まれ、マウントをとられたわけだ。コートジボワールというのは、要するに「象牙海岸」で、ジボワールのなかに英語でいう「アイボリー」が隠れていて、だからそこの出身者はフランス語で「ivoirien」なわけだ。で、これが「ものが見えない」のフランス語と空耳アワー的に音が似ていると。 そんな運転手が次に乗せたのが、ベアトリス・ダル演じる色気むんむんの盲人(徹頭徹尾きれいに白眼を剥いてるが、演技なの? それともコンタクト?)。 今度は、運転手のほうがマウントをとろうとする番だ。相手から見えないのをいいことに、明け透けなエロい視線を胸元に熱く向けながら、不躾な質問を次々とかましていく。 しかし、ベアトリス・ダルもさるもの。「強い障碍者」として、運転手のセクハラ&障碍ハラのつるべ打ちをものともせず、気丈にやり返していく(下車する先が河岸というと性的職業の人らしい気もするが)。ラストで先の伏線が回収され、盲人ネタに思いもかけぬオチがつくのが楽しい。 四話目で、本来ならマウントをとるのは神父様のほうで、とられるのは運転手のはずなのだが、運転手がエキセントリックすぎてそうなっていない。調子の悪い聖職者は防戦一方で、躁病のようにしゃべり続ける運転手に気圧されている。 ここでは「懺悔する」といいながらマウントをとっているのは運転手のほうだ。昔ジャック・ヒギンズの『死にゆく者への祈り』という小説で、テロリストが目撃者の神父を黙らせるために、無理やり犯罪行為を告解するというネタがあったが、たぶん今回のは、タクシーの「前後の小部屋に分かれていて仕切りがある」構造が「告解室」を想起させるところから来てるんだろうね。 五話目は、「不幸自慢」のマウント合戦の話。病気自慢と似て、Yahoo!ニュースのコメント欄などでもよく見られるおなじみのやりとりだ。 コワモテだが、やけに素直に感情をぶつけ合って、素直に感動し合う北欧の「聖なる酔っ払い」たちは、まさにアキ・カウリスマキの映画の登場人物と地続きの存在であり、「オフ・ビート」映画仲間としてのジャームッシュとカウリスマキの「連帯」を感じ取ることができる。 ― ― ― 「タバコ」もまた、マウント合戦の重要な小道具だ。 「煙幕を張る」という常套句があるけれど、タバコの紫煙は攻撃手段でもあり、防御壁でもある。 相手のしゃべっているときに火を付ける。相手が嫌がっているのに喫い続ける。チェーンで喫い続ける。相手の火を付けてやる。相手に火を付けさせる。やり方はいろいろだが、この映画の登場人物たちは、タバコで相手との距離感をはかったり、あるいは相手への「無関心」を表わしたりと、タバコで対人関係を表現していることが多い。 ついでに、あまりのチェーンスモーカーの場合は、精神的にどこか不安定な部分を抱えていることが示唆されている(ウィノナ・ライダーとロベルト・ベニーニ)。 それにしても、みんな本当によくタバコを喫う映画である(笑)。 考えてみると、1991年といったらタバコはタクシーで喫えるどころか、飛行機でも大学の教室でも会社の机でも喫えた。僕はタバコをなんとなく辞めてもう15年以上になるが、あの頃はチェーンスモーカーで、一日ひと箱は喫っていた(社会人10年目くらいには、それが一日ふた箱くらいに増えていたw)。 当時は、タバコを小道具に「人と人との関係」を表現するのは、映画的手段としてはきわめてふつうの演出だった。それが、「簡単に喫えない世界」になってまだ10年程度なのに、「こいつらよく喫うなあ」という気分になるのは、いかに人間は環境が変われば思考も変わるかの好例だ。 ちなみに去年の終盤あたりから、『マエストロ』『枯れ葉』『レザボア・ドックス』『バッド・ルーテナント』『アンダーグラウンド』と、チェーンスモーカーの出てくる映画ばっかり観てるような(笑)。古い映画はさておき、『PERFECT DAYS』や『瞳をとじて』でも主人公に喫煙させていたし、映画界でも、いっときの浄化作戦みたいな嫌煙感が薄れて、昔の監督さんがノスタルジーの演出として取り込むくらいなら許される空気になってきているのかもしれない。