「犯罪者の更生を皮肉った傑作」時計じかけのオレンジ ゆいさんの映画レビュー(感想・評価)
犯罪者の更生を皮肉った傑作
初めてこの映画を見た時の衝撃は忘れられない。
もっとも繰り返し鑑賞した作品で、私の部屋には今でも映画のポスターが貼られている。
常識を逸脱した暴力欲求を持ち、それを抑えることが出来ない主人公アレックス。
仲間と共に不条理な暴力行為に明け暮れていた。
金など持っていないだろうホームレスを襲う。
適当な家に押し入り、『雨に唄えば』を口遊みながら、ステップでも踏むように、住人を殴り、レイプする。
女を使って対立するグループを誘い出し、ボコボコにする。
など、もう、やりたい放題。
そこには『痛い目にあいたくなければ金を出せ』みたいなチープなやりとりは存在せず、ただ、ただ、無慈悲な暴力が加えられる。
そんな日常を繰り返す中でとうとう殺人を犯すアレックス。
仲間の裏切りもあり、彼ひとりだけが逮捕、収監される。
刑務所の一般的な更生プログラムを課した程度で社会復帰させれば、同じことを繰り返し、新たな被害者が出ることは明らか。
では、アレックスをどうやって更生させるのか?
政府は『減刑』をエサにアレックスにルドヴィコ療法を提案する。
しかし、それは療法という名の『トラウマの植え付け』だった。
アレックスの好きなルードヴィッヒ(ベートーヴェン)の曲を流しながら、目を逸らせないように瞼を固定し、暴力行為の映像を見せ続ける。
最初は音楽と映像を楽しんでいたアレックスだが、何度も繰り返されうちに苦痛を感じるようになる。
ベートーヴェンの音楽と暴力映像が完全にリンクしたアレックスは『ルードヴィヒは悪くない』と叫ぶ。
治療は終了し、暴力とルードヴィッヒの曲に対して『強烈なトラウマ(嫌悪感)』を抱え込まされたアレックスは釈放される。
しかし、家に帰っても親に冷たくあしらわれ、彷徨い出た街で、昔、自分が暴力を振るったホームレスから暴行を受ける。
トラウマからなんら抵抗出来ないアレックス。
助けを求めた警官(アレックスの元仲間)からもリンチを受ける。
まさに因果応報。
アレックスは自分が行っていた不条理な暴力をその身で受けることになる。
警官たちから開放されて、雨の中、森を彷徨ったアレックスは、そうとは知らず、自分が襲ったことのある作家の家に助けを求める。
作家は政府の行うルドヴィコ療法に反感を持っており、報道でアレックスのことを知っていたため、家に招き入れる。
しかし、アレックスが風呂の中で口遊んだ『雨に唄えば』を聞いてアレックスが自分を襲った犯人だということに気が付く。
作家は食事を提供し、アレックスから『ルードヴィヒを聴くと死にたくなる』ことを聞き出す。
アレックスたちの暴力が原因で作家は車椅子生活になり、妻は病気にかかり亡くなっていた。
作家はアレックスを殺して恨みを晴らし、かつ、政府にダメージを与える方法として『治療が原因の自殺』を思い付く。
薬で眠らせた アレックスを2階の部屋に閉じ込め、大音量でルードヴィッヒを流す。
案の定、アレックス窓を突き破って自殺をしようとするが彼は死ななかった。
シーンは変わり、病院のベッドに寢かされているアレックス。
医者たちが暴力や性的な絵を見せても、平気なアレックス。
トラウマから開放され元に戻ったアレックスは押し寄せるマスコミに笑顔で応える。
暴力やレイプなど過激なシーンが多いが、映画の主題は『更生』だと思う。
人に暴力を振るっただけでは死刑にはならない。人をひとり殺しても(例外はあるが)死刑にはならないことが多い。
では、ふたり以上殺したら?
死刑判決(もしくは仮釈放無しの無期懲役)が下される可能性は格段に上がる。
人をひとり殺して刑務所に入り、釈放されたのちに再び人を殺し、死刑になる犯罪者は実際にいる。
そんなことが起これば、ふたり目の被害者の家族が『なぜ釈放したんだ』と思うのは当たり前。
では、再犯の可能性のある犯罪者をどうするのか?
『再犯出来ないように洗脳(トラウマの植え付け)をしちゃえばいいじゃん』
というお話。
もちろん、そんな簡単な話ではない。
無力になったアレックスに意趣返しのごとく、暴力を振るうホームレスや元仲間、ルドヴィコ治療に反感を持っていて、最初は情けをかける作家ですら自分たちを襲った犯人であることがわかると、アレックスを殺そうとする。
その気持ちはもちろん理解出来るが、無力になった(更生を果した)犯罪者への仕返しをどう防ぐのか?
そもそも、加害者が更生したら被害者は泣き寝入りするしかないのか?
『元に戻ったアレックス』が再び暴力衝動を抑えられなくり、新たな被害者が出る可能性はないのか?
と考えると本当に救いがない。
きっと結論はどこにも無いんだろうな。
暴力というアプローチだけに観る人を選ぶ作品かもしれないが、政府(巨大な権力)による人格操作の怖ろしさを描いた傑作だと思う。
我々現代人も、政府に管理されたテレビなどのマスコミによって、未然に犯罪を犯さないための洗脳(社会悪の刷り込み)をされているのかもしれない。