時計じかけのオレンジのレビュー・感想・評価
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21世紀の人々へ贈る西欧版ウェストサイド物語
古典的なウェストサイド物語よりもより一歩踏み込んで、もっと壮大に全人類とは※そもそも人間とはなんなのかというテーマに挑み、世界を舞台に挑戦状をたたきつけたような作品です。
タブーを恐れず、人間の残忍さを描こうとした実験的な作品のようにも思えます。
そして、終始、西欧の香りさえしました。
今観ても古臭さはありません。
そもそも善人とは何なのでしょうか、真面な人間というものは誰が決めるのでしょうか?
知識人や政府役人や、コロナ感染で実態が顕わになってしまった例えば日本で言うのならば、医師会であるとか、彼らの方が真の意味で病んでいると思うのですが。
観るのが遅すぎた
学生時代「博士の異常な愛情」と併映してるのを横目で通り過ぎて何十年、このほどやっと鑑賞にこぎつけた。超過激といわれるバイオレンスも国家主導による人格矯正も、今となっては既視感があって、正直巷で言われるほどの衝撃は味わえず。いや多分これを始祖に後々の映画が真似たんだろうが。とりあえず心配していた「ベートーベンが聴けなくなる」という副作用か起こらなくて何より。「雨に唄えば」の伏線回収もある意味古典的だが「おー」と膝を打つ快感は味わえた。いちおう近未来SFなんだろうが衣装やセットは70年代独特のヘンテコなセンス。なぜか「謎の円盤UFO」を見たくなった。そうそうこんなとこでダースベイダー(の中身)にお会いできたのにはビックリ。
ぶっ飛びヤバヤバ映画、さすがはキューブリック監督。 ぶっ飛び映像で...
とんでもなく"ハラショー!" な映画‼️
モラルを持たない残忍な男が洗脳によって模範市民に作りかえられ、再び元の姿に戻っていく。「ヤーブルをデボーチカにインナウト、インナウト!」地下道の浮浪者を愛用のステッキで袋だたき、女性を「雨に唄えば」のメロディーに乗せてレイプするウルトラバイオレンスな世界‼️ジーン・ケリーごめんなさい‼️「雨に唄えば」を聴くとMGMミュージカルの同名作よりもこの「時計じかけのオレンジ」を思い出してしまう‼️ベートーヴェンごめんなさい‼️「第九」を聴くとあなたよりもマルコム・マクダウェル演じるアレックスを思い出してしまう‼️ウルトラミルクを飲ませるバーや広々としたレコードショップなどの近未来デザインと、"管理社会への反逆" というブラックなテーマを、スタンリー・キューブリック監督がスーパー・ポップに演出して、観る者にとってはホントに悪夢‼️山高帽かぶって片側の目だけのメークが凄み充分のマルコム・マクダウェルの佇まいもまさに悪夢‼️ちなみに「ダークナイト」のヒース・レジャーのジョーカーはこのアレックスを参考に役作りしたらしいです‼️そしてこの映画の真に凄いところはその先見性‼️犯罪の低年齢化、同世代限定の独特のファッションセンス、仲間同士でしか意味が分からない言葉、そして洗脳‼️この作品の公開当時はSFの世界でしかなかったことが、今は全て現実化しています‼️恐るべきノストラダムス映画‼️スタンリー・キューブリック監督はホントに天才‼️公開から50年が経ってますけれども、さらに50年後が恐ろしい‼️
セックスとバイオレンスの連続です。 この映画の知名度、また他の方の...
悪いことしたらあかんのです...
私がこの作品を初めて観たのは30数年前、二十歳前後のことだったと思います。
相当ショッキングな内容で気分が悪くなった覚えがあります。
50歳を過ぎ人生経験もそれなりにこなしてきた今、改めて観なおしてみましたが・・・・
やっぱりとってもショッキングでシーンによっては目を覆ってしまった場面もいくつか。
1971年の作品で近未来の退廃した都会を描いたわけだけど、50年以上経った今もこの映画を観るとこの先世の中どうなっていってしまうのかという強烈な不安感を抱いてしまう。いつまでたっても追いつけない感覚。キューブリックの異次元的な頭の構造のなせる業なんでしょう。
今も巷ではいじめ、迷惑動画、盗撮から強盗殺人、銃乱射大量殺人に至るまでいまだ毎日世界中で犯罪が横行しています。悪いことしたらこうなっちゃうんですよってこの恐ろしい映画を観せたら抑制になるんでしょうか。それとも報復による刑罰は時代錯誤とネガティブな印象受けるだけなんでしょうか。是非とも若い人たちにこの映画を観てもらって感想を聞かせて欲しいものです。
ほんとに面白いのは後半のどんでん返し!
過去鑑賞
因果は巡る
〝レイプ〟と〝超暴力〟と〝ベートーベン〟を、悪趣味とする青年の冒険を描く。
私の知る限り、『時計じかけのオレンジ』は史上最高の映画のひとつである。この「芸術作品」によって、スタンリー・キューブリックは、映画をミケランジェロの芸術のレベルにまで高めた。
ポルノと芸術の境界で、映画の評価を妨げたり複雑にしたりするのは、いわゆる「性的描写」である。
この点、『時計じかけのオレンジ』は、『愛のコリーダ』とは異なり、一見して著しく性的に露骨であるようには見えない。
しかし、ハイパーセクシャルで煽情的なイメージの連合体であるにもかかわらず、脚本、メイクアップ、ベートーベンの音楽、インテリアや調度品、未来的な家具、プロダクションデザインの完璧さによって、映画そのものはエレガントに見える。そしてそれは、撮影スタッフ全員のテクニックと想像力によって完璧に造形されている。これは、ズームアウトや過激な撮影技術にも起因している。
『時計じかけのオレンジ』は、ポルノ的であり芸術的でもあるが、決して下品ではない。
それにもかかわらず、チャールズ・チャップリンやジャン=リュック・ゴダールの作品と比較すると、この映画は著しく過小評価されているように思える。
しかも、映画は出演者の名演技なくして名作とは言えないにもかかわらず、この映画には「泣き虫」や「感傷的な出演者」がほとんどいない。
これは、「映画は監督のもの」という固定観念を作り出したキューブリックの完璧な自己防衛である。
ため息が出るほど鮮やかで美しく、時に暴力的で、時に狂気に満ちたこの136分の映画は、まるで写真展に足を踏み入れたような気分になる。
キューブリックの優れた写真センスを視覚的に示すものである。すべてのシーン、すべての静止画が、A級写真の集合体である。このような映画は他にない。
未だ時代が追い付いていない
いやぁな気持ちになれます
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