『マエストロ』の場合は、敢えて嫌煙厨に喧嘩を売るような挑発的な作りになっていたけど(笑)。 ― ― ― 本当はこの日、別の映画を観るつもりで映画館に足を運んだのだった。 レイトショーで『サイレント・ラブ』を(笑)。 ふつうはまず観ないタイプの邦画だけど、浜辺ちゃんが出てるし、もうすぐ終映だし、1300円ならまあ観てもいいかなあと。 ところが! 映画館でチケットを買おうとすると、グランなんとか上映ということで3000円もすることが判明。えええ、さすがに3000円は払いたくねーな……。というわけで、急遽別のに切り換えようと思ったら、20時45分から『ナイト・オン・ザ・プラネット』をやるらしい。ちょうど未見だし、じゃあ入ってみるか。1600円で、レイトショー価格ではないけどちょっと安めだし。 という経緯で、お洒落映画かと思ってなんとなく敬遠していた名画をちゃんと映画館で観て、想像以上に良い映画だったと認識することができた。 ありがとう、シアタス調布! その他、よしなしごとを。 ●原題より邦題のほうが素晴らしいという、稀有なケースだな、これ(笑)。 ●個人的にはダントツでNY編が面白かったのだが、ざっとみなさんの過去の感想を見ると意外に好きなエピソードはまちまちなんだね。大切、多様性。というわけで、短編5本というのはちょっと長い気もしたけど、5本それぞれにファンがついてるってことは、結果的にはジャームッシュの戦略的勝利なんだろう。 ●ウィノナ・ライダーの透明感のある美しさは、およそ筆舌に尽くしがたい。でも、のちの「壊れ方」を見ると、ジム・ジャームッシュってこの娘の「危うさ」や「依存体質」をすでにこの頃から見抜いてて、病的なチェーン・スモーキングに込めていたのかも。 ●ドイツから来た元道化の漂わせる、えも言われぬ「元・天使」感は、師匠筋にあたるヴィム・ヴェンダースへのお茶目な目配せなのかもしれない。 ●黒人同士の差別ってのは題材として面白い。前に会社から行かされた差別啓蒙関連の講演会で聞いた、大阪で昔、被差別部落(牛を飼ってる)と在日部落(豚を飼ってる)がいがみ合って血みどろの喧嘩を繰り広げてた話を少し思い出した。 ●ロベルト・ベニーニのしゃべくり芸もすごい。話の内容がいかにもイタリアの艶笑譚ふうになっているのも、映画が聖職者をコケにする内容になっているのも、じつは『デカメロン』の伝統にのっとった、きわめて正統なイタリア文化の継承ではあるんだよね。 ●しっかし5話あって、まともな運転手がヘルシンキにしかいないのってどうよ(笑)。ろくでもない運転手たちのろくでもない荒っぽい運転×4。こう考えるとやっぱり日本は住みよいし、タクシーもホントに使いやすい。良い国だよなあ。
同時に起きてる意味
2024年劇場鑑賞38本目。 パンフレット制作ないのでマイナス0.5,今の映画かと思ったらずいぶん昔の映画のリバイバル上映なのでパンフレットがなくても不思議ではないのですが、最近リバイバル映画でもちゃんとパンフレットが制作されていることを考えれば減点もやむなし。 好きな映画監督はと聞かれジム・ジャームッシュと答えておけば通っぽく聞こえるでおなじみのジム・ジャームッシュ監督作品。同じ時刻ではなく、時差そのままで本当に同じ時間、タクシーでの話を5つ分の短編にしたオムニバス。これが最後店と点がつながっていくとカタルシスが得られるのですが、ジム・ジャームッシュ作品にそんなものはない。 あとは時代なので仕方ないのかもしれませんが、5作中4作運転手がタバコを吸うシーンがあり、4作目は客が明らかに嫌がっているのに気にせず吸い続けて不快でした。しゃべり方もうるせぇなぁこいつと思っていたらロベルト・ベニーニでした。 どの作品も退屈はしないんだけど、好きにはなれない感じの内容でした。もうちょっと後に作っていたら永瀬正敏が出ている日本のタクシーの話も出ていたのでしょうね。
クリープハイプのファンなんです
クリープハイプから巡って、映画を観ました。 同じ時に地球のどこか別の場所でタクシー運転手とお客さんの悲喜こもごも。 ニューヨークは笑えて好きです。 全体に漂うブラックな感じが堪らないです。 そして音楽が良い。
それぞれの価値観
映画女優は自分の生きる道ではない、お金は必要だが重要ではない、見えない事が普通、自分の癖を初めて会った神父ではない人に懺悔、どちらがより不幸であるか…. 私は映画は映画館で観るのが1番だと思っていますが、この作品は家で寝る前に1エピソードずつ観るという観かたも悪くないなと感じました。
けっこうよかった
ジム・ジャームッシュ監督のオフビートなのが苦手で以前見た時もつまらなかった印象があるのだが、こっちも年をとったし理解できるだろうかと恐る恐る、多分初めてスクリーンで見る。永瀬正敏と工藤夕貴はどのエピソードで出るのだろうと思っていたら最後まで出ず、それは『ミステリートレイン』だ。以前にレンタルビデオで見たような気がしていたが初めてだったかもしれない。東ドイツ人のドライバーがアクセルとブレーキを交互に踏むような運転は見覚えがあるから、見ているのかもしれない。しかしほぼ全部きれいに忘れていて新鮮な気持ちで見た。
特に、オフビートではなく全体的に面白い。どんどん寒そうになる。女性は皆、媚びないタイプで不愛想だ。黒人の妹もめくらの白人もどっちも気が強い。ウィノナ・ライダーがすごく魅力的で、彼女も気が強い。まさか後に万引きの常習者で裁判にかけられる未来が訪れるとは思いもしなかった。
運転は好きなので、転職を考えるとドライバーが候補にあがるが、お客さんとのふれあいには自信が持てない。ストレスが強い仕事だ。
ウィノナ フォーエバー❤️
藤原紀香世代の自分にとって、ウィノナ・ライダーは同い年である 「シザーハンズ」で共演したジョニー・デップと交際し(当時デップの腕にはウイノナフォーエバーの文字が…)今作のジム・ジャームッシュ映画では特攻隊長である その後も「エイジ・オブ・イノセンス」や「若草物語」「リアリティ・バイツ」エイリアン4モネ~と順調にスター街道まっしぐら 分岐点は主演プロデュースした「17歳のカルテ」だと思う あの映画、完全にアンジーにもっていかれた(新旧交代である) で、あの事件である (万引きダメ!絶対!)日本でいえば藤谷美和子、石原真理子 プッツン🌷みたいな ここ何年か母親役などで復活を遂げているが、この映画のウィノナはホントキラ☆キラしていて最高の一言🌠 大御所ジーナ・ローランズとがっぷり四つで組む二十歳そこそこのウィノナを堪能しよう!オワリ!
オサレ映画
邦画「ちょっと思い出しただけ」の劇中で流れて、そのあとすぐに無性に観たくなった、この作品『ナイト・オン・ザ・プラネット』 ※ぶっちゃけ観たことなくて、ストーリー全く知らなかった! オムニバスってことすら知らず😅 あと観てみたんだけど圧倒的に最初の話が印象に残る。タクシー運転手のイカす女性とその彼女を◯◯に誘う女プロデューサー。雰囲気満点。なによりラストカットの間が素晴らしかった。 完全に自分の趣味の外だったけど、たまーにはこーいうオサレ観るとも楽しい!
ジム・ジャームッシュのオフビートに酔いしれる
1週間限定上映にて鑑賞。
本作も様々な媒体で鑑賞しているが、やはり劇場で観るとひと味違いますね!
私が好きな監督作品、89年
「ミステリートレイン」
こちらもメンフィスのホテルでの3組の一夜を描いた3話のオムニバス。
まだ駆け出しの永瀬さん、少女時代の工藤夕貴さんのツーショットは今見てもカッコいい!
絵になるヴィジュアルが記憶に残る。
そしてジョー・ストラマーも出ている驚き!
ジム・ジャームッシュにしか作り出せないこの空気感が好きだ。
それから2年後の91年、本作が公開された。
こちらもロス、NY、パリ、ローマ、ヘルシンキを舞台に、タクシードライバーと乗客のやりとりを描いたオムニバス。
オープニングに流れる「Back In The
Good Old World」が流れると、
うお♡はじまった♡って嬉しくなってワクワクする。
パーカッションとあのしゃがれ声!
トム、サイコ〜!
地球儀くるくる〜からのズーム。映し出されたのはロス。
第一章が始まる。
若い女性ドライバー、コーキー
(ウィノナ・ライダー)
と、映画の出演者を探しているヴィクトリア
(ジーナ・ローランズ)が乗客。
ヴィクトリアから、一見魅力的なお誘いを受けるコーキーだが、自分には夢があると、それを断り信念を貫く生き方がカッコいい。
そしてそれを尊重したヴィクトリアもいいのよね。
自分の身の丈に合った生き方。。
考えさせられます。
若き日のウィノナ・ライダーのふてぶてしくも初々しい演技が新鮮にうつる。
それにしても魅力的だ。
そしてそれを受けるジーナの完璧さよ!
粋な2人の掛け合いが見所。1番華のある章ですね♪
二章はNY。
寒い街角でやっと拾ったタクシー。
帰宅したい黒人男性ヨーヨーと、東ドイツからやって来たばかりのドライバーの物語。
運転も下手で道も分からないドライバーに代わり、客であるヨーヨーが自ら運転してブルックリンへ迎う。
ドライバーは元サーカスのピエロで名前は
「ヘルムート」だという。
「ヘルメットみたいだ」と爆笑するヨーヨーに「ヨーヨーという名前も同じだ」とヘルムートも笑う。
2人の会話が絶妙に面白くほっこり。
温かい気持ちになる。
途中、夜の街にいたヨーヨーの義妹を発見。無理矢理同乗させるもケンカになって、放送禁止用語連発。
騒がしいのだが、いつしかバカ話しになっていくノリがいい。
「お金は必要だけど重要じゃない」
ゔ、、言ってみたい。
アーミン・ミューラー=スタールの老犬の様な困り顔がチャーミングで大好き!
三章はパリ。
コートジボワール移民の黒人ドライバーと、乗車しているのは黒人VIPの2人。
同じ黒人からバカにされ、強引に下車させてしまうドライバー。
次に乗せたのは盲目の女性。
元々の性格がそうなのか?ハンデが故に武装しているのか?
強気だし、ちょっと態度がデカいからビックリする。
しかし、彼女の、あらゆる事を全身で感じる。人の肌の色なんて気にしない。という台詞にはドキッとする。
目が不自由なのをハンデと思った私。
しかし彼女は私なんかより感覚も聴覚も優れている。彼女は自分に自信がある。
私の無意識の差別心を恥じた。
そしてドライバーも、黒人VIP客にされた事と同じ事を、彼女にもしていたという皮肉。
オチはブラックユーモアが効いている。深い!
「お前は盲目なのか!!」
この章は何といってもベアトリス・ダルでしょう!
「ベティ・ブルー」。。トラウマです。
四章はローマ。
ドライバーのジーノ
(ロベルト・ベニーニ)はとにかくおしゃべり!
こんなタクシーには乗りたくない
NO1!!のかわいそうな乗客は神父らしき男性。
ジーノは自らの独特過ぎる懺悔を一方的に話しまくる!「困る」神父。
具合が悪くなった神父にお構いなしで最終的には。。
ローマ編だけ毛色が違うので何度観ても戸惑ってしまうが、、
懺悔の内容のバカバカしさとロベルト・ベニーニのマシンガントークにはちょっとだけ笑う。素ですか?の演技力w
最終章はヘルシンキ。
ドライバー「ミカ」と3人組の酔っ払いが乗客。
ずっと寝ている「アキ」の不幸話しで盛り上がる2人。
それを聞いていたミカは「それが不幸か?」と自らの不幸を語り出す。
それまですぐ揉めていた2人もミカの話しに涙し、「君は良い人だ」と言って下車する。
しばらくしてミカに起こされたアキも下車。
「生きるのはきびしいよ」
雪が残る道端に座り込むアキに「おはよう」と男が声をかける。
夜は明けていた。。
ヘルシンキで朝を迎えるってのもいいんです!
「ミカ」「アキ」という名前も、ジャームッシュの愛あるイジリでしょう♪
「明けない夜はない」
人間が愛おしく思える。
笑うというよりニヤけてしまう。
この空気感が最高に好きなのです。
ジム・ジャームッシュのオフビートに酔いしれる!
深夜に観たい映画です。好き♡
ちなみに、
私がこれまで見たタクシードライバーで1番危なくイカれた奴は
レッチリ「By The Way」のMVの
デイブ・シェリダン!!最高ですw
あと本作鑑賞後には「ちょっと思い出しただけ」を、いつもちょっと思い出します(^。^)
ヘルシンキの酔っぱらいのおじさんたち
が一番好きでした。 他には、運転手が盲目の客に「おれの肌の色はわかるかい」と尋ねた時に、「そんなの私には関係ない」と答えた会話と、ローマの運転手が神父からサングラスを外すように言われるシーンが好きでした。
極めて良質なオムニバス。
この作品はとてもコスパが良い。そう言ってしまうと身も蓋もないが、良質な短編が5本もひとつの時間とひとつのモチーフで、異なる都市で起こる様々な出来事をこの1本の映画で追体験できるように仕組まれている・・・しかもどの作品も、とてもエスプリの効いた良い作品なのである‼️紛れもないお勧め映画と言って良い。
バックミュージックがちんどん屋さんとJAZZのスーバークロスオーバーだ…
公開当時僕はジム・ジャームッシュを知らなかった。
全て、トム・ウェイツの歌から始まる。
『クロージング・タイム』から叔父の影響で聞いていた。だから、レンタルビデオ屋さんで、ウィノナ・ライダーのカワイイ女性のカバーに惹かれて借りたビデオを見て、最初にトム・ウェイツの『Good Old World』が流れ『お~トム・ウェイツじゃないか!』とえらく感動したのを覚えている。実は、当時僕は10本位ビデオを借りるのは当たり前で、必死に見たものだ。だから、見たものをよく覚えていない。この映画も実は最初の音楽とウィノナ・ライダーのカワイイ事とニューヨークの汚い言葉とパリの暗闇の黒人とマシンガントークのローマ野郎と無骨な寒そうなヘルシンキしか頭に残らず、詳細はすっかり忘れていた。一期一会な映画になるはずだった。しかし、見終わった後、カーテンを開けると、雪は降っていなかったが、曇り空の寒そうな朝の冬景色が見えた。なんか、ライブでそのタクシーに乗っていたと感じた。その後、ダウン・バイ・ロー等色々なジム・ジャームッシュの映画を見て、この映画は僕にとって一期一会の映画ではなくなった。ジム・ジャームッシュの味のあるコメディの始まり始まりとなる。アメリカ映画だけど、屁理屈なフランス映画から、屁理屈が無くなった映画と思っている。その後、前述の叔父にこの映画を紹介した。彼は当時タクシー運転手をやっていた。彼は『こんな客いたら、殴ってやる』と言って映画を罵倒していたのを思い出す。その彼はこの映画と一期一会のまま地獄に墜ちた。因みに『タクシードライバー』も大嫌いだった。それには僕も同感だが、この映画はジム・ジャームッシュの中で一番好きな映画かもしれない。まるで『一期一会の宝石箱』のようだ。
追伸 ロベルト・ベニーニのギャグをしもネタには思えない。勿論、そんな真似はしたことないが、彼の語る話は無骨な純愛に思えた。また、司教は死んでいないと思った。
夜の光と幸福に満ちた129分
5カ国、4カ国語の夜の街を堪能できる贅沢な一本。ロサンゼルス、ニューヨーク、パリ、ローマ、ヘルシンキ、それぞれの国の夜のタクシーの中を舞台に、タクシードライバーと乗客の人間模様をユーモラスに、時にエモーショナルに綴っている。 始まりはロサンゼルスの空港。女優をキャスティングするお金持ちマダムと自動車整備士を目指す個性的な女の子のやりとりにクスッとなる。懐かしいあのアイテム達の数々に時代を感じる。 NYではドイツから来た道化師と黒人が登場。同じような帽子に変わった名前、二人の掛け合いは実に楽しい。 アフリカ出身の黒人と盲目の女性との出会いが描かれるパリのタクシーの中では、当時のフランスの時代背景や差別についてのメッセージが物語を通して訴えられている。 ローマのタクシーは、イタリア人をステレオタイプに描きすぎていてちょっと笑えない。“エロス”がテーマになっている。 ヘルシンキでは哀しみと不幸をテーマに繰り広げられる。「ちょっと思い出しただけ」のタクシーでのシーンは、このシーンから着想を得たのかしら? バラエティー豊かな作品集、珠玉の短編小説が連なり、美しい名作になっていて、観るだけで心が満たされる。 生きているといろいろあるよね、さまざまな人がいるよね、だけど今日も地球は回ってる。夜を街を走るあのタクシーも。明けない夜はないーー。
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